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場として消費されているだけ、という可能性を考える

 3年ほど前の話にはなりますが、とあるインフルエンサーがクラファンを行い支援者が全く集まらなかったという出来事がありました。

Twitterのフォロワーは42.8万人、Instagramのフォロワーは23.9万人を超えています。

https://www.danshihack.com/2019/11/20/junp/uryo1113-cloud-founding.html

 70万人近いSNSフォロワーを抱えながら支援者8名という結果に。当時リアルタイムでこの出来事を見て衝撃を受けた覚えがあります。
 
 なぜこういうことが起きたのかといろいろ考察されていますが、私は下記のように考えました。

 インフルエンサーアンチ界隈やミソジニー界隈、ネトウヨ界隈。いろんな集まりがあり、それぞれの界隈に共通言語があり、不文律が存在します。
 いわゆる社会が存在するわけですが、社会に所属している意識はあっても、あくまでも社会への帰属であって、個人への帰属ではないということなのだと思います。帰属しているのはあくまで界隈で、インフルエンサー個人には興味がないということです。

 SNSでも実社会でも自分とのその人は場としてつながっているのか個人同士としてつながっているのか、意識してみたいと思いました。

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