日記1006

 ジュンパ・ラヒリの著書「停電の夜に」を読んだ。若い夫婦の間に、生まれてくるはずであった子供が死産で、そこで夫婦の間に亀裂が入り、修復を試みるも…という話だ。絶賛されて大きな賞も受賞している作品集の中の一遍なのだが、いまひとつ入り込めなかった。死産によってかなり精神的ダメージを受けているのであろう妻に、夫が冷たすぎるように私には見えた。夫ももちろんショックだったんだろうけど、もうちょっと寄り添ってみてもよくない?と。スウェットパンツにスニーカーの妻にも、すっぴんの妻にも、言葉には出さずともコメントが厳しい。女性らしく振る舞うことってそんなに大事か?と妙なところで引っかかってしまった。

 もはや妻のことを愛していない、という意味だったとも読める。最終的にどうなりましたという結果は書かれていないのだけど、修復が不可能なところまで、来てしまっているということだったのかもしれない。

 20代ぐらいまでの美しさは、親や先祖から受け継いだものに左右される。恵まれることもあるし、そうでないこともある。それ以降は、その人の生き方が徐々に表出してくる。化粧や服装によってある程度繕うことはできるけれども、雰囲気や仕草、話し方など、無意識で行っていることに、出てしまうものだと思う。何を着て人に会うか、何色の口紅をつけ、どう振る舞うか。ひとつずつ考えてみることは大事だけど、それらによってコントロールできることはほんの一部。そこにエネルギーを注ぎすぎるのは、違うよなあと。はっとするほど美しい人に出会ったら、因数分解して、一体何がそうさせてみせるのか、考えてみることって大事かなと思っている。

 誰にどう見られているかなんてわからない。そんなことを気にして生きるのはいやだ。いやだけど、一生、ジャッジされ続けるのであろう。

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