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表現をしない表現とは

表現もいろいろある。
時折…というか、求められることが多くなってきた表現をしない表現について、雑感を記していこうとおもう。

ナチュラルな演技、自然な演技とも言われるが所謂ナマっぽさを求められる演技の事だ…と思ってると沼に嵌ってしまうこともあるので、各人ケースバイで対応していただきたいものだが…我々は成長とともに、様々な素養を身につけたり、それまでの成長の過程で手放したもの強みがより強化されたものなど、一纏めには到底できない多様性を獲得している(と思う)。

演技とひとつにまとめてみても、演じるべき役は多様性に溢れており似たような演技では要件を満たさない事もままあるのだ。

例えば立場。その立場が変わることによって、伝えなくてもよい情報、あえて伝えなくてはいけない表情なども出てくる。

例えば時候。タイミングによっては、言わなくていいこと、言わなくてはならないことは変わってくる。

例えば目的。目的が変われば、目指す場所、やらなければいけない事柄も変わる。

役の掘り下げ…といえばそれまでになるのだが、理解したうえで表現しない表現もまた出てくるのだ。アクションを起こすことだけが表現ではない、また表現をしないことは表面上のことで、目線が変化すれば意図があり、表現が隠されている場合がある。

物語の主旋律は、探ろうとしなくても教えてくれることが多いわけだが、そういった単一の視点ではなく、裏を見てみたりだとか、掘り下げてみたりだとか…作品に深く関わっていく事で物語は立体になり、別の視点を生み出すだろう。

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