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充実した酒飲みライフ|西川和宏六段

 私がお酒を飲み始めたのは奨励会三段の頃。奨励会の間は飲酒禁止の門下もあるが私の師匠は放任主義で少し酔って帰っても何か言われることはなかった。許されたのは師匠が根っからの酒飲みなこともあるだろう。修業時代に飲酒するのはよくないのではと思う方は多いだろうが私の場合はお酒を飲めたことが大きなプラスになったと思っている。飲めることで記者の方や先輩棋士と交流が広がりたくさんのことをご指導頂いた。

 その中の一つが仕事の打ち上げで小林裕士七段にVSに誘って頂いたこと。月に一回のVSは朝一局指して昼食をご馳走になり一局指し、その後用事がなければ飲みに連れて行ってもらうという贅沢な一日となる。小林七段は切れ味の鋭い攻めの棋風で私がそれを受ける展開が多く、一瞬隙を見せると一太刀。切られることがほとんどだったが三段リーグを勝ち抜く受けの力が身に付いたように思う。小林さんは飲むときも切れ味鋭く、私がビール1杯飲む間に2杯。その間わずか5分~10分でここでも剛腕。毎回が鮮烈な楽しいお酒で修業時代の大きな息抜きになった。このVSは最大の勉強で最大の楽しみだった。

 楽しいお酒がほとんどだったがそれだけでもない。初めて記者の方とご一緒した時に粗相をして烈火のごとく怒られ震え上がったこともある。それまで何も考えず将棋を指してお酒を飲んできたが、食事の席での礼儀について考えるようになった。厳しいご指導を頂いたおかげで酒席での振る舞いが前より幾分ましになったと思う。なおその記者の方とは今もたまにご一緒させて頂いており、楽しく飲ませてもらっている。お酒を飲めることで修業時代の息抜きになり、また礼儀を身に付けるよい機会も多くなった。

 奨励会の頃は自分から誘って飲みに行くことは少なく先輩棋士に誘われたときに行くことが多かったが、棋士になってからは自由に使えるお金ができて同世代の棋士と飲むことが多くなる。よく飲んでいたのが稲葉八段と船江六段で週3くらい飲んでいた時期もあった。小学生の時からの付き合いで気を遣わずに飲める。船江さんと対局後に飲むときは「あの将棋負ける奴はおらんやろ」とか「何がしたかったん」とか暴言にしか聞こえない挨拶から始まり「ほんま雑魚やな」など暴言らしきさよならの挨拶で閉会することが多かった。歯に衣着せぬ物言いで煽り合うのが楽しく定跡となっている。将棋の話はほとんどなくて日常の話が多かったが今思えば代わり映えのない日々によくそんな話題があったなと思う。稲葉八段はそういった汚い言葉は使わず美味しいお酒を味わって飲む棋風。(ある程度までは笑)和食の店で男2人、大人な飲み方が多かった。

 30代に入り同年代の棋士と飲みに行く機会が格段に減り、一人で飲みに行くことが多くなった。安くてうまくて感じのよい和食屋や立ち飲み屋を探すのは楽しくて、かなりはまった。一人飲みも主役は店員さんや常連の方との会話でそれが楽しい。また将棋から完全に離れるのでよい息抜きにもなる。常連同士で飲み歩くこともあったりとこれまでの飲み方と違った楽しさに目覚めた。

 そんな生活が続いていたがコロナで状況は一遍、楽しい一人飲みが制限される。家飲みをするようになったが話す相手がいないのでYouTubeや映画を見たりする。気軽に飲めるのはよいところで最初はこれもありかなと思っていたが数か月で限界を感じるようになった。これまでの主役は人との会話だったがこれからはお酒そのものが主役になる。家飲みに工夫が必要と考え実践したのがいろいろな種類のお酒を揃え、いろいろなおつまみを自分で作ること。これまでは最初の一杯がアサヒビール、その後はレモンチューハイか頂いた日本酒という流れだったがまずはそこを変える。ビールはアサヒ、エビス、サッポロ、キリンなどをまとめ買いし、いろいろな種類の日本酒を酒屋や百貨店で買い、一日でいろいろ飲むようにした。つまみもこれまではスーパーのお惣菜だったが材料を買い一から作るようにした。アサリの酒蒸しには和歌山の「紀土」、豚の角煮にはアサヒスーパードライ、肉野菜炒めにはエビスと自分なりの定跡ができた。お酒と料理を自分好みに合わせるのはバリエーションも多く楽しい。会話のない寂しさはあるものの前よりは格段に充実した家飲みになった。

 お酒を飲み始めてから15年、状況により変化はあるが楽しんでこられた。これからも充実した酒飲みLIFEを送っていこうと思う。

 大変な日々が続きますがファンの皆様と楽しく飲める日を心待ちにしております。酒飲みのとりとめのない話に付き合って頂きありがとうございました。