見出し画像

2024年になって思ったこと

今年で付き合っている人がいなくて10年になる。
こんな人生になるなんて、二十歳の頃はまったく思っていなかったなと思う。

かといって、どんな人生になると思っていたのだろうと思う。

まだ女の人を好きになったこともない頃から、ある程度の歳になれば子供を育てる生活をするのだろうと、当たり前のように自分の未来をイメージしていたのになと思う。

ずっと家族ものの映画とかも好きだったし、本屋で面白そうだなと思って、子供の発達についての本を読んでみたりというのも、大学生の頃から、社会人になってもたまにしていたし、自分の子供にはどういうことをしてあげられるといいんだろうなというようなことをちょくちょくと考えたりしていたのだ。

それなのに、今になって振り返ると、びっくりするくらいそうだったけれど、昔からずっと、自分の中には、どんな人と一緒に暮らして、どんなふうに一緒に歳をとっていきたいというイメージがまったく何もないままだったんだなと思う。

振り返ってみると、ずっと一緒というイメージが自分の中に自然と湧いてきたことが、今まで一度もなかったのかもしれない。
少なくても、物心がついてからはそうだったのだと思う。

小さい頃から、友達のことを、友達といえるほどの関係に思えていなかった。

知り合いとかクラスメイトというだけではなく友達でもあるという感覚になれたのは、中学の後半とか、もしかすると高校生になってからだったのかもしれない。

そういう友達に対しても、友達はずっと友達だというような感覚を持っていたわけではなかったのだと思う。

一緒に家を借りて生活していた人たちがいたり、自分の人生の一部を共有していたように思える友達がいたし、自分の人生に濃密な人間関係がなかったとは思わない。

けれど、ずっと一緒という感覚は、いつまでも俺の中に生まれないままだったのだろう。

それでも、そういう感じ方の人間なりに、20歳から35歳までの15年のうち、12年くらいを恋人と過ごして、それぞれの人といい関係になれていたし、ずっと子供を育てる生活をいつかしたいと思い続けていたのだ。

それなのに、どうして俺の中には、ずっとこの人と一緒にいたいという気持ちが湧いてくることがないままになってしまったのだろうと思う。

ずっと一緒にいられたらいいなという気持ちが自然と湧いてこない俺にとっては、ずっと一緒にいたいと望むことは、自分が自分の気持ちを確かめて、自分のその人への気持ちはそういう気持ちなのだと思えたときに、やっとそうできることだったのだと思う。

そして、そんなふうに自分の気持ちを確かめるにも、そもそも俺は、誰かと家族になることついて、ほとんどまともに自分なりのイメージを持てていなかったのかもしれない。

俺の中にイメージがあったとしても、それはどんな夫婦にはなりたくないということについてのイメージだけで、どんな夫婦になれたらいいと思うのかというイメージはずっと空っぽなままだったんじゃないかと思う。

どうなりたいというイメージがなかったせいで、誰かと長く一緒にいても、この人とならそうなれるのかもしれないという思いが浮かぶことがなくて、自分の気持ちを確かめながら、そこまでの気持ちがあるわけではない気がすると思い続けることになったというのは、それなりに大きかったのかもしれない。

たしかに、あまり自覚はなかったけれど、俺はかなりきっぱりと、自分は自分の育った家庭のような家庭を持ちたいわけではないし、自分の両親のような夫婦になりたいわけではないと思っていたのだと思う。

自分の育った家庭しか家庭を知らないのに、自分もいつか両親と同じようにするのだとは思っていなくて、かといって、どういう関係になれる相手とならずっと一緒にいられるのだろうということをまともに考えたこともなくて、そのくせ、普通にやっていれば、両親とは違った感じで、もっと自分がいいと思える夫婦関係に誰かとなれると、なんとなく思っていたのだ。

男にはよくあることなのだろうけれど、本当に俺は自分の人生についてまともに何も考えることなく、ただ目の前に流れてきた状況の中でそうしたい気がしたことをするだけで生きてきたんだなと思う。

そして、それだってよくあることなのだろうけれど、この人とずっと一緒にいるのが自分にとって一番いいのだろうと思わされるような巡り合わせや、そういう気にならざるをえないような状況は、俺の目の前には流れてくることがないままになってしまったのだ。




自分の息子なのかもしれない相手に向けた手紙として書いた「息子君へ」でも、そういうことについて、あれこれ書いています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?