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書くことはえらいことだ|浦野真彦八段

 原稿がキライだ。ついでに言うと、締切はもっとキライだ。シリーズ本を出しているのに何を言っているのか、と思われるかもしれないが、嫌なものは嫌なのでしょうがない。

 若い頃は、今以上に原稿がキライだった。依頼があると、締切がないなら、という条件を出し、その結果けっこうな確率でお流れになった。そういうときは、申し訳なさよりもホッとした気持ちの方が強かった。我ながらワガママだなぁ、と思う。
 ただ、そんな私でも原稿を引き受けることがある。たとえば、25年ほど前の暑さ厳しい日のこと。当時は東京将棋会館にあった将棋世界編集部で、付録を頼まれた。戦法や手筋の講座ではなく、「詰将棋をお願いできませんか」というありがたい話だった。しかし、その日の私はまったく気が乗らず、いつも以上にワガママな注文を出してしまった。
「内容自由で締切なしなら考えてみますけど」
すると、ゆったりとした声の編集長から予想外の言葉が返ってきた。
「気長に待っています」
ノータイムでのその一言を聞いて、体のどこかがゾワッとするような感覚を味わった。琴線にふれる、というものだったのかもしれない。その場では「考えてみます」と言って帰ったが、しばらくして、とりあえずやってみるか、という気になり、ほどなく、やる以上はいいものを、となった。付録の原稿は、慣れた人ならひと月あれば提出できる分量だったと思う。それを私が終わらせたのは、翌年の夏がやってこようとしている頃だった。なんというスローペース。それでも、編集長から催促されることは一度もなかった。

 ハンドブックシリーズのスタートである『5手詰ハンドブック』のときは、はるか遠くの締切、装丁担当者の指名、納得するまでのゲラチェックなど、数多くの条件を出したらすべてOKとなり、後に引けなくなった。執筆中は「こんな大変なことはもう二度とできない」と言いながら七転八倒して、ようやく出版までたどりついた。すべてを出し切り、その一冊で終わりのつもりだったが、どういうわけか気が付くとシリーズ化していた。原稿がキライ、締切もキライなのに、どうしてこうなったのだろうか。サッパリわからない。
 ハンドブックの出版までには、問題の制作、検討、選題。解説文やまえがき、帯の相談、ゲラチェックなど様々な作業があり、いつものことだが間に合うのかどうかプレッシャーと戦うことになる。いつだったか、締切ギリギリで不安になっていたときのこと。浅川書房の浅川浩さんとこんなやりとりがあった。
「遅れてもいいですよ。浦野さんの気がすむまで、とことんやってください」
「えっ?でも発売日決まっていますよね」
「そんなの、遅らせればいいだけだから」
現在、10冊の本が書店に並んでいるのは、やれることはすべてやりたい、妥協はしたくない、という著者のこだわりに付き合ってくれた人達のおかげだと思う。感謝しかない。

 いつかは、と思っているものに、自作詰将棋作品集がある。十代の頃は、すぐにでも出したい、と思っていたが、残念ながら収録する作品がなかった。還暦近くなった今は、作品はあっても原稿を書く熱意がない。誰かに頼まれたわけではないので、締切はない。出版しなければいけない理由もないが、遠い昔抱いていた作品集へのあこがれだけはほのかに残っていて、とりあえず過去の発表作からベスト100は選んである。図面用紙の束を見た女房には「遺作集になるのはやめてや」と言われている。さて、どうしたものか。

 noteの依頼を受けたのは、昨年の8月下旬だった。このコーナーは若手棋士のイメージがあり、大のつくベテランは出番がないと思っていた。メールの最後に記された「締切は9月末」という文面にも腰が引けたので、担当の職員さんには「締切なしでいいなら考えてみます」と返信した。これで「またの機会にお願いします」となるのかと思っていたら、すぐに届いた返信には「締切なしでも全く問題ございませんので、是非ご検討いただけましたら幸いです」とあった。締切なしでも、と言われても、25年前のように心が震えることはない。それでも半年ほどたって、書いてみようかな、という気になった。私にとっては長文となった今回、伝えたいことはひとつだけ。塚田正夫先生の名言をお借りすれば、書くことはえらいことだ。