United by Emotion
木村匠吾です。
東京オリンピックが閉幕しました。
皆さまはどんな感動と出会い、何を感じ、どんな思い出が残りましたでしょうか。
私は毎日のように涙しながらも、社会の複雑さを感じ、その上で、改めて、スポーツの持つ素晴らしい力を全身で感じることが出来ました。
本大会の多くの場面を見て、一つだけ皆さまと共有出来るだろうと思ったことがあります。
それは、選手やコーチ、ボランティア、大会を支え、盛り上げた世界中のすべての人々が『目の前のことに本気だった』ということです。
重圧や葛藤、色々な思いを抱えながら、自身に与えられた役割をも超えて、『本気で』取り組んでいた。
日本人選手の活躍が期待通りでなかった競技ももちろんありましたが、それは裏を返せば、世界のどこかの国の選手やその関係者、国民を含むすべての“応援団”らの『本気』が日本のそれを上回っただけのことで、日本が『本気ではなかった』ことにはなりません。
そして何より、ラグビーW杯で日本中が感動した『ノーサイド』の後の連帯、お互いをたたえる姿は、今大会も、私が見たすべての競技で見られました。
これもすべての選手が『本気だった』からこそ、見られた光景でしょう。
そして私たちもまた、選手たちを『本気で』応援していたから、共感し、感動し、勇気を貰えたのでしょう。
今、私たちの社会にはウイルスだけではなく、今大会で明らかになった選手のメンタルヘルスや、根深い差別や格差、政治や思想、経済、環境、自由など、本当に多くの問題があり、これらは日々、深刻になっています。
大会期間中でさえも、分断を生むような発言が多くの場所で見られました。
これらの発言については、ほとんどが物事の一側面のみを捉えて攻撃しており、つまり『本気で』向き合っておらず、悲しい気持ちになった一方で、全てに共通することが一つだけあり、その点のみ私は賛同します。
それは全てが『大きすぎる』ということです。
競泳で今大会最も活躍したアメリカのドレセル選手は、5つの金メダルと共に帰国し、米TV番組に出演した際、『誰も私の名前を知らない頃の方がスイミングはもっと楽しかった』と発言しました。
萩野公介選手も200m個人メドレーで瀬戸選手と決勝に残ったとき、”初めて”涙をメディアに見せ、その上で『(決勝レースでもう一度瀬戸選手と泳げることは)神様がくれた贈り物としか思えなくて、本当に今幸せです』とコメントしました。
この両名の発言に共通するのは、『メダルを取る』ためではなく、『今この瞬間の幸せ』のために生きている、という点です。
つまり、彼らは『大きいこと』ではなく『小さいこと』を大事にして生きている。
彼らの発言には本当にハッとさせられるものがあり、時代の変化も感じました。
私たちの社会は、あまりに大きくなり過ぎたが故に、機能不全に陥っています。
上記に羅列したすべての問題は、誰のせいでもなく、元をたどれば『大きくなり過ぎた』こと、裏を返せば、『大きくなることを追い求めてきた社会思想』こそが、原因であることが分かります。
これだけは、人類の永続的な“繁栄”の為に、必ず乗り越えなければならない課題だと思います。
まとめです。
私はこの五輪を通して、『小さいことは素晴らしい』という哲学を社会に取り戻すことを人生の目標としていこうと強く決意し、その為の手段としてスポーツは圧倒的に有効だ、という素晴らしい学びに出会いました。
私は“いつか、あらゆる分野で世界が『United by Emotion』し、人々が『小さいことは素晴らしい』という哲学と共に『本気で生きる』社会になっている”これだけを願って、これからも日々を『本気で』生きていこうと思います。
今週来週は夏休みの方もいらっしゃるかと存じます。
お身体には十分お気を付けて、素敵な休暇をお過ごしください。
(終わり)
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