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大人のゆる遠足 #01 『帰って来た橋本治展』へ行く


「ゆる遠足」のきっかけ

5月某日。大人のゆる遠足の日。
お目当ては「帰って来た橋本治展」。
こちらは、横浜・港の見える丘公園にある「県立神奈川近代文学館」で開催されていたもの。

遠足のメンバーは、こちらの皆さん。
内田樹先生(凱風館館長、神戸女学院大学名誉教授。往復書簡でいつもお世話になってます)
平川克美さん(隣町珈琲(となりまちかふぇ)店主、文筆家)
小田嶋美香子さん(コラムニスト小田嶋隆さんの奥様)
小林哲夫さん(ジャーナリスト、編集者)
中島京子さん(作家)
(以上、参加表明順)

この遠足のきっかけは、内田先生が「デモクラシータイムス」というYouTubeの番組に出演された際、進行されていた池田香代子さんから「橋本治さんの展覧会は行かれましたか?」と尋ねられたシーンを見たことだった。

「行きたいんですよね…行きたいなぁ…行けるかなぁ…」

と、静かにつぶやくようにお応えになっていた内田先生のお姿から、

「このままだと、内田先生が行けないうちに、展覧会が終わってしまう…」

と思った私。

「どうやったら、内田先生がこの展覧会に行けるようになるだろうか?」

と考え始めたところ、

「あ、何人かと一緒に行く約束をしておけば、いいんじゃない?あ、これは“遠足”と呼ぶのがちょうどいい!」

と、わりかしこたえはすぐに出て、さっそく内田先生へ連絡することに。

「遠足として、橋本治さんの展覧会に行きませんか?内田先生のご都合のよい日を平川さんにもご連絡してみます」

と、超絶お忙しい内田先生に、こんなのんきな連絡をしたのが4月の下旬。
内田先生も平川さんも、二つ返事で快諾してくださり、遠足企画が発足することとなった。

楽しみな気持ち故、遠足のチラシまで作ってしまった。


遠足当日は腹ごしらえから

遠足当日。
展覧会の前に向かう前に、平川さんが店主をされている「隣町珈琲」にてナポリタンランチで腹ごしらえ(美味)。
平川さんと小田嶋美香子さん(mikkaさん)と一緒に、横浜の元町・中華街駅へ向かう。

元町・中華街駅で、内田先生と小林哲夫さん・中島京子さんご夫妻と合流。
アメリカ山公園を抜け、外国人墓地の脇を通って、港の見える丘公園内にある「県立神奈川近代文学館」に無事到着。

入場してすぐのロビーで、映像上映がされていた。
『マルメロ草紙』という書籍の制作過程をまとめた映像で、上映時間5分程度のなかに、書籍の発刊までに8年が凝縮されている。
この映像から、橋本治さんの「美しさ」へのこだわりに触れ、展覧会本編へと足を進める。

展覧会の構成は、4部構成でした

展覧会は、以下の4部で構成されていた。

 第1部 橋本治とその時代
 第2部 作家のおしごと
 第3部 橋本治美術館
 Epilogue 若者たちよ!

第1部では、橋本治さんの生涯と社会情勢が記された年表に沿って、展示がなされていた。
幼いころのご自身を回想されて書かれた自画像イラストが、とてもかわいくて、おもわず頬が緩んでしまう。
(このイラストは、『橋本治の明星的大青春』(1997、集英社文庫)のジャケット原画とのこと)
学生時代に足繫く通われていた、歌舞伎のチケットの半券をスクラップ帖に残していらっしゃるのも印象的だった。

第2部では、作家としてのおしごとの足跡をたどった。
『桃尻娘』を皮切りに、書籍と作品制作にまつわる資料、それに原稿も展示されていた。
橋本治さんは、ほとんどの原稿を手書きされていて、一時はワープロをお使いにもなっていたそうなのだけれど、あまりの速さと力強さでキーボードを叩いたために、何台か壊してしまったそうだ。
(ちなみに、壊れてしまったワープロも展示品のひとつだった)
『双調 平家物語』の原稿は、圧巻だった。
まず、量がすごい。
40~50センチの原稿用紙の山が、ふた山。
それに加えて、この作品の執筆にあたっての資料(年表など)も作られている。
先に書いた原稿用紙の山は、展示されているのが、とりあえず、ふた山。
これは『双調 平家物語』だけの原稿だし、他の作品の原稿…例えば『人工島戦記』のように、岩みたいに分厚い1冊も、原稿用紙に単純に置き直しても、相当の枚数になるだろうし、橋本さんの他の作品の資料展示から類推するに、1作品の原稿を大きく上回るものを、すでに「下準備」の段階でお書きになっていることは、容易に想像がつく。
展示されていた手書き原稿(作品名、忘れちゃった…)の中に、「どうして書くのか?」という問いに対して、橋本さんは、「この質問は、きっと『どうしてこんなにたくさん書けるのか?書き続けることができるのか?』という質問だと思うが、まず身体が頑丈であることはひとつ理由としてあると思う」というようなことを書かれていたのだけれど、「いくら身体が頑丈でも、こんなに書いていたら、腱鞘炎になったり、肩がバリバリに凝って、身体が使いものにならなくなってもおかしくない…」と、思ってしまう。
橋本治さんの仕事量に、とにかく圧倒される。

第3部は、橋本さんの書籍以外の作品である、イラスト、絵画、切り絵、編み物作品などが展示されていた。
どの作品も、書籍同様に、橋本さんの「美」が隅々にまで静かにいきわたっている。
個人的には、編み物作品の「時雨の紅葉」と、切り絵の「変わり花札」の「紫陽花と犬」が特に印象に残った。

Epilogueには、橋本治さんが15歳の自分へ向けた作品群が集められている。
「帰って来た橋本治展」のパンフレットによると、
「橋本は『本は読まないが頭のいい十五の男の子』最低限の読者として想定している。なぜなら『自分がそういうものだった』から。人生や社会を説く中で答えを示すのではなく、問題を残しながら、手を差し伸べる。問題に気づくこと、自分の問題として捉えること、たとえ解決できなくても向かうべき良い方向を見つけ出すことを読者に課している。」(62ページより)
のだそう。

ここに集められた作品は以下のとおり。
まずは書籍。
『シンデレラボーイ シンデレラガール』(北宋社、1981年)
『ぼくらのSEX』(集英社、1993年)
『貧乏は正しい!』全5冊(集英社、1994~1996年)
『花物語』(集英社、1995年)
『無意味な年 無意味な思想』(マガジンハウス、1992年)

続いて手書き原稿や、脚本制作メモ。
『勉強ができなくても恥ずかしくない』(ちくまプリマ―新書、2005年)
テレビドラマ『ピーマン白書』(テレビマンユニオン、フジテレビ、1980年放映)

このなかで印象的だったのは、『シンデレラボーイ シンデレラガール』の一節が大書されたパネルだった。
そこには、こう書かれていた。

「君は知らないかもしれないけど、人生がなぜこんなに長いのかというと、失敗した人間が、何遍だってやり直して、それでもまだ未来が余分に残っている為だからだよ。
人生はやり直しがきかないって、一体誰が決めたの?悪いけど、人生って、いくらでもやり直しがきくんだよね。」

とうに十五の歳を過ぎたわたしも、この言葉から「解決できなくても向かうべき良い方向を見つけ出す」ための一歩を踏み出す勇気をもらった。

心温まる展示を見終えて、館内の喫茶室でみなさんと小休憩。
橋本治さんと内田先生の対談本『橋本治と内田樹』が展示されていたことに、内田先生はとてもうれしそうに、少し照れくさそうに、喜んでおられた。

近代文学館の表の看板前で、記念撮影。
こういうの、なんだか遠足って感じがして、うれしい。
今回の遠足を企画後に、橋本治さんの作品を詰め込むように読み進めたわたし。
この無礼を心の中で伏してお詫びしつつ展示を拝見し、引き続き橋本治さんの作品を読み進めていきたい、と強く思いながら、近代文学館を後にする。

文学館前にて。
左から小林さん、中島さん、内田先生、
平川さん、小田嶋さん。


中華街方面へ移動中。
(撮影:小田嶋美香子さん)


展示の後は、中華街へ

中華街の入り口までみんなで歩いた後、小林さん・中島さんご夫妻とここでお別れ。
残りのメンバーで、中華街にある「海南飯店」を目指す。
ここは、昔から内田先生がよく通われていた、いわゆる「町中華」お店。
お夕飯場所は行き当たりばったりで決めることになっていたことから、内田先生がご提案くださった。
昔からお店のイチ押しのひとつという蒸し鶏、ふかひれスープのおこげ、八宝菜など、どれもボリュームがあって、おいしかった。
「えびの巻き揚げ」というはじめて目にするメニューは、お肉とエビの揚げ春巻きといった感じで、こちらも美味。
今度来店した時は、蒸し鶏と並んでお店のイチ押しメニューある「ネギそば」までたどり着きたい。

ちょうどいい塩梅におなかが満たされたところで、河岸を変えて、喫茶店へ。
小田嶋美香子さんからご提案いただいて、ローズホテルの喫茶室で一服。
アメリカ大統領選、東京都知事選、文学の話、日本の政治のこと…などなど、内田先生・平川さん・小田嶋美香子さんら大人の皆さんのお話に、ただひたすら耳を傾け、勉強させていただく。

ちょうどいい時間になったので、帰路につくことに。
大人の遠足は、こうして無事に終わりました。
とても楽しかった。
また、どこかに遠足したいな。


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