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無駄・無意味・不必要に思えるものも、必要だから存在する
この研究が面白かった。ASD児は定型児と比較して「最終的な目的を達成する為に不必要だと判断した動作は教えられても行わない」つまり、蓋を開ける前に2回叩いてから蓋を開けると教えられても蓋を開ける為に蓋を叩く動作は不必要だと判断できるので叩かないらしい。https://t.co/XqbIgHnQrG pic.twitter.com/QVnwKHGlUX
— にくじる@2y♂発達ゆっくり (@adhd11510717) March 11, 2022
ASD児は定型児と比較して「最終的な目的を達成する為に不必要だと判断した動作は教えられても行わない」つまり、蓋を開ける前に2回叩いてから蓋を開けると教えられても蓋を開ける為に蓋を叩く動作は不必要だと判断できるので叩かないらしい。
上の話題に対して適切かどうかはわかりませんが、「会社の飲み会なんて無意味」「朝礼なんて無意味」みたいな話はよく聞きます。
私もむかしはそう思っていました。ですが、今はそう思っていません。なぜかというと存在するということは必要としている人が一定数いるということに気が付いたからです。
あきらかにダサい服がなぜ売られているのか?売れるからです。なぜ選挙カーは候補者の名前を大音量で連呼するのか?効果があるからです。
あることに対して、「無意味or不必要」と思うことは生きているとたくさんありますが、それが存在する以上、それを必要としている・それで利益を得ている人が一定数いると考えるべきでしょう。
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