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親への感謝の源泉

私は親への感謝の気持ちが弱い人間だ。
かといって、感謝しているポーズは精一杯やっている。
誕生日や母の日に贈り物を欠かしたことはない。
表面上の「ありがとう」を1日1回以上は言っている。
しかし、ポーズ以上の意味はない。

私には文才がない。心も豊かではなく、良識ある人が自然にできる言葉の端々への配慮というものが欠けている事を前置きする。

薄情には薄情なりの理由がある。
美談で「子供ができて親の有難さに気付いた」というメッセージを聞いたことはないか?
何気なく聞き流していたあのメッセージは真実なのだろう。
子供を育てるということは、お金も手間も時間もかかる。
加えて、赤ちゃんが生まれて右も左も分からない時、親が最も身近な手本になる。
生まれた子供を一緒になって支えてくれた時、親から支援の「有難さ」たるは格別なものになろう。
仮に今までの親子関係が悪かろうと、この時の親の対応次第では過去の関係がグレートリセットされるのだ。

薄情な私には子供もいなければ交際相手もいない。
親に感謝する大きな源泉がないから、私は薄情なのだ。
心から親に感謝できる日が来てほしいものだ。

…と呑気なことを言ってしまったが
人口減少の日本では生涯未婚の人が増えている。
心から感謝されない親も増えているのだろう。








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