AIの絡む戦術論(将棋編)

私のことを知らない人も多いかと思うので、まずは自己紹介から行きます。
私の棋歴としては、5歳から将棋を始めて今年で20年になる25歳の元奨励会初段です。
奨励会を退会してからアマチュアの大きな大会にはあまり参加しておりませんが、過去に加古川清流戦アマ予選でベスト4(プロ公式戦まであと2勝)と、朝日アマの全国ベスト16(プロ公式戦まであと1勝)という結果が出ています。

また、今は閉店となってしまいましたが、所司一門将棋センター青砥店の席主をしていたこともあります。要するに、レッスンも出来ます。

一時は将棋から距離を置いた時期もありますが、人生の8割近く将棋に費やしてきた人間として、これだけは言っておかないと気が済まない持論があるので、今回の記事にて筆を取った次第です。

①必要なのは感謝とリスペクト

「藤井ブーム」のおかげで将棋人口もかなり増えたと聞いています。彼の記録を取ったことも過去にありますが、まあ、強いの一言ですね。それでいて謙虚で聡明。賢い人です。
彼の存在感の大きさ、素晴らしさによってプロ全体のレベルも上がってるような気さえしてしまうほど、今や絶対王者なわけですが、彼を含めたプロ棋士を「応援」している方々に目線を向けるとどうでしょうか。
ニコニコ生放送などで棋士にあだ名が付いてたり、棋士がSNSやったり、イベントで実際に「生」でプロ棋士をお目にかかることも以前より増え、棋士と「ファン」の距離感が圧倒的に縮んだと思います。
今の自分は業界の内部の人間ではないですが、「ファンあっての将棋界」なのは間違いないので、棋士側としては有難いことだと解釈することにしています。
一方で、一部のマナーのなってない「ファン」の発言や行動が最近のSNSを見ていると目立ちすぎるように感じます。素晴らしい将棋を観させて貰える立場として、感謝とリスペクトが足りないよ、君たち。そういう人間共には私は「将棋ファン」と名乗って欲しくないし、呼ばないことにしています。

将棋は、「ブーム」ではなく、「文化」に残して欲しいです。

②「評価値」を「自己評価」する

「AIの絡む戦術論」と題しておきながら、まだここまでAIの話を全くしていませんが、時代の移り変わりということもあって、もはやプロレベルの人間でAIを用いた研究をしていない人は絶滅危惧種になっています。
今や私は「そっち側」の人ではないですし、今後アマ大会出ることになったとして、自分の手の内を晒すことにも繋がるので初期値が何点出てるかとか専門的なことは書きませんが笑、アマ同士で将棋を指す想定だと±300点なんてのは、「どーでもいい」「有って無いような点差」なのは理解して頂きたいことです。頻繁に悪手が飛び出る世界ですから。
相手が強くなるにつれてこの±がどんどん縮んでいって、私個人が全国レベルでギリギリ許せるラインが-200点台ってくらいです。ちなみにですがプロ同士が200点差がつくと勝率六割くらいらしいです(前に渡辺明先生がYouTubeで解説してました)。
AIを使った事前研究は勝つための手法として現代将棋のトレンドになりましたが、「最後に勝つ」には地力が必要なのであって、普段の棋譜並べや詰将棋といった地道なトレーニングを疎かにしているようでは志が低いと思います。

大事なのは「AIとの付き合い方」。ここまでの-200なら地力で勝負に出来る、といった線引きを自分の中に持つことがAIを使いこなすコツなのかなと思っています。「評価値」を「自己評価」してみてください。 

③「研究」への私の拘り

最近の私は定跡の事前準備に「研究」という言葉を使わず、敢えて「ハメ手」とか、「ネタ」「仕込み」みたいな自分を卑下する言葉を使うように拘っています。あくまで持論を語る場なので語らせてもらうと、「研究」はプロ筋の人間、つまり棋士や現役の奨励会有段者以上の人間達が作り上げる「至高のとっておき」であって、そこに各々の美学があると思ってるので、自分のようなプロ崩れごときが「研究」なんて言葉使うのはカッコ悪いし失礼だ、ということにしています。

だからYouTubeのオススメ動画に「神研究」みたいなサムネイルの動画が流れてくるとどうしてもイラッとしてしまうんですよね笑
だってどーみてもパソコンの前で点がどーのこーの言ってるだけで大事な大局観とか抜けてるし、そもそも「自分で考えた」訳じゃないのになんでこの人達は偉そうにしてんのって本気で思う。なんなら昭和の棋譜並べてると似てる構想の将棋とかザクザク出てくるしw
まず、「オリジナル」とか名乗ってんじゃねーよ。リスペクトにしろや。
地力(自力)で読めない奴の言うことなんか信じなくて良いよ、「本物のファン」の皆はね。




拝啓、将棋YouTuber信者始め、全偽物のファンの皆様へ。
僕はあなた方が大嫌いで、こう思ってます、「クソ食らえ」。


あの日、あの時、あの場所での出来事が今日に繋がるのは確かだが、犯してきた罪と過ちの分、将棋指して償います神様。

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