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第二章 リターンライダー

 風薫る五月、そのさわやかな風を切って颯爽と走るライダーたちに、ついつい目がいってしまう。そんな僕に「バイク、また乗りたいんでしょ」と隣の妻は先回りして言う。「いや、そうでもないよ」とあいまいに誤魔化すが、もちろん本音はバイクに未練がある。でもバイクに乗る機会を考えると、購入には二の足を踏んでしまう。
 買い物から帰宅して、もやもやした気分でネットの海を泳いでいると、レンタルバイクというサービスがあるのを見つけた。今は手軽にバイクを借りて楽しむことができる時代らしい。レンタルできる店舗も複数あり、その中に以前お世話になった知立の店もあった。
 三十年くらい前だろうか、仕事帰りに寄ったその店でエンジンがむき出しになった白いバイクに目が釘づけになってしまった。すかさず店員が寄ってきて、ビューエル(ハーレーのエンジンを積んだバイク)の魅力を熱く語り始める。その店員がK子さんだった。僕は彼女の術中にまんまとはまり、マンションを買ったばかりなのにと反対する妻を電話で説得して、その場で購入を決めてしまった。誰にでも気さくに話をする彼女のおかけで、店の常連さんとも仲良くなり、よく茶臼山高原にツーリングに出かけたものだった。
 そんな思い出に浸りながら、高原の風を切って軽やかに走る還暦の自分の姿を夢想していると、気がつけばレンタルの予約をしていた。
 さて予約した当日、ワクワクして店に赴くと、恰幅のいいおばさんがいて、それがK子さんだとすぐにわかった。
「正田さん、お待ちしておりました」
「あれ、覚えていてくれたんだ」
「メールを見てすぐわかりましたよ。大変失礼な言い方ですが、その頭、変わってないですね」
「うるさいなー、K子さんのストレートな物言いも変わんないねー」
 そんな会話をしていると三十年という月日が一気に縮まるのを感じる。
 店の前で記念撮影をして、予定通り茶臼山高原を目指す。ほぼ二十年ぶりにまたがるバイクだったが、昨日まで乗っていたかのように走らせることができる。バイクの進化に驚かされるとともに、頭では忘れてしまっていても、身体は覚えているものだと思わず笑みがこぼれる。
 二時間ほどで茶臼山高原に到着し、高原の道をひらりひらりと軽やかに走る。高原の風が心地よい。二十代の頃に路面の凹凸まで覚えているほど走りこんだ道だが、今もその道は変わっていなかった。タイトなコーナーが好きで、高速コーナーでも特に右が苦手な自分の癖も変わっていない。まるで若い頃にタイムスリップしたような気分だ。
 帰りは愛知県と岐阜県の県境にある矢作ダムを経由する。ダム湖の周回道路は道場と呼び兄とよく走った道だ。駐車場で休憩していると、遠くから集合マフラーの甲高い音が近づいてきた。来る! と思った瞬間に二台の大型バイクが、路面ぎりぎりまで車体を倒してコーナーを抜けていく。自分も若い頃はあちら側の人間だったと、やや感傷的になりながら二台を見送った。その後姿は、兄を必死で追っていた頃の僕ら兄弟の姿に重なった。
 店に帰ると当然のことながら、K子さんに新車の購入を勧められる。今度は口車に乗らないぞと心の中で舌を出して聞き流す。物を所有すると愛着も生まれるがそれが負担にもなる。余生を快適に過ごすには身軽な方がいい。当面は乗りたい時に乗ることができるレンタルバイクのお世話になろうと思う。そして過去の記憶をたどるのではなく、まだ読んでいない新しいページを開くようにバイクと付き合っていきたい。僕のバイクライフ第二章はこれから幕を開けるのだ。

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