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【連載小説】息子君へ 223 (43 人生は終わるけれど勃起は続く-11)
どれだけセックスが飛び抜けてひとを喜ばせるもので、どれくらいほとんどのひとにとって、セックスくらいしかひとに喜んでもらえることがないのかということを君はわかっていないといけない。そうでないと、どうして世の中がこんなにもセックスのことばかりを大事なこととして扱い続けているのかということがわからなくなってしまう。そして、君の生きる時代がまさにそうなるのだろうけれど、セックスが嫌いなひとたちや、セック
もっとみる本当の自分なんてないと思っているのはその人だけ
本当の自分なんてないと思っているのはその人だけ。
その人を見ている人からすれば、その人はいつでも、誰といても、携帯電話を操作していたり、パソコンの画面を見つめているときですら、その人以外の何者にも見えることはない。
いつだってその人は、その人らしさの範囲でしか動くことも表情を作ることもない肉体でしかないのだから、それは当然のことだろう。
自分の身体感覚を自分だと思わずに、自分の思考内容や行動選択
【連載小説】息子君へ 222 (43 人生は終わるけれど勃起は続く-10)
相手に気持ちを動かしてもらえるひとの場合、セックスしていて身体に充満してくる喜びとか興奮というのは、オナニーしているときのような、自分の中のイメージに集中することで高まってくる興奮とは、体感として全く違ったものになる。興奮されていることに興奮して、自分が興奮してしまっていることにも興奮して、その興奮が勝手にどんどんお互いに伝わって、それぞれが二人分の興奮でいっぱいいっぱいになってしまうことで、自
もっとみる【連載小説】息子君へ 221 (43 人生は終わるけれど勃起は続く-9)
どうなんだろう。若い頃にいいセックスをしていれば、肉体的な共感能力も向上していたんじゃないかなんて、障害のあるひとをバカにしていると思っているんだろうか。
けれど、ひとは感じ方や考え方を変えれば物事を新しく体験できるものだし、新しい経験によって、新しい観点や新しい感覚がそのひとの中に生まれたりするものなのだ。そして、新しい感覚はそれを使っていくほどにどんどんと自分のものになっていって、より強く
【連載小説】息子君へ 220 (43 人生は終わるけれど勃起は続く-8)
けれど、俺がそう思うのは、そもそも俺がわざとらしいことされるのをあまり楽しめなくて、わざとらしいことをされていると、ずっとわざとらしいなと思い続けてしまうからというのもあるのだろう。ぶりっ子をしているひとと関わるのも不快だけれど、それと同じように、俺はきっと、多くの男が好きそうな感じにエロい女ぶっているひととセックスしたとしても居心地悪く感じるのだろうと思う。
ぶりっ子をかわいいと思うことと、
美林華飯店に麻布台ヒルズができてから初めて行った
久しぶりに六本木の美林華飯店に行った。
昔もお昼の早い時間に行くとおばちゃんがいないことが多かったけれど、やっぱりいなくて、久しぶりとお喋りすることはできなかった。
昔からいるお姉さんはいたけれど、特に何とも言われなかった。
もう俺の顔を忘れていたのかもしれないけれど、おばちゃんと違って、お姉さんは特に俺ににこやかじゃなかったというか、十年くらい前まで、毎日のように昼に行っていた頃でも、おばちゃん
【連載小説】息子君へ 219 (43 人生は終わるけれど勃起は続く-7)
肉体的に共感がまともに働いているのかどうかが、そのひとにとってセックスがどういうものになるのかに大きく影響するということでは、きっと、歳を取るほどセックスが自分の中で大事になっていくのは、ひとの気持ちを自動的に感じ取ってしまう度合いの高いひとたちの方なのだろう。
ひとの気持ちを感じ取れるひとは、自分が思いたいことを思っているよりも、伝わってくる他人の感情に気持ちが動かされることを出発点にして何
【連載小説】息子君へ 218 (43 人生は終わるけれど勃起は続く-6)
この手紙のようなものの中では、俺の昔の話は、生育環境の話以外は、ほとんど俺の恋愛とセックスの話になっているけれど、俺自身は、今までセックスくらいしか思い返すことない人生だったわけではなかった。十八歳まではまるっきり空っぽで、十八歳から十年ちょっと、それなりにがむしゃらに過ごせたし、その期間には、セックス以外にも、あの場所であのひとたちとあんなふうに過ごせてよかったなと思い出せるあれこれがいくつも
もっとみる【連載小説】息子君へ 217 (43 人生は終わるけれど勃起は続く-5)
けれど、義理マンを憎むことからも、男たちが自分の生活の中に何も輝いたものを感じ取れていないということがわかるだろう。きっと義理マンだけでなく、生活に取り込まれてしまった何もかもを男たちは色褪せたものに感じていて、自分がうまくやれている気になれているときにいい気になっていられるということにしか、男は自分の生活の中に喜びを感じられないものなのかもしれない。
自分の人生の中に輝いたものを感じ取りにく
【連載小説】息子君へ 216 (43 人生は終わるけれど勃起は続く-4)
多くの夫婦がセックスレスになるのは当然のことなんだろうなと思う。女のひとからすれば、優しくしようという気持ちも伝わってこないし、やっているセックスにしても、頭の中でポルノをなぞって自分の中で興奮するのに付き合わされている感じになるのだ。女のひとの側もポルノ的妄想を頭の中でなぞりながら、お互いが相手の身体を使ってオナニーをするようにして、お互い興奮できていることに興奮し合って、うまくやっている場合
もっとみる【連載小説】息子君へ 215 (43 人生は終わるけれど勃起は続く-3)
俺はセックスを素晴らしいものだと思っていて、セックスを軽視するのが間違いだということを今から書いていこうとしているのだけれど、俺はどんなセックスもいつでも素晴らしいものだと思っているわけではないんだよ。むしろ、世の中の多くのひとがセックスを男の性欲で汚れたものとして心底憎んでいるのも当然だと思っている。
そもそものところとして、喜んでもらうためにしているセックスと、そうではないセックスがあるの
【連載小説】息子君へ 214 (43 人生は終わるけれど勃起は続く-2)
どんなふうにセックスが圧倒的に人生に大事なのかというのは、とても簡単に説明できる。セックスがなければ、多くのひとは他人への用事が何もなくなってしまうんだ。
いい歳をした男たちでは、それは特に顕著なのだろう。男たちは寂しいからと集まって話をしようとしたりしない。群れていい気になっているのが好きでしょうがないひとたちもいるけれど、そういうわけでもなく、一緒に何かのプロジェクトをやっている仲間がいる
【連載小説】息子君へ 213 (43 人生は終わるけれど勃起は続く-1)
43 人生は終わるけれど勃起は続く この手紙のようなものを読んでいて、俺が君のお母さんに対して、どうしようもなく突き放している部分があるのを感じてきただろうけれど、それは俺の心がほとんど止まってしまっているからそうなってしまったというのが大きかったのだと思う。昔の俺だったら、君のお母さんのようなひとと関係を持ったとしても、どうしてこのひとはこうなのだろうという気持ちを直接相手にぶつけて、相手の反応
もっとみる【連載小説】息子君へ 212 (42 心は終わっていく-8)
けれど、そういう時代の変化という問題でいえば、三十歳とか、三十五歳くらいで心が止まってくるとして、女のひとたちの晩婚化によって、心が止まりかけている時期から子供が生まれて、小さい頃の子育てが行われる場合が増えたというのは、近年の子供たちの気質の変化の一つの要因になっていたりするのかもしれない。
親に子育てを手伝ってもらうわけでもなく、育児書を見ながら一人で自分なりに育てるようなスタイルになって
【連載小説】息子君へ 211 (42 心は終わっていく-7)
けれど、今となってはとても不思議なことだけれど、どうして小学校とか中学校でそういうことを教えないんだろうと思う。おじさんおばさんになると、何事もさほど楽しくなくなるというのはとてつもなく大事なことなのだし、ちゃんと子供の頃から教えておくべきだろう。
大人になったらいろんなことが楽しめると思っている子供は多いだろうけれど、それは心がおじさんおばさんになるまでの話なのだ。心がおじさんおばさんになっ
【連載小説】息子君へ 210 (42 心は終わっていく-6)
みんなそのうちに、心があまり動かなくなった自分に飽きてしまう。自分のことを自分にとってすらたいして面白くもないと思うようになっていく。まだまわりからは若者と見られているうちに、そんなふうになってしまうのだ。
自分という役回りをこなしているだけでそれなりに精一杯で、なんとかやっていけるようになってこれたことにはよかったと思っているけれど、今となっては、自分はだいたいこんな程度なんだなと思ってしま