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桜が咲いている

 中学校からの帰り道、友達と時々「荷物持ち」をした。
 ジャンケンをして、負けた人が、次の電信柱までみんなの鞄を持って歩く。

 私はひとりで帰るときにも、次の電信柱……次の電信柱……というふうに、電信柱を見ながら歩いた。退屈しのぎだったのだろうか。今思うとよくわからない。

 そんなよくわからないことを、大人になってからもやっている。
 七年前に通りすぎた電信柱は「係長」。今は「課長」という次の電信柱を見ながら歩いている。
 「課長」という電信柱まで歩いたら、今度は「次長」という電信柱を見ながら歩くのだろう。
 これは退屈しのぎなのだろうか。それとも、未来というものは実際、電信柱のつらなりなのだろうか。

 ともかく、今は「課長」という電信柱を見ながら歩いている。課長というものを「電信柱」というあだ名で呼んでいるのではなく、本当はその逆だと思っている。つまり、歩いていたら、いつのまにか電信柱に「課長」というあだ名が付いていた。私だけでなく、みんな、本当は電信柱を見ながら歩いている。

 桜が咲いている。
 中学校からの帰り道、靴の紐がよくほどけた。私が紐を結びはじめると、みんなは立ち止まらずに歩きつづけた。どうして立ち止まらないのか、口には出さなかったが、いつも不思議に感じていた。
 みんな、次の電信柱まで行ってしまった。私が背中を追っているのは、荷物持ちをさせられたからだろうか。それとも、靴の紐がほどけたからだろうか。

 灰色の電信柱を見ながら歩いている。次の電信柱の陰に、カラフルなワンピースを着た人が立っているかもしれないなどと空想する。その人のあだ名は「運命」。
 思えば、中学校からの帰り道でも、似たような空想をしたことがあった。





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