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観光~草の根の安全保障~

・はじめに

ロシアのウクライナ侵攻は世界に暗い影を落としている。戦争が深刻化するに伴い、日本の安全保障を危惧する声も高まっている。日本の場合、ロシアの他にも中国や北朝鮮などから軍事的脅威にさらされることが多く、このままで日本の安全は守れるのか、防衛費を増大すべきか、憲法9条を変えるべきか、などなど多彩な議論がなされる要因ともなっている。
(9条改憲に関しては以前下記コラムを執筆しました)

誰もが戦争に巻き込まれることなど望んでいない。軍事的側面からの考察はとりあえず専門家の方にお任せとして、違った観点から安全保障について考察してみたい。

・復活する日常

たまたま本日、松野官房長官から「屋外で対人距離のあるところではマスクを推奨せず」とのアナウンスがあった。かれこれ2年以上続いている新型コロナ禍も、徐々に日常を取り戻しつつある。スペイン風邪同様、やはり「3年ほど」というのが感染症の期間となるのだろうか。それに伴い、徐々に外国人観光客の受け入れも再開するという。

入国上限、来月2万人に 月内観光実験、近く最終判断 空港検査も緩和・政府調整(時事通信) - Yahoo!ニュース

来月よりまずは少人数のツアーから受け入れをはじめ、徐々に様子を見ながら受け入れを増やすのだそうだ(まあ7月の参院選終わるまではあまり大規模な拡大はしないと予測するが)。
コロナ以前の日本は、外国人観光客によって莫大な経済効果を上げていた。産業の停滞が問題視される中、数少ない希望の光が観光業であった。政府(国土交通省)主導で多くの観光客を受け入れており、更にはリピーターの多さ(=日本に好印象)の多さもまた報道されていた。
さらに、観光庁の下記サイト
<4D6963726F736F667420506F776572506F696E74202D20323031313033323381798AE989E68EBA817A8ACF8CF590AD8DF4915394CA2E707074205B8CDD8AB78382815B83685D> (mlit.go.jp)
には、

国際観光を通じた草の根交流は、国家間の外交を補完・強化し、安全保障にも大きく貢献

と明記されており、国が観光を安全保障の一環と考えていることがうかがえる。

・観光の効用

これは単純な話である。観光によってその国に好印象を持てば、その人がいずれ国家の要職に就いた際、何かの折にその国を攻撃するのもためらうはずだというものだ。安直なようだが、しかしバカにできない、とも思う。
人間はいくら理性的でも、しかし感覚的である。とっさの判断の時には感覚が優先をするものだろう。
出典は忘れたが、トルーマン大統領は日本がもし白色人種の国だったら、日本に原爆を落とさなかったのではないか、という推論を見た覚えがある。
19世紀末、和歌山県串本で遭難したトルコ船を日本の地元民は献身的に救助した。それがきっかけでトルコは日本に好印象を持つようになり、イラク・イラン戦争の際にはイランにいる日本人を救うべくトルコは航空機を派遣した。
高度経済成長期の日本人は、ジョン・ウェインやダスティン・ホフマンやフレッド・アステアにあこがれ、原爆のことなどすっかり忘れアメリカに心酔した。
かつて存在した「アメリカ横断ウルトラクイズ」では、司会者福留功男の「ニューヨークに行きたいかー-!!」に歓喜した。当時のニューヨークは、世界屈指の犯罪都市だったにもかかわらず、だ。
このようにイメージというのは恐ろしい。だからこそ、これを利用しない手はない。先述の通り、日本に来る観光客は多くが日本に好印象だったという。私も日本中世界中を旅しているが、日本ほど(特に自然が)多様で美しい国はそうない、と(手前味噌でなく)思う。せっかくなんで天橋立と出羽三山でも載せておきますか。

これは完全に余談だが、日本が多くの観光客を集められていた理由の一つは「安いから」というものも指摘されていた。なかなか経済成長率が上がらず、従ってデフレからも脱却できていないのも要因という主張である。無論経済的には良からぬ現象だが、観光の観点から見たときにこれをことさらに卑下することはない。「安くてウマい」なんてまるで夢の国ではないか。世界中旅していると、このことをよく実感する。

・日本の安全保障のために

やがてまた日本中にあふれかえる外国人観光客の方のために、一般人である私ができることなどあるか、ウクライナのニュースを見ながらそんなことをふと考える。決して道に迷った外国人観光客のために、英語で道案内をしてあげるばかりがそれへの貢献ではない。
以前お会いしたドイツ人は、日本に来て最初に印象的だったのは「道がきれいなこと」だったそうだ。私も道がゴミだらけの欧州や中国を見ているので、この印象には正直頷ける。ということは、単に「道にポイ捨てをしない」だけでも立派な観光への貢献、ひいては頭上からの爆弾を回避する手段にもなりうる、ということにならないか。
そう、戦渦を回避するのは政治家や自衛隊ばかりの仕事ではない。我々も微力ながら何だかんだできることがある。人間の相関というのはどこでどう繋がるかわからないのだから。


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