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ワイ、Y、Why vol.5

はじめに「Why思考」

こんにちは。

コロナウイルスの影響でまだまだ自粛ムードが続きそうなので、noteで自分の考えを整理する時間をしっかりととって、様々なことに思考を巡らせたいな、と思っております。

さて、今日も私の頭の中のことを発散して収束していければいいなと思っております。

今日のテーマはWhyです。

最近就職活動をしながら思うことがあります。

「Why」の思考ってめちゃくちゃ大事だなと。

なぜ今大学に通っているのか。

なぜこの会社に入りたいのか。

なぜこの人生を歩んでいるのか。

というように、自分の行動一つ一つにWhyを投げかけていくと、自分の軸というものが見えてきます。

なぜ見えてくるかって??それは、行動一つ一つにはすべて「動機」があるからです。

「動機」とはすなわち、Whyの答え。

以下の「Why思考」はすべて就職活動をするようになって思考を巡らせるようになったことなので、決断当時はここまで動機を整理できていませんでした。

Why思考「大学受験編」

例えば、
なぜ私は法政大学社会学部社会政策科学科
に通っているのか。

①元々テレビ、マスコミに興味があり、メディア社会学科がある学部がよかった(テレビが一つあるだけで、寂しさを紛らわせてくれるし、私たちを明るく照らしてくれる。喜怒哀楽を引き出してくれる存在に魅力を感じていた)
②なおかつ、中学校の社会の先生になりたくて、教職免許を取れる学部がよかった。
③偏差値的に、「MARCH」というくくりには入りたかった。(価値的な問題笑)

という3つの動機があり、今いる大学に入学しました。

実は、私は元々東京学芸大学という教員養成を中心とする難関国立大学に行きたいと思っていましたが、

割と現実主義というのと、どうしても先生以外の将来の道も見てみたいという思いから、高3の当時、所属していた予備校のアドバイザーの方と話し、

第一志望を難関国立→私立に変え、なおかつ社会学部系統に絞って大学受験をしました。

今考えるとこの決断は大正解だと思っていて、アドバイザーの方には感謝しています。この決断は私の人生のターニングポイントのひとつになると思います。


少し路線がずれましたが、「Why」思考をすることによって、高校生の頃に抱いていた漠然とした私の思考を整理し、大学に入学した理由をまとめることができました。

Why思考「将来の夢ー教員編」

「なんで先生になりたかったのか。」

続いては高校までの将来の夢「中学校の教員」

についてWhyで深堀していきました。

私は中学校に不思議な魅力を感じていました。

小学校でもなく、高校でもなく、中学校。

なぜだろう…。

高校になると、入学するために試験を受け、合格者のみが入学できるという、「選抜方式」。つまり、大体同じくらいの学力の学生が集まる。
高校次第でその先の人生が”ある程度”決まると言っても過言ではないと私は思います。

高校次第ということは、そこに入学するまでに一番大切な時期、すなわち、生徒の人生を変えるきっかけになり得る時期って・・・。中学校だ。

私は

生徒の人生を変えられるような教師になりたい。


そう思って中学校の先生になりたかったのだと、今振り返ると思いました。

私自身も高校選びは正解でしたし、今の高校がなかったら人生が70度くらいは変わっていたと思います。笑
それは中学時代の様々な経験があったからこそで、中学校時代に出会った先生方には非常に感謝しています。私のほかにも、そのような人は多いのではないでしょうか。


私は彼らのように、人生のターニングポイントに関われる。そんな先生になりたかったのです。

だから中学校の先生を目標としていました。

Why思考 「就職活動編」

最後は最近です。

なぜ?って考えていくと、めちゃくちゃ楽しいんです。なぜなら、突き詰めて考えていくと何かにたどり着くから。

わたしにとってのその「何か」は

「誰かのきっかけになりたい」

でした。

例えば、教員を目指した理由もそうですし、一時期マスコミ、特にテレビ局に興味があったのも「その人の人生が変えられるようなきっかけを創れる」からでした。

今のゼミ「消費者心理を用いたマーケティング」を専攻したのも、

マーケティングでまだ知らない世界を消費者に届けて心を動かせればその人にとっての「きっかけ」になる

からでした。

このように、自分の行動や選択に対して常に「なぜ?」を投げかけていくと、

何か見つかるものがあると思います。

私の場合は「きっかけ」を創りたい。でした。

なので、その

「きっかけづくり」ができるような職はないか、と業界を選び

「広告代理店」「嗜好品メーカーのマーケティング」

にたどり着き、今就職活動をしています。



なぜ、教員は目指さなかったのかと聞かれれば、

明確な答えはまだ見つかっていません。

ただ、一つ分かったのは、教員は「面と向かったコミュニケーション」が中心かつ、「教育」という側面で「中学生」に対してきっかけを創れる可能性があります。

一方で私は、より広い世界に、多くの年齢層の、多くの人へきっかけを創りたいと思ったからです。

教員では、少し幅が狭いのかな、と思ったからです。

ただ、これは一概にどちらが良くてどちらが悪いというのもないし、

教員の道を目指していたらそれはそれでめちゃくちゃのめり込んでいたのかもしれません。

要は「深さと幅」なのかなと思います。

より深いのは教員、より幅が広いのは今の道。

というように。

そして私は「幅」を選んだ。

どちらの選択も正解も不正解もない。

これからの自分がこの選択を正解にしていくしかないです。


終わりに


いっつもやみくもに書いているので、書き終わると自分の文章の雑さに幻滅しますが、ほとんど推敲もせずに上げてしまいます。

読みにくい部分もあるかと思いますが、そこはご愛嬌・・・笑


ということで今回はひたすらに「Why」について、私の思考の巡らせ方を発散してしまいました。

これが一種の自己分析ですね。

なんか、まあこの軸を見つけるまでにはかなりの時間をかけましたし、自己分析に終わりはないので、今後は今、そして未来の自己分析をしていければいいのかなと思っています。

今は将来やりたいことのための自己分析ですが、他にも様々なことに転用できると思っていますので、もっとかんがえていこうかなあ。


そろそろ堅くてつまらん文章も飽きると思うから、

就活終わったら自分の日々あったこと、面白いと思ったことを発信していく場にしようかな。


とりあえず、、、


コロナ終われえええええええええええええええええええええええええええ

以上です。

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