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はじめに|山崎雅弘『アイヒマンと日本人』

8月1日発売の祥伝社新書『アイヒマンと日本人』より「はじめに」と目次を公開します。わずか80年ほど前に行なわれたユダヤ人の大量虐殺という蛮行――。年初には「ヴァンゼー会議」を題材にした映画『ヒトラーのための虐殺会議』が公開され、普通のビジネス会議のごとく淡々と虐殺計画が決められていく様子に、映画を観た方は戦慄したのではないでしょうか。本書では、事務方として虐殺計画のキーパーソンとなったアイヒマンの生涯とその思考について考察します。「上司の命令には逆らえない」「あの時代では仕方なかった」というアイヒマン的な思考から逃れる術はないのか? 組織に従順な日本人必読の1冊です。

はじめに

 アドルフ・アイヒマンという男の名前は、日本でもよく知られている。

 ナチ党政権下のドイツで国策として遂行された、数百万人ものユダヤ人に対する組織的な大量虐殺を、ナチス親衛隊の中間管理職として差配した男。

 そして、戦後に捕らえられて戦争中の冷酷な行ないについての責任を追及されても、「自分はただ与えられた命令に従っただけです」と居直り続けた男。

 哲学者ハンナ・アーレントが彼を評して述べた「悪の陳腐さ」という言葉は、さまざまな形でひとり歩きし、アイヒマンの名とその言葉がセットで語られることも多い。

 だが、あなたはこのドイツ人が実際にはどんな人物だったのか、彼が親衛隊幹部として実際に果たしたのはいかなる職務だったのかについて、説明できるだろうか。

 本書は、近現代史の中でもとりわけ異彩を放つ人物である、アドルフ・アイヒマンの五六年の生涯に光を当て、その足跡をたどる試みである。

 第一章では、彼の誕生から青少年時代、ナチ党への入党、親衛隊の一員としてユダヤ人問題に関わった経緯、戦前のオーストリアとチェコで彼が行なったユダヤ人排斥の実務などを解説した。アイヒマンはこの時期、エルサレムをユダヤ人の民族的郷土と見なす「シオニズム」に関心を示し、自らもパレスチナへの入国を試みていた。

 第二章では、第二次世界大戦の勃発(一九三九年九月一日)とドイツによるポーランド征服によって本格的に始まった「ヨーロッパのユダヤ人迫害」を俯瞰し、アイヒマンがその中で果たした役割について考察した。また、一九四一年六月の独ソ開戦以降、ドイツのユダヤ人政策が「移住(排斥)」から「殺害(絶滅)」へと変質した経過を追い、その転換をアイヒマンがどのように受け止めたかについても、一九四二年一月の「ヴァンゼー会議」で彼が果たした役割と共に記述した。

 第三章では、一九四二年一月からドイツが国策として推進した「ユダヤ人絶滅」とその舞台となった旧ポーランド領の絶滅収容所の内情に目を向け、アイヒマンが重要な役割を担った「ホロコースト」の全体像をさまざまな角度から検証した。オランダやフランス、ハンガリーなど、ヨーロッパ各地から絶滅収容所へのユダヤ人の鉄道輸送に、アイヒマンがどう関わったかを説明し、一九四五年五月のドイツ敗戦までの彼の行動を追った。

 第四章では、ドイツの敗戦後に戦犯訴追を逃れるため潜伏していたアイヒマンが、イタリア経由で南米アルゼンチンへと逃亡した経路や、偽名を用いたブエノスアイレスでの新たな生活、イスラエルの諜報特務庁モサドによるアイヒマンの捜査と身柄の確保、特殊な手段で行なわれたアイヒマンのイスラエルへの連行、そしてエルサレムで開かれた「アイヒマン裁判」で死刑判決が下されるまでの「最後の足跡」を追跡した。

 そして第五章では、アイヒマン裁判を傍聴したハンナ・アーレントと彼女の論考が引き起こした論争、二人の日本人特派員による同裁判傍聴記、人間心理の恐るべき側面を浮き彫りにした心理学者スタンレー・ミルグラムの「アイヒマン実験」など、アイヒマンがこの世を去ったあとも残された難題を、さまざまな角度から紹介した。

 また、同章の最後では、なぜ日本人がアイヒマンという異様な人物に関心を持ち続けるのかという理由についても論考をめぐらせた。

 本書のタイトルは『アイヒマンと日本人』だが、アイヒマンと日本の間には、彼の経歴における直接的な繫がりはない。しかし、本書を最後までお読みいただければ、アイヒマンと日本人は決して無縁ではなく、むしろさまざまな面において「近い存在」であることを、虫酸が走るような薄気味悪さと共に、理解されることだろう。

山崎雅弘



目次―アイヒマンと日本人

はじめに

第一章 アドルフ・アイヒマンとは何者か
《ゾーリンゲン出身のごく普通のドイツ人少年》
学業の不振と定まらない職業
オーストリアで勢力を拡大していた「ナチ党」
ナチ党員および親衛隊隊員としてドイツに帰国 

《ハイドリヒが統括する親衛隊保安局(SD)への転属》
バイエルンで軍事訓練に明け暮れた日々 
ラインハルト・ハイドリヒと親衛隊保安局 
親衛隊のユダヤ人問題専門家としての第一歩を踏み出す 

《一九三〇年代の「シオニズム」とアイヒマン》
ユダヤ人と「シオニズム」とパレスチナ 
ドイツ国内のユダヤ人をパレスチナに移住させる協定 
パレスチナでのアラブ人とユダヤ人の対立 

《ドイツとオーストリアの合邦で拡大したアイヒマンの職務範囲》
不発に終わったアイヒマンのパレスチナ視察旅行 
オーストリアの首相シュシュニクを恫喝したヒトラー 
ドイツとオーストリアの「合邦」とユダヤ人問題 

《旧オーストリアで実績をあげ評価されたアイヒマン》
ロスチャイルド家の豪邸で始まったアイヒマンの新たな任務 
「水晶の夜」事件とユダヤ人国外移住の増加 
チェコのプラハでもユダヤ人「移住」を取り仕切ったアイヒマン 

第二章 ナチスのユダヤ人迫害政策と「ヴァンゼー会議」
《独ソのポーランド分割併合とユダヤ人「国外追放」の新展開》
ドイツの隣国ポーランドとユダヤ人問題 
独ソ両国に挟撃され再び地上から消されたポーランド 
ポーランドのユダヤ人が押し込められた居住区「ゲットー」 

《野心的で空想的な「マダガスカル移住計画」の頓挫》
千人単位のユダヤ人を鉄道で輸送するシステムの構築 
次々とドイツの軍門に降ったオランダ、ベルギー、フランス 
幻に終わったフランス領マダガスカル島への「移住計画」 

《ドイツ軍のソ連侵攻とユダヤ人「移住」政策の行き詰まり》
「任務部隊」によるソ連領内のユダヤ人大量殺害 
「移住」から「虐殺」への変質を目撃したアイヒマン 
事実上終止符が打たれたユダヤ人の「移住」政策 

《テレージエンシュタットのゲットーとアイヒマン》
親衛隊が現場で進めていた「ユダヤ人大量殺害の効率化」 
ドイツ本国領内から外部へのユダヤ人強制移送 
旧チェコのテレージエンシュタットに作られたゲットー 

《ユダヤ人大量殺害をドイツの国策にした「ヴァンゼー会議」》
ヴァン湖(ヴァンゼー)の畔に集まった一五人の男 
ユダヤ人大量虐殺を円滑に進めるための「実務者会議」 
アイヒマンが「ヴァンゼー会議」で果たした役割 

第三章 ホロコーストを「効率化」したアイヒマン
《旧ポーランド領各地に出現したユダヤ人の「絶滅収容所」》
二番目の絶滅収容所ベウジェツで行なわれた、ガスによる大量殺害 
「ラインハルト作戦」とソビブルおよびトレブリンカ絶滅収容所 
捕虜収容所から転換されたマイダネクとアウシュヴィッツ絶滅収容所 

《アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所》
なぜアウシュヴィッツという場所が選ばれたか 
チクロンBを用いたガス室での大量殺害 
アウシュヴィッツ第二(ビルケナウ)強制収容所の出現 

《死体を生産する工場のようにフル稼働した絶滅収容所》
増え続ける「ユダヤ人の死体」をどのように「処理」するか 
ハイドリヒの暗殺とアイヒマンのパリへの「出張」 
フランスのユダヤ人を乗せた列車をアウシュヴィッツへ 

《ハンガリーでユダヤ人迫害の陣頭指揮をとったアイヒマン》
ヨーロッパ各地で始まったユダヤ人の絶滅収容所への移送 
ユダヤ人が行動の自由を認められていたハンガリー 
ブダペストでもユダヤ人大量移送を実行したアイヒマン 

《戦争末期のユダヤ人迫害とアイヒマンの逃亡》
スウェーデン人ラオル・ヴァレンベリによるユダヤ人救援作戦 
写真に撮られることを恐れてカメラを破壊したアイヒマン 
ブダペストからの脱出と旧オーストリアで迎えたドイツの敗戦 

第四章 国外逃亡と捕縛、エルサレムでの裁判
《ナチ戦犯の国外逃亡を助けたネットワーク》
アメリカ軍に投降したあと、ドイツ国内で数年間潜伏したアイヒマン 
ドイツ国内の元親衛隊員の互助組織とバチカンの地下ルート 
イタリアのジェノヴァから船で南米アルゼンチンへ 

《アイヒマンはなぜ逃亡先にアルゼンチンを選んだか》
第二次世界大戦前から親ドイツ国だったアルゼンチン 
アルゼンチンで妻子と再会した「リカルド・クレメント」 
ブエノスアイレスでの元ナチ親衛隊員との交友関係 

《戦後ドイツのナチ戦犯追及とイスラエルの建国》
敗戦直後のドイツでは低調だったナチ戦犯の追及 
パレスチナで建国されたユダヤ人国家「イスラエル」 
イスラエルに情報を提供した西ドイツの検事フリッツ・バウアー 

《イスラエル秘密情報機関「モサド」のアイヒマン捕獲作戦》
南米でアイヒマン捜索を開始したモサドの機関員 
本人特定の決定的な材料となった「結婚記念日の花束」
ガリバルディ通りで身柄を拘束されたアイヒマン 

《エルサレムで裁判にかけられたアイヒマンへの死刑宣告》
エル・アル航空機で密かにイスラエルへ移送されたアイヒマン 
裁判でアイヒマンが行なった自己正当化の弁明 
死刑判決と執行、海に撒かれたアイヒマンの遺灰 

第五章 日本人の中にもある「アイヒマン的なまじめさ」
《哲学者ハンナ・アーレントと「アイヒマン論争」》
アイヒマン裁判を傍聴したハンナ・アーレント 
アーレントが論考で指摘した「不都合な事実」の数々
アーレントの「悪の陳腐さ」という言葉が引き起こした波紋

《特派員としてアイヒマン裁判を傍聴した二人の日本人》
日本人女性記者・犬養道子によるアイヒマン裁判の傍聴記 
「われわれのまわりに今日もいる『何千人の中の一つの顔』」 
フランス文学者・村松剛が見たアイヒマン裁判 

《上位者の「命令」にはただ従うしかないのか》
「自分はただ命令に従っただけ」という弁明は成立するか 
上位者への「服従」とは「支持」だと指摘したアーレント 
現代ドイツの「ヒトラー暗殺を計画した者への評価」 

《恐るべき人間心理を暴き出した「アイヒマン実験」》
スタンレー・ミルグラムの「アイヒマン実験」とは何か 
実験によって説得力を増したアーレントのアイヒマン評 
ミルグラムの実験が浮かび上がらせた「葛藤を打ち消す心理」 

《いかにして社会や組織が「アイヒマン的思考」と訣別すべきか》
ドイツ連邦軍で認められている「間違った命令に従わない権利」 
「アイヒマン的思考」をいかにしてコントロールするか 
なぜ日本人はアイヒマンという人間に強い関心を持つのか 

おわりに 

年表 アイヒマンの生涯 
主要参考文献