みんな違っていいと思う
今シーズン、もうすぐやってくる自分の誕生日プレゼントとして、
目が眩しくなるくらいの黄色のコートを購入した。
HAPPY BIRTHDAY TO ME!
いつも頑張っている自分へのプレゼント。
先日、電車で黄色のコートをすごく素敵に着こなしている人を見て、真似したいと思った。探しに探した。
結局、彼女が着ていた同じようなコートは見つけられなかったが、でも結果自分が着ていてワクワクするお気に入りが見つかって、上機嫌。
これを着て街を歩いていると、自分の周りがパッと華やぐ感じで気分が上がる。
冬はどうしても無難に暗い色を選んでしまいがち。みんな同じような色味で。
そんな中、私は逆に人があまり選ばないであろう色をつい、選びたくなる。
パッキリ原色の。
とはいえ、私がいつも人と真逆をいくわけではないし、流行も追う。
ただ私は昔から、人と同じ事をするという事が正しいという考えがどちらかというとあまり好きではなかった。
子供の頃から人とは違うものを選びたがるタイプというか、他の人と一緒に同じひとまとまりにされることがあまり好きではないというか。
今でこそ、社会は個性が受け入れられるようになってきたけれど、
昔は、「みんなと同じであるべき」ということが美学という時代に思える。
ランドセルは男の子は「黒」女の子は「赤」
習字道具カバンも「黒」と「赤」
就職はみんな黒い髪の毛を一つに束ねて、リクルートスーツで就職活動
私はその「みんなと一緒の一人」にはなりたくなかった。
だから私の小学生当時は本当に珍しかったが、
ランドセルはピンクにしたし、
習字道具カバンもピンクのミッキーマウス付き。
新卒の就職活動というものもほぼしなかった。
要するに、日本社会の中では、変わり者の部類なんだろう(笑)。
今なんてランドセルも自分の好きな色を何10色の中から選べるのだから
素晴らしい世の中になったものだ。
海外滞在中に、ある日本人に私のやってることは日本社会では全く通用しないというようなことを言われたことがあった。周りの人に悩みを相談した時、
「それがshocoという人間なのだから、自分のやっている事に自信を持っていい。他の人のいうことなんて気にしなくていいんだよ。」
年齢で悩んでいた時も、
「年齢なんてただの数字だ。」
そう言われた時に、すごく肩の荷が下りて救われた気分になったのを覚えている。
日本に戻ってきて、まただんだんとその感覚は鈍くなってきたのだけど。
人間は環境に順応していくからいろんな考え、ものの見方を刷り込まれ、上書きされていくのだろう。
何が言いたいのかよく分からなくなってきたけど、自分が導き出したものは人と同じじゃなくていい。自分が心から好きなものを身にまとって、周りに白い目で見られることがあったとしても、自分の心の声に正直に生きていく。
だから私は、今日もひときわ目立つ、黄色いコートを着て、
街を歩いている。
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