見出し画像

洗顔ネット/農協ヨーグルト/ブロッコリー・レボリューションとF4 Thailand(2023年1月5日の日記)

今年はもっとダラダラ、仕事とは関係ないnoteなんかを書きたいなと思っている(思っているだけ。どれだけ書けるやら)。

2023年1月5日の日記。

・洗顔ネット

近所のいなげやで洗顔ネットを買った。

去年の後半だと思うが、NHKで、石原さとみが洗顔の仕方を学んでいた。どこかの美容部員のひとが、1日2回、ぬるま湯でめちゃくちゃしっかり泡を立てて洗うんだ、ぬるま湯というのは思っているより温度が低いんだという話をすると、石原さとみが、わたしぜんぜんこんなちゃんと洗顔してなかったかもしれない、という趣旨のことを言っていた。それで「石原さとみがまだやってないのなら、おれが今からちゃんと顔を洗っても大丈夫なはずだ」(意味不明)と思ったのだった。

べつにこれまでだって朝晩2回くらいは洗っていたし、化粧水とかクリーム塗るくらいのことだけはしていたのだが、最近やたら年齢を感じるのでもうちょっと丁寧にしたほうがいいのかなと思っただけなのだけど。

そんなわけで、しばらく、こう洗顔料を手に取って、親指の丘のところでチャッチャッチャッチャッと小刻みにスピーディに泡を立てるあれをやってみていたのだが、ものの数日で腱鞘炎みたいな痛みが出てきてしまい、あっさりやめた。それで、洗顔ネット買えばいいじゃんと思ったのだが、年末の寝違えと胃腸炎とかですっかり忘れていたのをようやく買った。泡がむっちゃ立つ。立つのだが、そのあと泡をどう扱えばいいのか、持て余している。要練習かもしれない。

・農協ヨーグルト

1歳児に病院でもらった麦芽糖やら薬やらをあげるのに、ヨーグルトを消費する。上の子のときもそうで、小さいときはハイペースでヨーグルトをあげていた。

上の子が小さいときは鹿児島にいたもんで、近所のイオンとかで「球磨の恵み」というちょーおいしい熊本産のヨーグルトの1kgパックが400円代とか(たしか)で買えて、親もホクホクしてたのだが、東京だとたまーに信濃屋で売っていても600円とか700円するし、通販もないわけじゃないんだが、送料と消費期限を考えるとかなりコスト高。

まあそんなにこだわっても仕方ないので、近所のいなげやで売ってる農協ヨーグルトが美味しいし、そんなに高くないしで、買いまくっている。
それで、協同乳業の50周年だかなんだかで、鹿児島の肉とか魚沼のコシヒカリがもらえるキャンペーンがあるってんで、珍しくちまちまレシートを保存していた。

しかしこの懸賞、ハガキに一口ぶん(2個)ずつ購入レシートを貼っては名前とか住所を書いてくってやつだったので、締め切り直前の昨晩、寝かしつけと家事を終えたあとの深夜にレシートを切って貼って残りの狭いスペースにちまちま名前とかを書くという内職作業に、妙に時間を使ってしまった。
お肉食べたいなあ。

・ブロッコリー・レボリューションと F4 Thailand

クリスマス前くらいに子どもがマーライオン化して、そこから親も倒れていき、そのまま保育園も年末年始のお休みに入ってしまったので、年の瀬らしいことも正月らしいこともなにもしなかった。夫婦揃って、まるっと2週間仕事もできず。

せめて仕事に関係ない本を1冊読むことくらいできないだろうかと奮闘し(?)、岡田利規さんに送っていただいた『ブロッコリー・レボリューション』(新潮社)をなんとか読めた。出版されてすぐ送ってもらっていた上、三島由紀夫賞の授賞式にもお声がけいただいたのだが、仕事などもろもろで読めず&出席できずで、すっかり不義理をしていた。

『プラータナー』の戯曲化プロジェクトのときに岡田さんとは何度かタイにご一緒させてもらって、今作は、その頃の滞在経験が反映されているだろう作品だった。なので、ぼくがなにを書いても「あのときはこうで……」とか「ここの元ネタはたぶん……」みたいなキモい文章になってしまいそうで、うまく距離をとって書けない。

岡田さんの小説というのは、テクストから浮かぶ風景の色彩が抑制されているような印象がある。もしかすると戯曲のテクストからの影響なのかもしれないし、都市が舞台のことが多いせいなのかもしれないが、それはわからない。ただこのブロッコリー・レボリューションは、そのタイトルから想起されるブロッコリーの色と、最後のプールのシーンで登場するもうひとつの緑系統の色が鮮烈だった。

もうひとつ。「きみ」の友人の「レオテー」という女性は(この名前もタイあるあるをひねった感じがあっておもしろい)、タイ社会にはびこる不正義や不公正のことを考えては泣いてしまう。

思い返すと、2014年の軍事クーデター以降、ぼくの周りでもずいぶんいろいろなタイの友人が、政治や社会の話をしているうちに、感情が昂り、泣いていたように思う。かなり酔ってはいたけど、民主記念塔のまわりの車道にスライディングして飛び出して、血が出るまでアスファルトの地面を殴り続けていた友人もいた。彼女もずっと泣いていた。この、ちょっとつつくと割れてしまう膨らみきった風船みたいな感情の高まりは、2020年の民主化運動くらいまで続いていたように思う。2020年からはまたフェーズが変わった感じもする。

そういうリアリティと、「ぼく」や「きみ」の体感する非現実感とが絶妙に両立した小説だなと思った。プールのシーンや、たびたび登場する国王の肖像画への言及は『プラータナー』のウティット・ヘーマムーンのテクストとのかかわりなんかも感じた。でもどうしても個人的な経験に引きつけすぎてしまうな。

2016年に『プラータナー』のプロジェクトでバンコクに行ったときに寄ったブロッコリー・レボリューション。バカ高いスムージーとお粥を頼んだ

あとはやはり、レオテーの「え? だってそうだよね? ミドルクラスだよねわたしたちは?」という言葉。絶対的な社会階級の存在が身体の奥まで深く入り込んで知覚されているタイのひとたちと、相対的にはそんなもの見えないように生きられていた日本のひとたちとのコミュニケーションで、大きくすれ違うところだよなと思った。

それで、最近、途中で止まっていた F4 Thailand を見ている。『花より男子』のタイ版。去年しばらく見ていたんだけど、そのあとなんかエルピスが始まったり、授業で使うんでディア・ハンター見直したり、とな墓みたりエクリプス見たりしているうちにすっかり見なくなっていた。

花男、ぼくは漫画版は小学生ごろからドンピシャで、ドラマ版は大学生入るくらいなので、なんだかんだ読んだり見たりしているのだが、貧しい家庭の少女が冗談みたいな金持ち高校に入学するという設定、日本だとほとんど冗談というか、それこそフィクションの世界の話で、ギャグマンガのスタート地点としていいよねみたいな雰囲気すら(当時は)あったような気がするのだが、この設定をタイに持ってくるとあまりにリアリティが出すぎてゾッとしてしまった。

権力者と直接つながる以外には階級の移動も絶対に起こりえない、抗えない格差を突きつけられたまま生きるひとたちがたくさんいる社会なので、タイ版はずいぶん違うメッセージを持ちうるんじゃないかなとふと感じた。別に基本のプロット変わっていないのに、ものすごくソーシャルなドラマに見えてくるんだよな。

そんなことを考えつつ、やっぱレン先輩(花沢類ポジション)だよなー、つうかDewだよなーと思っていたら、Dewのシールが貼られた手紙とともに、GMM Fan FestのDVDが送られてきたのだった(舞台通訳したのです。DVDは字幕になっているけど)。

心を見透かされた気分。ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?