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新・四段昇段の記|黒田尭之五段

最近、ひょんなことから自分の書いた「四段昇段の記」を読み返す機会があった。
懐かしい。早いもので、あれからもう三年が経とうとしている。
楽しい思い出はほとんどない。けれど、自分の人生を振り返る上では決して欠かせない。
三段リーグ。
今なら当時とは違った、冷静な感情で語れる気がする。

「三段まで行って、ようやく半分。」
三段リーグの過酷さを表現する上で、よく使用される謳い文句だ。
私の場合は6級で入会してから三段に上がるまで約4年、そこから四段昇段まで12期6年かかっているので半分どころの騒ぎではなかったのだが、それは後から分かったこと。
三段に上がった当初は、すぐに上がれると思っていた。

実際、最初の数期はひどい成績が続いたものの、悔しさはあっても悲壮感はなかった。
実力が足りないまま三段に上がってしまったとは言え、少しずつその差を埋めている実感はあったから。

異変に気付いたのは、さらに数期を経てからだった。
明らかに強くなっていたし、リーグの成績も良くなっていた。
けど、昇段するには何かのピースが欠けていた。
11勝、12勝を挙げては「来期こそ」と決意する。
大学も休学して、勉強時間だって増やした。
でも、何かが足りない。

自分の棋力は確実に伸びている。それでも結果はついてこない。後一歩、という状況は続いた。
強くなっている実感とは裏腹に、どんどん自分の弱い部分に気付いていく。自信を失っていく。
大好きだったはずの将棋に触れれば触れるほど、恐怖が増していく地獄。
自分の中で、何かが壊れていく感覚があった。

ある頃から、体にも異変が訪れた。
夜になると眠れないのだ。
暗闇で目を閉じていると、瞼の裏に将棋界から去る自分の姿が映る。叫びそうになる。
不思議なことに、明るい昼間はぐっすりと眠れた。
家族には生活習慣が乱れていると心配されたし、時には小言も言われたが、当時はそんなことを気にする余裕もなかった。

ずっと続くかと思っていた地獄は、ある日突然解消された。
と言っても、その理由は今でも分からない。
普段の勉強法やプライベートで大きな変化があった訳でもないのだが…
とにかく、急に霧が晴れたような感覚があった。
プレッシャーや恐怖は完全に消え去ってはいなかったが、盤に向かうと集中できるようになり、ほどなくして四段に昇段することができた。

昇段が決まった直後のことは、いろいろな感情が混じり合って、覚えてないことも多い。
しかし、打ち上げの席での、当時の奨励会幹事だった近藤正和七段の言葉だけは強烈に印象に残っている。
「君たちは晴れてプロになることができた。けど、その裏にはプロになれずに退会していく人だってたくさんいるんだ。自分のためだけに頑張っていれば良かった今までと違って、今後はそういった人たちの思いも背負って生きていかなければならない。」
そうだ。ここはゴールじゃないんだ。

棋士になれて、もうすぐ三年。
正しい方向に進めているかは、分からない。
けど、辿り着きたい目的地は設定できた気がする。
遠回りしたり、時には独りよがりな文章だって書いてしまうかもしれないけど、一歩ずつ進んでいこう。