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高松寺

参拝寺社:高松寺

宗派:臨済宗円覚寺派

リンク:http://www.kosyoji.org

一般成人の参観料:0円

参拝年月日:令和元(2019)年5月4日

 川崎から帰って来た私朱でありますが、翌日は地元横浜に残る事にしました。回れそうな所でお電話をお掛けして、お伺い出来る事に成ったのが、この高松寺です。家から出ると、雷がゴロゴロと鳴っています。恐怖の中、傘を差して歩きます。(実際、この日には神奈川県内では落雷に因る死亡事故も有り、命の危機を覚えた私は、雨合羽の購入に至りました。)駅の西側から、歩いて十分程で着く、立地の良いお寺さんです。

 臨済宗は、日本国では鎌倉時代に栄西禅師によって広められた禅宗であり、鎌倉幕府の保護を得ました。同じ禅宗でも、曹洞宗とは違って、臨済宗では、黄檗宗をも含め沢山の宗派が有ります。ここは鎌倉の円覚寺を中心とした円覚寺派を構成していますが、昔の鎌倉郡としての繋がりを示している様ですね。

 このお寺は鎌倉・南北朝時代の高松頼重を開基として、安土桃山時代に竜甫珠公が開山したと言われています。江戸時代には荒廃と再興を繰り返していた様で、また大正時代にも関東大震災が有った為、堂宇が倒れてしまいます。昭和時代に入って再建されて後は、第二次世界大戦の影響も特には受ける事無く現在に至っている様であります。

 お寺に到着して、ご本堂の前でお祈りをした後、庫裏へと向かいます。ご住職とはこちらが鎌倉郡であった事や、宿場町であった事をお話しました。その後は、ご住職の勧めで閻魔堂へと向かいました。いかにも怖そうな閻魔様がいらっしゃいます。地獄に落ちて舌を抜かれない為にも、現世では是非皆さんも善行を積みましょう。

 御朱印には、十二支十干での年号の附記も為されています。後日別の所でも同じ書き方のものを頂きましたが、それはまたご紹介致します。戸塚宿は江戸時代の東海道五十三次の一つで、程ヶ谷宿と藤沢宿の間に在りました。最初ここには公式の宿場町は無かったのですが、程ヶ谷宿と藤沢宿の間の距離の長さから、非公式に旅人が泊まる様に成ってしまったので、公認した歴史が有ります。(と、後日また別のお寺さんで聞きました。)

 また、円覚寺派のお寺約100山(※調べてみると、事情が有って、丁度100山ではないそうです。)で作る観音霊場の一つで、ここは17番目に当たります。

 それでは、またお会いしましょう!


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