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小木大知COOインタビュー~CEOの力を最大化できるように~

2024年1月、産声を上げた株式会社Qeight。
そのNo.2、いわゆるCOOとして事業に奔走しているのが
内田将悟CEOの親友、小木大知である。
サラリーマンとして円満な生活を送ってきた彼が
なぜ新たな挑戦に踏み切ることができ、大きな情熱を注いでいるのか。
その背景には、唯一無二の親友との絆があった。


”自分”が確立された高校時代

―まずは学生時代の話から聞きたいんだけど、当時の小木大知ってどういう学生だったと思う?

「中学生の頃までは特に何も考えずに生きていたし、特徴もなかったと思う。将来のことを意識し始めたのは、高校2年で、きっかけは3つ年上の兄貴。大学で留学に行ったんだけど、普段目の前にいた兄貴が、いざ実家からいなくなったことは印象的だった。『将来的に自分も自分で道を選んで進まないといけないんだな』と感じた。

あと、中学の時は主体的に動くことがなかったけど、高校では内田将悟(CEO)にめちゃめちゃ影響されたと思ってて。普通はみんな、しょうもないこととかドッキリとかいろいろ企画しても、なかなか実現しない。”企画するだけ”みたいな。でも、彼からは『なんか面白そうだからやんない?』ってよく誘われていて、面白そうなことは一緒にやって実践したりしていた。今の自分の行動力とか、思い切りの良さはそこから来ている気がする」

――内田CEOとは、高校の頃からかなり仲が良かったよね。

「1年生の後半から(内田)将悟(CEO)と爆発的に仲良くなったね。同じ部活の合宿が終わったときから仲良くなり始めて、家にも何回か行ったし、自転車に二人乗りとかして。おまわりさんにも何回か怒られたな(笑)」


高校時代の体育祭にて。内田CEO(左)と小木COO (右)

――大学は内田CEOと別の大学に行くことになるけれど、そこではテコンドー部に入部したと。

「テコンドー部に入ったのも、高校時の自分だったら、絶対ない選択だと思う。(高校で男子バレーボール部に入部したのは)うちの兄貴がいたからとか、(先輩から)ちやほやされたからとか、浅かった。けど、マイナーなものでも『一旦試しに面白そうなものに手を出してみる』というのは大学入学の時点で染みついていたかな。自分の頭で考えて自分で決めるというか」

――高校3年間の経験があったからこそ、チャレンジ精神を持てるようになったということだね。

「自分というものが高校である程度確立されたから、『これは合わない。逆にこれをやりたい』と自分を中心にして物事を判断できるようになった。それまでは周囲の人が『これはこうなんじゃないの』って流れができていたら、自分がおかしいと思っても『そういうものなのかな』と思ってしまっていたから。高校の頃とは違って、将悟とか兄貴が別の場所にいたからこそ、大学ではむしろ自分がそういう影響を与える側になっていた気もする」


「やりたくない」ベースでこじ開けた未来

――テコンドー部では、グループを引っ張る側に回っていたの?

「体育会という大きな会に、うちの大学の全ての運動部が属しているんだけど、体育会とテコンドー部の橋渡し的な役割をしていた。正直、そんなに責任がある立場ではなかったけど、仕事はちゃんとやっていて。当時の主将の人間関係の悩みを聞いたり、おかしいと思ったことは後輩や同期にしっかり話すようにはしていた。

テコンドー部時代の小木COO

あとは…。自分の頭で考える力の影響が出たと感じるのは、就活だね。学部(東京都立大学・機械工学部(当時))では設立15年の歴史で史上初のコンサルタント内定者だったと思う」

――15年で初はなかなか…。確かに、大学で学んでいたこととは少し方向性が違う就職先ではあるよね。

「うん。2年生の後半くらいに授業で工場見学に行ったんだけど、そこで『ネジの規格を10のマイナス○乗から10のマイナス○乗にすることができるんですよ!』みたいなことを言っていて。それを聞いて思ったのは、『これを一生やるのか…、絶対無理だ!』と(笑)。

それからは、なんで『その会社に行きたくないのか』理由を突き詰めた。人って、やりたいことを考えるのは意外と難しいけど、やりたくないことはすぐに出てくるじゃん。だから就活は『やりたくない』から始まった」

――面白い視点だね。

(前述の場所が勤務先だとすると)特定分野にしか触れないし、組織構造的に上からの指揮系統に従わないといけない。かつ、同年代の人とだけでコミュニケーションを取るから、同じような人としか話さない。そのため世界が広がらない…。だから、逆に自分がやりたい仕事って人とたくさん話せて、いろんな業界と関われて、自分とは全く関係ない年齢や職位の人と話せるような仕事なんだ、と考えがまとまってきた。

(当時の就職先の)候補は商社かコンサル。その中で『社長とか(立場が)上の人と会える。しかも、より裁量を持って会社全体を変革するような業務ができるのって何だろう』って考えたときに、中小企業向けのコンサルタントが良いのかなと。選択肢が徐々に狭まっていった」

――「中小企業向け」であることがポイントだったの?

「自分の提案で小さい会社が丸ごと変わりうるのよ。大企業向けだと、一部署しか変わらないけど、小さい規模だろうと会社を全部変えたほうが絶対面白いだろうなと思って。あと、中小企業向けのコンサルは基本的にプロジェクトメンバーが少なくて、多くても3人とか4人。入社した会社だと、配属一年目から企画書を書かせてくれるとか、そのレベルの裁量を持たせてくれた。

この決断に関しては、誰のアドバイスも受けずに決めていて。兄貴の友達とか親父の友達でコンサルをやっている人に自分から会ったりもしたし、(学生時代の経験で)特に頑張れていたと思う」

――周りとは違う決断を下して、同級生とか教授の反応はどうだった?

「(学年の)半分以上は『ふつうは大学院に行くよね?』みたいなノリだし、教授もそんな感じだったから『小木君、もったいないね。(学部での学びを)生かせる会社じゃないと意味ないよ』と言われた。けど、今でも一切後悔はしていない。大学時代の自分はめちゃくちゃ良い選択をしたなと思ってる」


ファーストキャリアでの手応え。芽生える変化への意思

――大学卒業後は、浜銀総合研究所に入社するんだよね。

「本当に理想的な環境だった。コンサル会社ではあるんだけど、完全に銀行のシンクタンク。だから、銀行の法人担当者と会社の社長が話す中で、案件があればうちにそのまま投げるスキームで、営業をしなくて良かった。加えて多様なテーマを取り扱う変革チームに入れてもらって、結果を残せばほかのチームの仕事も柔軟にやらせてもらえた。幅広くやらせてもらったことが、起業後の経験にも生きているし、ファーストキャリアとしては大成功だね」

新卒の同期との写真

――入社2年目の2020年頃はコロナ禍でもあったけど、その中でもうまく結果を残せていたの?

「2020年はコロナの影響で新人に当てられる案件がなく、目標売上高が0だったけど…。でも、そこから情報のキャッチアップと整理がうまくできるようになっていったし、任される仕事も増えていった実感がある。あとは自分の期待値コントロールもうまく働いていたから、できないものは『たぶん無理です』と言えていた。ちゃんと自分のキャパシティを把握しているから、上司も仕事を安心して任せてくれたんだと思う」

――良いあんばいで仕事をしていたからこそ、上司との関係性も良好だったと。

「『最近○○君がこういうことを言ってるんだけど、小木君は何か知らない?』という上司からの相談にも乗っていたし、仕事上及ばない人に対しても、人間関係のハブになれていたと思う。17、8歳年が離れていても、しっかり部署に対しての不満は言うようにしていた。それは自分の働きやすさにも直結するし、うちの会社に飲まれすぎず、風土を尊重しながら、変だと思うところは言うようにしていた」

――2023年末には退社の決意を固めるわけだけど、それに至るまでの流れは?

「まず、前の会社に特別不満はなかった。周りとの信頼関係も構築できていたし、出世も早い段階で見えていた。けど、自分としてはサラリーマンとして生きるなら、ずっとこの会社ではないのかな…とも感じていて。

その一つの理由が”こなれてきた感”。もちろんいろんなチームの仕事をやらせてもらって、会社によって全部オリジナルのものを作る。ただ、ある程度作業がフォーマット化されてしまい、同じような提案をしている感覚になってきた。じゃあ、一旦コンサルをやめて、大企業の経営企画に入って、違う視点で実行する側の人間として携わってみようかなと考えるようになった。コンサルはどこまでいっても第三者で、外部の人間。提案をして実行の進捗管理はできるけど、寄り添ってその会社の内部に入って自分が実際に手を動かすことは当然出来ないから。町の病院で例えると、患者さんに対して健康診断をして薬の処方まではするけど、患者さんの家まで行って『お酒やめてください』とは言えないじゃん。また来てくれたお客さんに対して、薬を出すみたいな進捗確認や実行支援はできるけど、実際に家に訪問して片付けするとか、そういうことをやってみたい気持ちになっていたね。

とはいっても…。転職活動をしていたわけではなかったし、起業の熱意があるわけでもなかったよ」


人生を変えた、2023年12月2日

――なるほど。じゃあ前職のまま働くイメージがベースとしてはあったわけだね。

「役に立てそうなら、起業の話には乗りたいとずっと思っていたよ。その中で11月の中旬に(内田)将悟(CEO)と飲んだんだけど、『俺やっぱり起業するわ』と彼が言っていて。自分としても経営者の右腕のポジションになりたいし、そこの適性はコンサルでも磨いて発揮できている。『俺も協力するよ』という情報発信をした後、12月2日に温泉に行くことになった。その日が、自分の運命が変わった日。6時間、ふやけながら話を聞いた。彼の法人を立ち上げたいという思い、そして全てのリソースを割いて二人三脚でやってくれる人を探していると聞いた」

――6時間も。相当な熱量だ…

「もちろん、温泉に浸かったり出たりね(笑)。まあでも、内田将悟という人間のキャリアをよく知らない自分からしたら、めっちゃ衝撃を受けたよね。同時に、考えている度合いやスケールに尊敬しかなかった。そのときはサラリーマン的視点にとらわれていたけど、彼は『事業どうこうではなく、やりたいことをやればいい。できなかったらできる人にお願いして任せればいい』と。サラリーマンだったら当然そんな権限を持っていないし、発想の違いに頭を全力で殴られたような衝撃を受けた」

――ともに起業してほしいという内田将悟CEOの請いに対して、すぐ返答できたの?

「『ちょっと考えさせて』と言って結論を出したのは12月6日。考えに考え、考えた結果として『会社勤めを続ける』結論を出した。一つが金銭的なところ。そして、もう一つがマジで能力に自信がなかったというところ。将悟の話自体は本当にすごいと思ったし、『夢を叶えて欲しい』と友達として心から思った。ただ、それを自分の好奇心とか興味で簡単に壊してしまうのが申し訳ない。役に立てなかったときに、将悟に気を遣わせてしまうのも申し訳ない。という理由で、断ろうと決めて、電話をした。

12月6日の朝。『じゃあ断りの電話いれてくるわ』と妻に言って家を出て、その日の午前中は当然仕事をするんだけど…。めっちゃもやもやしたんだよね。『俺、この会社でこのままやっていくのか』と。いま思えば、頭で考えている以上に、たぶんやりたかったんだと思う。

それで、その日の昼、将悟に意味の分からない断りの電話を入れるんだよね。『俺めちゃくちゃ悩んでるんだけど、こういうことを考えているからめっちゃやりたい。ただ、金と能力はめっちゃ不安なんだ」と。こう話すとさ、いかにもやりたい人っぽいよね。でも最後に『これ断りの電話なんだけど…』って言ったら、将悟が爆笑していて。『何言ってんの、おまえ。どっちだよ?w』みたいな。それから自分のやりたい気持ちの強さ、自分の金銭面と能力の不安を言ったら、『金は最悪俺が貸す』とまで言ってくれた。能力に関しても、将悟は『マインドさえしっかりしていれば問題ない。一ヶ月くらいでマインドを固めて、それでもおまえが足を引っ張るくらい仕事できなかったら、おまえのことを俺が笑ってやるよ』と」

――熱いメッセージだ。

「そこではじめて心に決めて、晴れやかな気持ちでその日は仕事できた。ただ、家に帰って『俺やることにしたよ!』って妻にすがすがしい気持ちで言ったら、『え、どういうこと?朝には断るって言って出ていったよね』と…。一週間くらいもめたけど、お金のところ含めて、なんとか話し合ってクリアできました(笑)」


親友と作る、Qeightのここから


小木COO(左)と内田CEO(右)

――今年2月からCOOとして動いているわけだけど、具体的には何をしているの?

「最近のタスクでいうと、契約書のフローとか、経理のところを詰めているかな。細かいところは今後も自分のタスクになると思うし、いわゆる総務部長と営業部長を兼ねる立ち位置にいると思う。総務部長は完全に自分のみだから、バックオフィスやってくれる人はめっちゃほしいなと(切実)。あとは、人事コンサルの仕事も2件担当している。

営業も経理も未経験。でも、論理立てて話すとか、サービスを説明するとかはありがたいことに好評をいただいていると実感していて。説明の仕方もうまくなってきたし、複雑な内容を構造化して整理する自分の強みを生かせているかな」

――会社を設立して約2カ月が経過したけれど、ここまでで見えてきたものはある?

「自分の変化でいうと、マインドは完全に変わってきた。今までは自分の働き方とかキャリアを考えていたけれど、1週間前くらいから『うちの会社が良くなるためにはどうすれば良いんだろう』と。会社主体の考え方に変わってきたし、自分も将悟も会社の駒にすぎないというか。自分が働いたことで自分が満足するのではなく、会社が大きくなることが今の幸せにつながっているようになった。今までは良い仕事をして、上司に褒められる、評価してもらえるという自分主体の働き方だった。ではなく、自分は二の次で、結果として会社がどうなったかというのが一番大事なのだと。

Qeightとして何が見えてきたかは…。理想は将悟と全く同じ意見で、Qeightという組織が自分と将悟の手を離れて、自走して安定収益を稼げるようになるのが一番良い。まずはそのゴールを達成したい。リソースが空けば、会社運営にとらわれず、自分自身好きなことをできるようになる。まずはお金を稼ぐ仕組みを作りたい。

自分で言えば、最強のラーメンを作りたいんだよね。めちゃくちゃ美味しいラーメン屋の店員をスカウトしたり、一緒に味見とか店舗の立ち上げも協力したり…、自分の求める味のラーメン屋を作ってオーナーを務めてみたい。そういうリソースを確保すること、自分のやりたいことを自由にできるようになるのがまずはゴールかな」

――経営者の”最高の右腕”になることを目指している小木COO。最後にNo.2として、今後の意気込みをお願いします!

「正直、No.2の定義はいまだに分かっていない。けど、今の自分自身の答えでいうと、風呂敷を広げるのが一番上の経営者。その広がった風呂敷を回収して、それぞれのアイディアの実現可能性を全部検証していくのが、No.2だと思っている。うちはスタートアップだけど、世を変えられるプロダクトを生み出す会社ではない。とはいえ、事業の方向性がでかい傾向にあるのは、将悟を見ていて思う。だから、夢追い人だけど現実的な視野を持てるようにというか。今後はたぶん(年齢が)下の人も入ってくるだろうし、事業を実際にやってもらう人も出てくる。その人たちと経営者をつなぐ架け橋になれたらいいかなと。現実的な部分で経営者の夢を落とし込み、実現可能なところまで、レベルを合わせてあげるところに努めていきたい。

あとは、将悟が苦手なところは自分が全部できればなと。経理とか契約書とか、やれていないところは責任を持ってやっている。当初の契約書はちゃんとできてなさそうだったけど、セミナーに参加して、積極的に情報収集もしているよ」

――良い補完関係ができあがっているね。

「あいつが大雑把で、自分が細かいというのは多少あると思うから、そこで支えたい。将悟が2人いるよりは、将悟と俺のほうが会社は回る気がする。あいつの力をかけ算によって最大化させてあげるのが仕事だし、会社全体のハブになれればいいかなと。親友として信頼関係がある中で事業を進められているし、あいつの夢のためにちゃんと働いている。それが自分のためでもあるし、そこに幸せを感じられているのは本当にありがたいことだと思うな」


取材後記

読んでいただき、ありがとうございました!
内田将悟CEOとの強い絆があるからこその、新たな挑戦。
一見安定した立場を捨てて、未経験の分野に果敢に挑戦する姿は
高校時代からの友人として誇り高いです。
そして、小木大知の一番の魅力は、親しみやすさにあると思っています。
偏屈気味な私も、彼の優しさに助けられてきた部分がありました。
…ただ、皆さんに一つ留意いただきたいのはお酒の席。
飲ませすぎると、若干長話する傾向にあります。
その際はどうか、笑って許してやってください。
それでは、株式会社Qeightを、よろしくお願いいたします。
Text by Takumi Fujii(xアカウント:https://twitter.com/TakumiFujiii)

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