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最初の一歩|井田明宏四段

新四段の普及活動の最初の一歩は、将棋ファンの方に知っていただくことだと思う。今回このような機会を頂いたので、この場を借り自己紹介させて頂こうと思う。

1996年12月6日生まれ。同学年は関西だと黒田五段がいる。出身地は聞かれたときにいつも悩んでしまう…というのも生まれは山口県なのだが、住んでいた期間が長いのは僅差で京都府なのだ。どうやら出身地とは子供の頃に長く過ごした土地とのことなので、京都と今は答えている。

将棋と出会ったのは山口に住んでいた頃である。新聞の将棋欄を見て興味を持ち、父にルールを教わった。もしこの時に興味を持ったのが隣の囲碁欄だったら今頃どうなっていたのだろう…笑
この頃は道場なども近くになかったので、普段はネット将棋で棋力をあげていた。その為、夏休みなど長期休みに関西将棋会館道場に行くと一気に昇級した。それが楽しくて飽きることなく続けられた。やがて京都に引っ越し、道場に通いやすくなると更に将棋にのめり込み、プロを目指すことを考え始めた。

奨励会試験は3回目にしてようやく合格した。この時13歳。ここから約10年にわたる奨励会時代が幕を開けることになる。
「奨励会で苦労したのはいつですか」と尋ねられたら、すぐに4級と三段の頃と答えると思う。まず4級では1年9ヶ月も停滞してしまった。降級点も何度も取り、退会を考えたことも一度ではない。そんな状態を抜け出すきっかけになった出来事が2つある。

1つ目は藤井二冠、服部四段、古賀四段ら奨励会の後輩がすごいスピードで昇級していったことだ。彼らの存在は大きな刺激となった。追い抜かれまいと頑張ることでぶつかっていた壁を乗り越えることができた(結局追い抜かれてしまったが…)。
2つ目は奨励会退会を意識して自分を追い込んだことだ。高校1年生の1月頃、4月までに昇級しなければ退会すると両親と約束した。3月に滑り込みで昇級することができたので、それからも「〇月までに〇級に上がれなければ退会」という目標を立てることにした。それを毎度ギリギリでクリアし、高校3年生で初段、18歳で二段、20歳で三段に昇段していった。三段に昇段した時は嬉しすぎて、翌日に行く予定だった成人式をすっぽかしたのを覚えている…。

三段リーグは計8期戦い、結果は順番に8-10、9-9、12-6、12-6、10-8、13-5、11-7、13-5だった。三段リーグは本当に熾烈な戦いの場だと思う。一瞬の油断で逆転負けを喫したり、逆に九死に一生を得たことも何度もあった。四段に昇段した日は間違いなく、これまでの人生で一番いい日になった。

三段の頃から始めたことが2つある。1つは雁木戦法だ。最初は上手く指しこなせなかったが、今では戦法の中で一番自信のあるものになった。雁木とは病める時も健やかなる時も共に生きていきたい!笑
2つ目はランニングだ。将棋は座ってばかりの競技なので運動はした方がいいと思っていたが、勉強の時間は減らしたくない…そこで将棋のことを考えながらでもできるランニングを始めた。また、走ることで培われる体力や精神力は将棋にも活きると考えた。棋士にはランニング愛好家が多く、時には久保九段や服部四段と一緒にマラソン大会に出ることもあったが、最近はこのご時世ということもあり一人で走ることが多い。またみんなと一緒に走れる日が待ち遠しい…!

ここまで長々と文章で自己紹介をさせて頂いたが、棋士の最大の自己表現の場は対局だと思う。今後の対局を通して自分のことをもっと知ってもらえるように精進したい。最後までお読み頂きありがとうございました。