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俳優の学び方、生き方 ①

※ この記事は、VORPALオンラインサロンからの加筆転載となります。

俳優には社会的認識がありません。
なにが一般人と違うのか、どういった点が優れているのかを考える必要があります。
これは、自身がどういった道を歩んでいきたいかの話にもなります。すなわち『何によって覚えられたいか』

・出演作に自己の存在を求める
・演技のエキスパートとして印象に残す
・出演料の高さで声をとどろかせる
・仲間たちと楽しくをモットーに
・お客の要求に応えていく

すべてがやりがいです。

しかしながら老子曰く
『道可道、非常道。名可名、非常名』
道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。
ともあります。

かみ砕くと これが道だと説明できるようなものはない もしそんなものがあるのだとしたら、それは道ではないのだと言う。
そして、これが名だと呼べるようなものもなく、 そんなものがあれば、それは本当の名を表してはいない。

完成がない、不完全なもの。俳優の生き方のみならずではありますけれども、誰かによって決められたレールの上を進んでいく…なんてことはないわけです。人生って。

その時々のライフスタイルや、年齢によって見えるもの目指すものも変化していきます。
20代の時には当たり前に出来ていたことが、ある日突然出来なくなる。反対に若手の時にどれだけ苦しんでいても、ある年齢になったら突然視界が開けるような気付きがある。
その時その時で立ち止まり、今の自分を見つめてみるのもいいでしょう。 俳優の修行をはじめたはいいけれど、これからの生き方が心配だ。実家からは帰ってきて身を固めろと言われる。結婚する事になったが、俳優を続けていて大丈夫だろうか…悩みはつきませんよね。

どれくらい続ければいいのか、修行にかかる期間はどれくらいか…気やすめかもしれませんが、世阿弥が遺した秘伝書、風姿花伝の第一章に『年来稽古条々』というものがあります。

世阿弥は現在の能また歌舞伎の祖形を大成した人物ですが、能の稽古と演技についてを年齢とあわせて伝えています。ここでは現代語訳を紹介していきますが、あわせて俳優修行の立ち位置を見てみるとよいでしょう。

幼年期(7歳頃)
能の芸においてはおおよそ七歳を以て稽古開始の年齢とする。 この頃の子供の能の稽古では、必ず、その子供が自然とやりだすことの中に、得意な演技というものがあるはずだ。
舞・身のこなしなど、謡もしくは荒々しい鬼の演技など、なんでもよいから、ふと、自分からやりだす演じ方を、本人にまかせて、好きなようにさせるがよい。
むやみに「良い」、「悪い」と指導してはならない。あまりひどく注意すると、子供はやる気をなくして、能の稽古がいやになってしまうので、そのまま芸の成長は止まってしまう。
ただし、謡・身のこなし・舞など以外はさせてはならない。
相当込み入った物まねは、たとえ出来るにしても無理に教えるべきではない。
晴れの舞台の冒頭の能には、出演させてはならない。三番目か四番目の時期の良い時を見て、得意な演技をさせるがよい。

稽古はじめを七歳と見れば子どもの習いごとでいいかもしれませんが、高校を卒業し、専門学校を出て、事務所の養成所に入った頃にはもう二十歳はこえていることでしょう。そこから俳優修行を本格的に始めるという事であれば、すでに子役から活躍している俳優とくらべてもだいぶ遅いスタートと言わざるをえません。
ゆったりと基礎を身につけ、経験を積み、現場に出る頃には三十路に足を踏み込んでいる事も珍しくはありません。その頃になれば、結婚や親の体調など心配事も多く出る事でしょう…仕事もないし、いつまで経っても芽は出ないし、もう辞めてしまおうか…そんなことを考えるかもしれません。
ですが、そんな時に踏み止まれるのはこの時期に得た体験です。演技の楽しさ、挑戦欲、創意工夫…演技をするために必要なエッセンスはこの時期に多く身につくことでしょう。俳優の挑戦する意欲、要求に応えていく力、そういったものが育つ土壌は『表現をする事の楽しさ』です。

少年前期(12〜13歳より)
この年齢頃からは、すでに次第に謡の声も笛の調子に合うようになり、演技にも自覚が生まれる時期なので、すこしづつ、いろいろな演目を教えるのがよい。
まずは稚児姿なので、何をやっても可愛らしい美しさがある。
声も明瞭で華やかに聞こえる時期だ。
この二つの利点があるので、欠点は隠れ、美点はいよいよ魅力的に見えるのだ。
だいたい、子供の申楽では、むやみに手の込んだ演技の能などはさせてはならない。
実際の舞台でも不似合いだし、芸も上達しない傾向がある。
ただし、非常に優れた子供であったなら、どんなふうにやってもよかろう。
稚児姿といい、よい声といい、しかも上手ならば、どうして悪いことがあろうか。
しかしながら、この「花」は、真実の芸の力から生まれた花ではない。
たんなるその時限りの花だ。
であれば、この年頃の稽古は、この「時分の花」に助けられて、万事につけて容易(たやす)いのだ。そういうわけで、この時期の芸は一生の芸の良し悪しを見定める判断材料には決してならないのだ。
この時期の稽古には、やすやすと出来る芸で魅力を発揮し、正確に演じることを大事にしなければならない。
すなはち、所作でもしっかりと正確に動き、謡もはっきりと発音して歌い、舞も型をしっかりと習得して、一つ一つの技術を大事にして稽古するがよい。

稽古をはじめて五年が経った頃…養成所に入り五年が経った頃というと、そろそろ現場デビューが視野に入ってくる時分でしょうか?
声優業界でいえば、この時期は新人です。ジュニアランクにも到達していない本当の意味での新人ですね。
デビューしたての頃は業界の先輩も多少の失敗には目を瞑ってくれるかもしれません。価格の安さからディレクターも使ってくれるかもしれません。新人の物珍しさ、フレッシュさから可愛がられる事もあるでしょう。
そう、子どもならね。
二十歳からはじめたとして五年…二十五歳といえば、まあまあ大人です。
新人とはいえ、それなりのうまさが求められます。なんといっても、趣味でやるわけではなく仕事として対価をいただくわけですものね。
現場に出るようになると様々な情報が一気に押し寄せます。ひとつひとつに向き合ううちに演技が凝り固まったり、変な癖がついたり、自分だけで演技しようとしたりと当の本人にとっては苦しい時期かもしれません。
しかしながら、世阿弥さんもおっしゃってますけれどもこのときに求められるものは『時分の花』かりそめのものであると。
経験を積ませようと、いろんな役をいただく事があるかもしれません。自分に合う役、合わない役色々演じる機会があることでしょう。
この時期にしっかり自分の基礎を固めておく事、自力ではなく他力を頼む心を持つこと…とても大切だと思います。このへんはそのうち掘り下げたいですね。

少年後期(17〜18歳より)
この頃は、また、よほど気をつけなければならない時期で、稽古を多くしない方がよい。
何故かというと、まず、声変わりしているので、少年期の声の美しさという第一の花は無くなってしまった。
身体も背が伸びて腰がひょろついてくるので、稚児の愛らしさはなくなり、過去の声も美しく、姿も華やかで何をやってもたやすく喝采を浴びた時期に比べて、今までのやり方が全く通用しなくなるので、がっかりするのだ。
あげくのはてに、当人にも、見物の人々が冷笑しているよう思え、はづかしさといい、あれやこれやで、この段階で嫌になってしまうのだ。
そこで、この時分の稽古では、ひたすら指をさされて人に笑われようとも、それを気にせず、家では、声が無理なく出せるような調子で、宵の口と明け方に出やすい声の使い分けをして、心の中では神仏に願をかけて、「一生の分かれ目はここだ」と、生涯にわたって能を捨てぬ決心を固める以外に稽古の方法はない。
ここで止めてしまえばそのまま能は終わってしまう。
そもそも声の調子は声の質によるとはいうものの、この時期の声の調子の出し方は黄鐘と盤渉との間を基準として使うがよい。調子にあまりこだわると、姿勢に癖が出てくるものだ。また、その声も年をとってから駄目になる傾向がある。

新人からもさらに五年がたち、業界にも知り合いが増え、名前のある役も任せてもらえるようになってきた頃でしょうか。

新人から五年というと、業界ではジュニアランクがそろそろ終わりになる頃合いでしょうか?
ジュニアランクとはいわゆる新人期間のこと。研修期間のようなもので、ギャランティも、ランカーと比べると安く設定されています。
この新人期間には制限時間があるので、今ではこの制限時間をなんとか延ばそうとしたりだったりとか、新たなシステムを作ろうとしたりだったりとかいろんなアクションがとられています。
個人的には、役のステージを上げたいと考えるのであれば新人期間はなるべく短いほうがいいのではないかと思います。
養成所から新人を経てこの時期になる頃には三十歳になろうかというところ。これから先の人生を考えたり、プライベートに変化があったりする時期とも重なります。それだけに演技以外での悩みも多く纏わり付くことでしょう。
ひたむきに演技に、作品に向き合っていれば気にかけてくれる人、見ていてくれる人は必ずいる筈です。しかし、自分だけの頭で気持ちを塞いでしまっては、その気持ちに応えることはできません。
続けるのも辞めるのも自分の人生ですが、芸の道を続けられるかどうかの決心を決めるのもこの時期でしょう。


さて、オンラインサロンに書いた時よりも私見が多くなりそうなので複数に分けたいと思います。
続きはまた今度。

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