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古文字あれこれ【簪(かんざし)】その2

こんにちは、書道玄海社・師範の加藤双涛です。
こちらでは、シリーズで「古代文字あれこれ」について綴っていきたいと思います。

簪(かんざし)はおしゃれ?

櫛や簪(かんざし)は我々日本人にはなじみの深いもので、日本でいつ頃簪が使われるようになったかは、たとえば国際文化学園(東京都渋谷区)の美容考古学研究所の調査などから、古く縄文時代に遡るといわれています。その根拠としてあげられているのが土偶です。

土偶1

土偶2

       (青森県で出土した土偶 出典:Wikipedia)

土偶のほとんどは女性といわれ、その頭部の詳細はよくわかりませんが、編み上げた髪をあらわしているといわれています。上図右の土偶では頭部に穴が見られ、串状のものを刺していたとも思われます。出土品には、赤漆の櫛、動物の骨で作られたヘアピン、糸製のヘアバンドなどが報告されています。
 上述の美容考古学研究所によると、土偶にはいろいろな髪形がみられるそうです。縄文人の火焔型土器に示される優れた美的感覚からすると、おしゃれのために櫛や簪を用いていたと考えられます。
当研究所では、その土偶の髪型をを現代に再現した髪形が提案されています。

火焔型土器

               火焔型土器


下図:国際文化学園の美容考古学研究所によるいろいろの髪形提案

髪型1

髪型2

実際に上図では串状の簪が刺されています。縄文時代は暮らしやすい気候になったこと、遺跡に争いの跡が全く見られない平和な時代であったらしいことなどから、婦人がおしゃれのためにいろいろの髪形を工夫されたのではないかとされています。


 一方、民俗学者の萩原秀三郎氏によると、縄文人の霊魂観はそのようなものではないと次のように指摘しています(「縄文人の霊魂観」 2014年8月 講演録)。

「縄文時代の耳飾、耳栓、首飾り、腕輪、こういった装身具を考古学者の多くは、美への渇望と言っています。どれを見ても、おしゃれだと書いてある。縄文土器の美しさは空前絶後の素晴らしいものだと思いますが、全然それとは関係がない。美的感覚によってこういうものを作ったわけではありません。例えば髪を縄文時代に巻き上げているのも、これは江戸時代の女性の髪型と比べると双璧であると。社会が豊かになると女性は飾り立てると言っていますが、そんな現象が縄文時代にあるわけがないのです。」

「霊魂の出入りというのは、多く女陰からというのはもちろんありますが、頭のてっぺんから出入りするというのも多いのです。どの民族もそうですが、頭に手をやることを非常に嫌います。それは霊魂の出入りをする大切な場所を触れられたくないという観念です。イ族の女性の場合、未婚の女性は、男性から頭に手を触られるとその人の嫁にならなくてはいけないという伝承があります。そのときに案内してくれた女の子がそう言っていたので、一緒に行ったテレビのスタッフが触ろうとしたら、血相変えて逃げていったと。そのくらいですので、飾りということは絶対にありません。」

さらに

「このように、魂が抜けて行けば病気になり(一時的に抜けたのが脱魂の場合)、完全に脱魂すれば魂のヌケガラとなり、死んでしまう。これを防ぐために、腕や足、胴、首などの体の節々、それから穴の開いているところ、目玉、鼻、九孔といいますけど、耳や女陰、孔の開いているところ全てに閂をかけなければいけないのです。それが、考古学者が言っている飾りなのです。」とも指摘しています。

ミャオ族髪飾り

左図:ミャオ族の娘 耳、口、頭に呪いの飾りをつける   
右図:ミャオ族の婦人と子ども             
      (ともに「縄文人の霊魂観」萩原秀三郎氏による)


 先日読んだ、マーク・プロトキンという民族植物学者により書かれた、「シャーマンの弟子になった民族植物学者の話」(1999年 築地書館)という本では、南米アマゾンの呪医としてのシャーマンや先住民の生活などを10年かけて調査された内容を民族植物学者として生き生きと紹介されていますが、とにかくおもしろい。その中で、つぎのよう書いています。

「両耳にあけた穴には、15cmもの黄色い竹が刺してあり、その先端を赤と黄色のオオハシの羽根が飾っていた。しかしいちばん強烈だったのは、どの子の顔にも4ヶ所穴があけられて、木片がさしてあることだった。鼻には1ヶ所、口の両脇に2ヶ所、そして下唇の下に1ヶ所だ。何とも痛々しく聞こえるだろうが、これがとても美しく見えた」


 古い時代の簪や装身具の飾りは、「参」の古文字の玉の輝きにも見られるように、おしゃれというか美的センスを感じさせる点もありますが、それよりも魔除けの役割が大きいようです。

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