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テキストメディアには高度な読解力が求められるようになるかもしれない

テキストメディアの流れとして,昔は「理解できないのは読者の読解力の責任である」という考えが主流だったらしい.昔の文豪たちの書く本が難しい理由の一つである.
一方,現代ではむしろ逆で,「理解できないのは著者の文章力の責任である」という考えが主流だろう.

この変化の背景には,テキスト発信者が増えて競争が生まれ,解りやすい文章を書かなければ読んでもらえなくなったということがあると思う.



しかし,今後はどうなるだろうか.
文章を読むのが得意でない人は,そもそもテキストメディアではなく映像メディア,あるいは音声メディアから情報を得るようになっている.

さらに,分かりやすく書かれた文章は具体例や言い換えが多用されているため,冗長になっていることが多い.
解る人なら一言で理解できることを,何百文字もかけて書いていることもザラだ.



そうなると,読解力を要しない文章は,読解が得意な人からも得意でない人からも求められなくなるのではないか,と考えられる.

内容的,論理的に必要十分なことだけが書かれ,読むのに時間が取られない文章こそが求められるようになるのかもしれない.
そうなったとき,読者側には再び読解力が求められるようになる.


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