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ハッピーランド

人生で初めてスラムというものを経験した。
私が泊まった場所から電車と歩きでその場所へ向かった。Tutubunという駅から出ると、少し汚いレベルのフィリピンのマニラではまぁありそうな街並みであった。そこからスラムへ近づくにつれて次第に街の雰囲気も変わっていった。そして近くの水辺地区では、自分たちで建てたであろうバラックの家が並んでいた。平日の昼間であるのに5歳から7歳くらいの子供たちが親の仕事の手伝いをする様子も見受けられた。そこから歩いて10分ほどで歩くとついにスラムの町へと到着した。
その場所の名前はハッピーランド
正直言って町の入り口部分はスラムではないかもしれないと思う雰囲気であった。たしかに他の場所よりは建物は歪な形をしていたり裸の子供がいたりするなどはあるがイメージとは違っていた。そして次第に中に入って行くと意味がわかった。
ゴミの山である。
そこの住民たちはゴミ捨て場で生活をしていた。もちろん踏む場所はゴミの上であり、ゴミの上だからなのか、地面がふわふわであった。仕事はペットボトルの分別、またある人はゴミを漁り使えそうなものを探す。また違う人はゴミの中から食べられるものを探す。奥に入るにつれ、臭いがひどくなり、足の踏み場も無くなっていった。もちろんそこらじゅうゴミであるためハエが集っていたり野良犬が食べ物を探したりしていた。危険な場所にいることは理解しているから印象だけは良くしようと笑顔で挨拶を振りまいていた。最深部に着いて、そこの人たちと話してみるとパグパグを食べろと言ってきた。〔パグパグとは、飲食店などから出た残飯を揚げ直した食べ物である。〕断るとすごく嫌な顔をされたが、本当に食べることのできない見た目であった。そこの住民たちは毎日のようにそのような食事をしていると考えると悲しくなった。子供たちは学校へは行ってるのかと聞くと行ってる子もいれば行けていない子供もいると言っていた。たしかに住民たちと話した感じでは英語を話せる人の割合が他の地域と比べて少なかった。子供から大人まで一日中ゴミを漁りお金を稼ぐ。劣悪な環境であり、栄養失調や、伝染病になっても貧困により病院に行くことすらできない。そのような現状であった。しかし、そんな環境下であっても住民達はすごくいい笑顔であった。挨拶をすれば笑顔で返してくれる。たまたまかもしれないがお金を求められることはなかった。ゴミだらけの場所で走り回る子供たち、壊れたリアカーのようなものの上で話している子供たち、トランプで賭けをしているおじさんたち。いろいろな人が暮らしている場所ハッピーランド。国、貧困、環境、自由、スラム、生きぬく力などいろいろなことについて考えるきっかけとなる場所であった。本当に、日本に生まれてよかったと感じたし、なに不自由なく育ててくれた両親、優しすぎる兄、アホな友達、尊敬できる人たち、素晴らしい環境下で生活をしていると感じた。これからはもっと感謝して生きるようにしようと思った。

入り口部分
中間部
深部
パグパグを勧めてくれた家族

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