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MicroCPUの話

と言うのを連載で書こうと思う。
と言うか、以前にブログに書きかけたのだが、なぜかページが飛んでしまい残っていない。いくつか原稿めいたものは手元にあるので、再度アップしようと思っていたが、そのまま果たせずにいる。
まぁ、元々が過去を振り返るなんて言う柄ではないので、積極的に過去のことを書いたことはこれまでなかったし、たぶん、これからも無いかもしれない(笑)
が、これまで知って来た様々なコンピュータの構造と言うかアーキテクチャについて、そのまま忘れ去るのも、ちょっと勿体ないかな、と思うので、思い出すままに綴ってみようと思う。記憶があいまいなことも多いけれど、世の中にはずいぶんと自分勝手に(自分の都合のいいように)事実とはかけ離れた、歪曲した記事を書いている人もいるようなので・・・少しでも訂正したい、と言う気持ちも込めて、思い出しながら、あるいは少しは過去の資料なども探しながら。
ただ、大型コンピュータやオフィスコンピュータ(いずれも死語ですねぇ)はほとんど関わっていないし、ミニコン(これも死語)はほんの一部しか知らない。だから大半の話は、IC化されて誰でも簡単に入手したり「作ったり」出来たマイクロコンピュータの話になってしまう。
いや、そもそもマイクロコンピュータ(米国ではMicroと略されることが多かった)さえ死語かもしれない。その後、このMicroCPUを使った「完成した装置」が市販されるようになり、米国では Personal Computer  とか、PCと呼ばれるようになる。日本ではパーソナルコンピュータでは長く言いにくいと言うので、パーコンだのパソコンだのと言う略称が提唱されたが、さすがに「パー」はバカみたいだから、と、パソコンと言う略称が一般化した。

前説、と言うか、雑感。

思い返せば、私自身はもうずいぶんと長い間、ハードウェアとソフトウェアのはざまでウロウロしていたなぁ、と思う。いや、そもそも私は根っからのソフトウェアの人なのだけれど、なぜか素養も資質も何もないまま、ハードウェアのことにも関わって来た。関わって来た、と言うより、関わらざるを得なかっただけなのだけれど。
最初は何も知らなかった。世の中にコンピュータと言うものがある、と言う話は、もちろん知ってはいたが、それがどんなもので、どんな風に使い使われるものか何も知らなかった。
ずっと後になって、同年配のどこかのS氏とか言う人物が、中学だか高校生の頃から、親の脛だか傘だか何だか知らんが使いまくって、東大の研究室に出入りしてコンピュータで遊んでいた、と言う話を聞いて複雑な気持ちになったのを憶えている。なにしろ、私はその頃になってやっとソフトウェアのことを知り始めたばかり、で・・・でも実際に回りにコンピュータのコの字さえ、弄るどころか、見ることさえ出来ずにいたというのに(-_-)
最初はコンピュータ本体ではなく、プログラミング言語としてのFORTRANだった。NHKで「コンピューター講座」と言う番組が放送されたのだ。番組ではミニコンと言う小型の冷蔵庫くらいのコンピュータを使って、FORTRANを使ったプログラミングの解説が行われた。同時にテキスト本の代わりとして、(たしか)NHKブックスの一冊として新書よりちょっと大きめの単行本が出版された。
私が実際のコンピュータというものを見た最初であり、プログラミング言語というものについて具体的な話を聞いた最初である。ま、もっともテレビ越しに「見て」も、話を聞いてもまるで雲を掴むようなことでしかなかったのは事実である(苦笑)
そして、見よう見真似にプログラムを書いてみたけれど、実際に動作させる環境があるわけでもなく・・・
その後、大学に進み、コンピュータの授業もあったけれど、その時も課題として書いたプログラムは、自分で試すことは出来ず、先生が試して来て、OKだとかダメだとか言ってくれるだけで・・・ま、そういう時代だったのだ。
卒業研究で初めてコンピュータに触れることが出来た。そして悟ったのだ、これは私の天職かもしれない、と。ずいぶんと回り道をした気がする。
この時使ったのはミニコンで、言語の大半はアセンブラ、つまりほぼコンピュータのネイティブな言語(機械語)と同様のものである。
これによって、プログラミングのことだけでなく、コンピュータの仕組みと言うか、内部構造までほとんど一気に理解することが出来た。それには、ほんの一ヶ月も掛からなかった。最初からS氏のように直接コンピュータに触れる機会があれば、とどれだけ恨んだか・・・
その後、縁があって大阪の小さな計測機器を作るメーカに就職したのだが、当時はまだリレーから、トランジスタやTTLと呼ばれる論理回路をIC化したもので設計・製造する時代への転換期であった。
それでも社長は先取的な人で、自身ではコンピュータのコの字もわからないにも関わらず、これからはMicroCPUを使った設計を取り入れて行かなけれならない、と言う信念を持っていて、実際に某社から、そういうシステムを受注して来たのだ。
そして曰く。大学でコンピュータのことを学んだのなら、簡単なことだろう、お前がやれ、と。
いやいや、私はソフトウェアを・・・
ともかく、すでに受注してしまっているのである。やらざるを得ない。ハードウェアなど、設計したことも作ったこともない私がやることになった(苦笑)
かくして、まずは懇意にしてる商社マンにお願いして資料集めから始めたのだが・・・ともかく、すぐに入手出来そうなチップなど、ほとんどないのだ。雑誌で名前などは知っていても、インテルなど、開発用のシステムなどバカ高いものを揃えないと何も出来そうにないし・・・
そうして始まった MicroCPU 行脚、考えてみればほんの数年の間に、どれだけ多くのチップを試し、プログラムを書いて来たことか。それでも、結局主として使っていたのはほんの数種かもしれないが。
それらの、使ったチップ、少しだけ試したチップ、検討しただけで、結局ボツにせざるを得なかったチップ達・・・どこまで書けるかわからないが。


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