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「すべての人々よ、団結せよ」:タイのHIPHOPプロジェクト〈RAD〉がアゲンストするものとは?

20181114日に i-D JAPAN で公開された記事です。
サイトの閉鎖に伴い、
もとの下記URLでの閲覧ができなくなってしまったため、
一時的にこちらに再掲します。
https://i-d.vice.com/jp/article/439v3n/hiphop-project-rap-against-dictatorship

タイのHIPHOPプロジェクト〈Rap Against Dictatorship〉が10月22日にYouTube上に公開し、すでに3000万回以上再生されている「プラテート・クー・ミー」。この歴史的な盛り上がりの理由はどこにあるのか? それを解くカギは、タイ国民なら誰でもハッとするそのリリックとMVにあった。タイ文学研究者で翻訳家の福冨渉が、この曲が誕生した背景とそこに込められた意図をひも解く。


ギターのリフが鳴るのと同時に、画面の左からラッパー、リベレイト・P(Liberate P)が登場する。後景には、なにかに向かって快哉を叫ぶ群衆。リベレイト・Pが「このクソみたいな国になにがあるのか/俺たち全員で教えてやるよ」と煽る言葉に続いて、ラップが始まる。

タイのヒップホッププロジェクト〈Rap Against Dictatorship(RAD)〉が2018年10月22日に公開した、「プラテート・クー・ミー(俺の国には)」のミュージック・ビデオだ。BPM84のややゆったりとしたテンポで流れるトラックに乗せて、このプロジェクトのために集まった10人のラッパーが、8小節のヴァースを渡していく。2014年5月から続く軍事独裁政権下で起きたできごとを痛烈に批判するリリックが続き、それぞれのヴァースの最後には「プラテート・クー・ミー、プラテート・クー・ミー(俺の国には、俺の国には)」というリフレイン。

公開2日目には60万回再生と、ハイペースで再生数を伸ばしていたが、話はそこで終わらなかった。10月26日に、シーワラー国家警察副長官とタイ警察テクノロジー犯罪取締部が動く。アーティスト、MV制作者、さらにはSNS上でビデオをシェアした人間まで、コンピューター関連犯罪法に照らして、罪に問われる可能性があると述べたのだ。楽曲で歌われている内容は「国家の安定に損害を与えうる虚偽の情報」であるということらしい。あげく「裏で糸を引く人間がいるのではないか」と、謎の黒幕の存在までもが取り沙汰されることになった。

だがこうしてニュースなどで大きく取り上げられたことで、RADにとっては追い風になった。同日中にタイのiTunesチャートで1位を獲得し、Twitterではトレンド入り。もちろん市民のなかでも賛否は入り乱れていたが、その晩のうちに、再生回数は一気に数百万回増加した。(金曜日の夜だったこともあり、飲食店やクラブがこぞって再生していた、という話もある。)10月29日には、公開から1週間で2000万回再生を突破した。

ここまで拡大してしまったものを、言いがかりにも近い脅しで禁止することは難しい。同日に、前述の警察副長官が再び登場し、「法に抵触する証拠はない、歌っても、聴いても、シェアしても罪には問われない」と、自身の発言を撤回した(一方RADのほうも、弁護士への相談をおこない、YouTubeのコメント欄を閉鎖するなどの措置をとった)。その後も再生数は伸び続け、11月9日現在、3000万回再生を超えている。

「プラテート・クー・ミー」のジャケット画像。:
https://www.facebook.com/photo/?fbid=475955219479356&set=a.362298760845003

RADの楽曲は、近年のタイでも稀に見るソーシャル・ムーブメントになった。一体、「俺の国には」、なにがあるのだろうか?

そこには、腐敗した権力がある。以下では、「プラテート・クー・ミー」のリリックに描かれるタイ社会のできごとを辿っていく。

「ライフルにやられたヒョウが崩れ落ちる国」、「野生のヒョウを刺し身みたいに食う力強い国」──富裕層の優遇。2018年2月、タイの最大手ゼネコンであるイタリアン・タイ・デベロップメントのCEO、プレームチャイ・カンナスートとその一派が、タイ西部カンチャナブリー県のトゥンヤイ・ナレースワン野生生物保護区で逮捕された。クロヒョウなどの野生動物の密漁に加え、猟銃や弾薬の違法所持などの容疑によるものだ。だが、逮捕の数日後に大量の保釈金を支払ってあっさりと保釈されたプレームチャイの事件は、その捜査も、裁判も、遅々として進まずにいる。

「裁判官の宿舎が国立公園に建つ国」。2018年4月、北部チェンマイ県のドーイ・ステープ−プイ国立公園近くの森林を伐採し、10億バーツ(約35億円)の予算を投じて裁判官宿舎等を建設する計画が、同地区を上空から撮影した写真とともに話題となった。あくまで合法的に進められた建設計画である一方、環境保護を謳いながら大規模な自然林伐採を容認する軍事政権に対して、大きな批判が集まったのだ。最終的に軍事政権のプラユット首相は、ほとんど建設の完了していたこの計画の中止を命じた。しかしその後、計画が中止されたはずの宿舎に、裁判官たちが居住していることが判明し、再び批判が巻き起こっている。

「大臣が死体の時計を身につける国」。2017年末から2018年頭にかけて、軍事政権のナンバー2であるプラウィット・ウォンスワン副首相兼国防相が、大量の超高級腕時計を身に着けているとの批判が高まった。その数は20本以上、総額にして1億円を超える。汚職追放を訴える軍事政権だが、このプラウィット副首相の腕時計は、資産報告書に記載されていなかった。プラウィット副首相は、腕時計はすべて「死んだ友人から借りたもの」であると主張している。汚職取締委員会による捜査は、もちろん、まったくと言っていいほど進んでいない。

そして、「俺の国には」、民主政治の復活と選挙の実施を求めながら、軍政からの弾圧に抵抗する人々がいる。

「議会が軍人の居間になった国」、「主権が悪人どもに奪われた国」、「4年経ったぜクソ野郎/まだ選挙のねえ国」。現在のタイにおける立法は、選挙で選出された議員で構成された国会ではなく、「国家立法議会」によって担われている。同議会のメンバー266名全員が、2014年5月22日にクーデターを引き起こした国家平和秩序評議会(コーソーチョー)──つまり現政権の中心となる軍人たち──によって選出されており、その6割近くが軍人だ。これまで選挙の実施を延期し続けてきたコーソーチョーは、2019年2月の選挙実施を発表したが、本当に実施されるのかどうか確証はない。

「誰も政府を批判する勇気をもてない国」、「法律を言い訳に変える呪文を使える国」。2014年のクーデターから現在までに、コーソーチョーはさまざまな布告・命令を500通以上発行している。軍事政権は、これらの布告・命令によって、意見を異にする者に出頭命令を出したり、5人以上の政治的集会を事実上禁止したりすることができる。さらに、タイの刑法112条「王室不敬罪」や、116条の「煽動罪」、前述のコンピューター関連犯罪法などによって、市民の権利や自由が制限されている。タイの人権団体iLawによれば、軍政下の4年間で、不敬罪で最低94人、煽動罪で最低91人、政治的集会の禁止に反したことにより421人が告訴されている。

RADのメンバーは、ニュースサイト、〈プラチャータイ〉のインタビューで、「これまで政治的なバックグラウンドがなかった一般の人びとでも、解釈の必要もなく、比喩を使いすぎずに理解できる」リリックを準備したと述べている。現にここまで引用したリリックは、たとえ軍事政権を支持していようと、支持していなかろうと、この4年を過ごしてきた人間ならばすぐに理解できることを語っている。

だが、RADが本当に憂いているのは、権力の腐敗でも、軍政による弾圧でもなく、市民のなかに生まれる「分断」だ。

再びミュージック・ビデオに戻ろう。よく見ると、ラッパーたちの後ろで叫ぶ群衆は、軍政に抑圧された自分たちを代弁してくれるアーティストたちに歓声を送っているわけではないらしい。だがこのMVの公開を待ちわびていたタイの人びと──10月14日にこの楽曲の音源だけが公開されたときから、Apple Music、Spotify、Fungjai、JOOX、Soundcloudなどで視聴を続けた、カルチャーにも政治にも関心の高い人びと──の多くは、この群衆に見覚えがあったはずだ。

10人のうち8人のラップが終わると、ギターソロに入る。全編がモノクロのこのMVで、唯一色彩のあるシーンだ。それぞれ民族・宗教・国王を表す赤・白・青の三色旗、タイの国旗を模したギター。

ギターソロに続いて最後の2人がラップを始めると、これまで左から右に流れていた映像が、今度は左方向に振れていく。そこに映るのは、木に吊るされた死体と、椅子を振り上げて、その死体を必死に殴り続ける男性の姿だ。群衆はこの男性の行動に喝采していたのだ。

ともすれば楽曲のリリックよりも衝撃的に見えるこの映像は、タイで実際に起きた事件をモチーフにしている。

1973年10月14日。時の軍事独裁政権に不満を抱いた大学生と一般市民によって構成され、40万人以上を動員した民主化運動は、治安部隊との衝突による流血の事態を招いた。しかし、国王ラーマ9世の仲裁を経て軍事政権の首脳は退陣し、タイの民主化が進展する。これを「1973年10月14日事件」と呼ぶ。

だがそれから3年、学生運動・労働運動は過激化していき、国内の混乱を招く。その結果、民衆からの支持を徐々に失っていった。さらにインドシナ半島の周辺国が軒並み共産化したことで、タイ国内でも共産主義への抵抗感が増していき、右派・軍部が左派勢力への攻撃を強めていくようになる。

そこに、国外へ逃亡していた、1973年当時の軍政首相が帰国し、左派の大学生たちが国立タマサート大学構内で抗議活動を始める。そこで上演された寸劇に登場する、虐殺された青年役の俳優の顔が、ワチラーロンコーン皇太子(現国王ラーマ10世)に似ているとして右派の市民が反発を始めた。大学を取り囲んだ右派市民に治安部隊が合流して、学生集会への襲撃が起きる。逃走を図る学生たちに対して、市民と治安部隊から容赦ない銃撃・暴行・陵辱が加えられた。

画像提供:DOCUMENTATION OF OCT 6

この事件を「1976年10月6日事件」と呼ぶ。死者は少なくとも41人、負傷者は145人。集会に参加していた学生たちだけで3000人以上が逮捕されたにも関わらず、実際に殺害に関わった人間は誰ひとりとして罪に問われていないこの事件については、解明されていないことも多く、さながらタイ現代史における暗部として扱われている。

バンコク旧市街ラーチャダムヌーン・クラーン通りを訪れると、そびえ立つ民主記念塔のすぐ近くに「10月14日」を「学生運動による民主革命」として讃える大きな記念碑と展示スペースがある。一方の「10月6日」に関しては、そこからすぐ近くにあるタマサート大学構内の片隅に、ひっそりと記念碑が置かれるばかりだ。

この事件を象徴するのが、アメリカの写真家ニール・ユールビックの撮影した写真だ。右派市民によって殺害された学生の死体が木から吊るされて、椅子を掲げた市民がまさに死体に殴りかかろうとしている。周りを取り囲む人々の顔は興奮に満ちていて、中には満面の笑みを浮かべた子どもすらいる。

https://www.worldpressphoto.org/collection/photo-contest/1977/neal-ulevich/1

この写真こそ、『プラテート・クー・ミー』のMVのアイディアとなった写真だ。RADのMVを監督したティーラワット・ルチンタムは、この事件を調査する研究者たちとの議論を重ねた上で、撮影をおこなった。

ときには直接的な暴力を提示することで、人びとの感情を動かすことができるのかもしれない。40年もの月日を経て、いまだ明かされない謎の多いこの事件をきちんと見つめ直そう。そういう思いがあったと、彼はニュースサイトのインタビューに答えている。人びとが取り囲む輪のなかを、舐めるようなロングテイクで撮影することで、同じような分断と対立の歴史を繰り返すタイ社会を表現しようとしたのだ。

(YouTubeのMV下部に「Artist」10名のリストが記載されている。ここではすべて偽名が使われているが、よく見ると、多くが10月6日事件に関わる人物・団体の名前をもじったものだ。「Lady Thanom」は1973年当時の独裁首相タノーム・キッティカチョーン、「Gentle Prapas」はタノーム政権の内務省兼副首相であるプラパート・チャールサティアンから来たものだ。この2人の帰国が事件の引き金になった。「HomeBoy Scout」と「Kra-Ting Clan」はそれぞれ、ヴィレッジ・スカウト(村落自警団)と、クラティン・デーンという民間右派勢力の名称から来たものだろう。「Kitti Lamar Wuttoe」は、“左派や共産主義者を殺害することは罪になるか?”との問いに、「国家・宗教・国王を破壊する者は人ではなく悪魔だから、殺しても殺人にはならない。仏教徒であるタイ人はそうすべき(殺すべき)だ」と述べて、右派による左派殺害の思想的な正当化を手助けした僧侶、キッティウットーのことを指す。)

タマサート大学構内にある、10月6日事件の記念碑。画像提供:筆者

そう、「分断」は現代も続いている。

「政党が2極に分断されちまった国」「市民が2派に分断されちまった国」「2極のデモで人が死んだ 死んだ 死んだ国」。21世紀のタイ社会にも、大きな分断が生まれていた。

2001年に成立したタックシン・チンナワット政権は、ポピュリズム的な政策によって、タイ東北の農村部を中心に絶大な人気を得た。一方で、タックシン首相による政策の恩恵を受けず、その強権的かつ腐敗臭の漂う政治手法に反発を覚えた都市部中間層は、反タックシン・王制護持を訴えて「黄服」デモ隊を結成する。そこに軍部が加勢する形で2006年に軍事クーデターが発生し、タックシンが追放される。それに反発するタックシンの支持層が今度は「赤服」デモ隊を結成し、デモ活動を開始したことで、黄服と赤服の対立が激化する。

選挙を実施しても勝利の公算が低い黄服派=保守・王党派は、軍部や司法などの超法規的権力と結託する。一方の赤服派は、まず公正な選挙プロセスの履行を訴えていくようになる。両派の衝突はたびたび発生し、多くの血が流れる。

もっとも大きな事件となったのは、2010年の4月および5月にバンコク中心部で発生した、治安部隊による赤服デモ隊の強制排除だ。数万の兵士、10万を超える実弾が投入され、100人近くの命が落とされた。多くの活動家やアーティストが、この事件を21世紀のタイにおける重要な転換点だとみなしている。

この事件ののち、タックシンの妹であるインラックが首相に就任するが、2013年に黄服の流れを汲むデモ隊〈PDRC〉が大規模なデモ活動を始め、その混乱を収集するという名目で2014年のクーデターが発生する。

この一連のできごとは、単なる分断だけでなく、タイ社会における格差・排除・不平等・不公正を正当化する社会的構造や思想を浮き彫りにしていった。

道徳的な「善き人(コン・ディー)」が上に立ち、下にいる人間に(強権的な)慈愛を与えるべきだという温情主義的な思想──「本当の善き人々が アイドルとして称えられない国」、「人は言い続ける 善きことをせよ 善きことをせよ」。あるいは、国家を身体と比較し、社会の成員を身体の各器官と比較する有機的国家論──「希望を上半身に 貧乏を下半身にまとう国」。これらの思想は、上座部仏教のカルマや輪廻転生の思想とも結びつく。

王室とそれを取り巻く軍部、上流階級の人間を頂点とする絶対的なヒエラルキーこそが「タイ社会」の正しいあり方なのだ。下層の人間は上に立つ善人から正しいものを与えられるのを待てばいい、お前たちがそうなったのは前世のおこないが悪いからだ、きちんと善行と徳を積め、足の分際で頭になろうとでも思ったか? 下層にいる足には足の役割があるのだから、素直に従えばいい……。こんな考え方が、タイ社会の混乱を駆動している。

そして、こういった状況のなかで、社会を支配する価値や思想を揺動して変革を生み出すはずのアーティストが、軍部や体制の傀儡と化していったことへの失望と怒り──「芸術家が反乱者のふりをする国」「反乱者がアリの群れみたいに政府に従う国」。

たった80小節のラップのなかに、ひとつの国家の歴史、政治、社会、思想、感情といったさまざまなレイヤーを浮かび上がらせる、立体的な見取り図が描かれている。

それが『プラテート・クー・ミー』なのだ。

2014年クーデター直後のバンコク市内。画像提供:筆者
2014年クーデター直後のバンコク市内。画像提供:筆者

MVの最後に「ALL PEOPLE UNITE」の文字が浮かび上がる。この言葉こそ、RADのメンバーが真に訴えかけるものだ。この「UNITE=団結」は、特定の思想への同調を訴えかけるものでも、どこかの派閥への合流を主張するものでもない。

テレビ局Voice TVで公開されたインタビューで、メンバーのひとりであるジャコボーイ(Jacoboi)がこの言葉について述べている。「現実の民主主義社会で、人が本当にひとつに団結することなんかできない。すべての人間が、異なる、多様な考えをもっているからだ。ぼくたちの団結は、市民以外の権力に妨害されない場所を守るためのものだ」

介入を続ける権力と、市民の「分断」にアゲンストするアーティストたち。それがRap Against Dictatorshipだ。同じインタビューの終わりに、彼らはこう述べる。「芸術文化に携わる人間が表現の自由を守らなければ、いまはなにも考えず安全に表現できているものが、未来のあるときには不可能になるかもしれない。それこそ、すべての分野のアーティストたちが共有すべき足場なんだ」

「答えの代わりに椅子を配る」ようなことを、2度と起こさないために。
失われた命、流された血、抑圧された心を解放するために。

「準備はできたか?」

(補記)なお、11月3日には、軍政側からのアンサーソング(政権側はその意図を否定しているが)であるラップ『タイランド4.0ラップ:タイ人は頑張れる』が発表された。「タイランド4.0」とは、軍事政権が提案する「イノベーション」「生産性」「サービス貿易」を軸に据えた経済開発モデルのことだ。

もはやこの曲について詳述する紙幅も気力もないが、一部だけリリックを訳出しておくので、興味がある方はYouTubeにアクセスしてもらうといいだろう(そして、そこにつけられているLikeとDislikeの数を見比べてみるといいかもしれない)。

「朝のタイ おはよう/あくびばっかりしてないで 立って立って/座ってため息ばっかりついてないで/やりなおそう もっとWowにしよう[略]私たちが心と力を合わせるだけで/遠くまで行ける もっと遠くへ/私たちの地球は回り続ける/イノベーションで タイ人は頑張れる」。

俺の国には、俺の国には……。

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