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怖くて不思議なもの|畠山鎮八段

子供は謎めいたものや、不思議な現象に興味をもつものだ。私は五歳になるかぐらいの時、(数をずっと数えたらどこまでいくのだろうか?)と無性に気になって眠れなくなった。
一人になると常に数字を数える、3千から4千、そこで止まると次の日は要領悪くまた一から数える。当時住んでいた札幌の小さな社宅内でも(なんだか気味の悪い子供だなあ、)ともて余されていたような気がする。日常では大きな数字になかなか縁がないが、間もなく大きな数字がどんどん出てくる宇宙の百科事典を取り付かれるように眺めていた。当時はインターネットがないので、両親も数字や宇宙のことをいろいろ訊かれて、大変な苦労だったろう。空想上では冥王星から太陽系を出て、シリウスからペテルギウス、アンドロメダ銀河までたどり着いて眠りにつく。[光速ロケットで行けば歳を取らない]と知り、大人たちに「僕、宇宙の果てを見に行きたいけど、どうしたらお母さん同じロケットに乗ってくれるかな?」と言っていたそうだ。5歳の私は神童だ!13歳になった時はただの…凡人になるのだけは古来の言い伝えより何年も早かった。

不思議の世界は他にも私を魅了した。子供らしく超常現象関連の本を買い、心霊物などにも興味を持った。1980年前後は視聴者から寄せられた[宇宙人が居た!][夜寝ていたら、何か物音が!部屋の鏡に見知らぬ女の人の姿が映り…]などがテレビ番組で取り上げられた。
一つ一つの真偽は私にはわからないが、UFOや怪奇現象の研究家なる人達の語り口は一様に達者で、UFOの種類や幽霊の特徴、視聴者から寄せられた写真や動画に見える謎の顔などの解説をする。放映後は怖くて眠れないほどだった。
翌日は学校のクラス中で盛り上がるのだが、「番組の度に突然呼びつけられるUFOやコックリさんは忙しくて大変だなぁ、誰か頼むのかな?」などと呟いて、場がしらけて無視された苦い記憶もある。
奨励会試験に落ちてからは、(もし棋士になれなかったら)(10代のうちに棋士になれなかったら)、棋士になると(このまま強くならなかったらどうしよう)それが怖くて、「宇宙人を見た」「何処何処のホテルは軍服の兵隊が出るらしい」とか聞いても、対局に影響が無いことなどどうでも良いというか…。非日常的な事を恐れることは日常に余裕があって幸せで、健全なことなのだと思う。

昨今は[像の謎の声、不気味な人の姿]などもAIにより正体が解析されたせいか、超常現象のテレビ番組はすっかりなくなってしまい、楽しみが、怖いものが一つ無くなった。
個人的にも御朱印巡りでたまたま訪れた人形供養の寺院で、やたら髪の毛の長い人形をガラス越しに見つけて、(これはテレビで視た[髪の毛の伸びる人形]なのかな?ならなぜ伸び続けるのだ?俺は抜け毛がひどいのに…)と夜間しばらくの間じっと睨んでいたら、私の姿が怖いのか、住職さんに恐る恐る話しかけられた。

今の若者を見ていると、日常、非日常含めて怖いものがあるのだろうか?怖い兄弟子、先輩など将棋界、一般社会で見当たらなくなったようだ。
私は2001年から9年間、奨励会幹事を勤めていた。当たり前のことを叱咤する日々だったが、自身厳しい昇級争いをしていたせいか、当時の奨励会員、弟子達には私の叱る姿が今も怖い思い出として残っているそうだ。

その後も変わらず厳しく将棋に取り組んでいるつもりだが…この一年、私が修行時代に怖かったベテラン棋士達をモデルにした「浪花の師匠」なるものを動画で演じた。
煙草は吸えないから、ココアシガレットを加えて、河内弁で[戦後の貧しい、棋士が報われない時代を将棋一本で切り開いて生きてきた]そんな棋士たちの誇り、時代に取り残された空回り感(失礼)などを物真似する。これが一部関係者には懐かしさなどで爆笑ものらしいのだが、先日イベントで「浪速の師匠」として登場したら、普段メンタルが強く動じない斎藤八段も師匠である私の仮装を見て、動揺するやら戸惑うやら…。(次は師匠何のキャラを演じるのか?何の物真似をするのか?)怖くて仕方ないと聞く。

弟子たち、後輩達へ、偉大な先人も「人間怖いものがあるうちが大きく伸びる」の言葉がある。どうか多めに寛大に見守ってほしい(笑)
そして私も怖いものを常に意識して、日々身を慎み過ごしたいと思っています。