人の意思は弱いからこそ,手続を重視するという先人の知恵が失われつつあることについて
いつの世も,人は弱く,儚いものです。
それが故に,人は多くの過ちを犯し,大切なものを失い,悲しみを味わってきました。
そういった行動を繰り返す中で,先人はあることに気づきました。
それは,「重大な物事を,少数の人々の判断に委ねることは危うい」ということです。
もちろん,人は誰でも過ちを犯します。どれだけ多くの人々が時間を掛けて議論をしても結果が誤っている可能性は否定しきれません。また,衆愚に陥る危険性は常にあります。
「それでも,立場が違う多くの人々が物事の決定過程に関与できるという手続を用意しておけば,誤った判断に至るリスクを可及的に小さくできるはずだ。」
――先人は,そのように考えました。
これは独裁や寡頭による暴走という過ちを2度と繰り返すまい,と決意した先人の反省であり,知恵であり,後生を想う気持ちの表れでした。
そして,そのために,先人は,「重要な物事を改める際には多くの意見を反映できる厳格な手続を経なければならない」というルールを定めました。
日本国憲法96条はこのようなルールの典型例です。
日本国憲法は,比較法的に見ると「硬性憲法」と呼ばれる憲法の1種で,改正に厳格な手続が要求されています。これは,まさに,上記のような先人の意思に基づくものです。
私は,今回の安保法案は,現在の世界情勢からすれば政策論としては十分にあり得る1つの考え方だと理解しています。
しかし,現行憲法の解釈として,安保法案は許されるものではありません。安保法制を実現したいのであれば,憲法を改正する必要があります。
「日本が安保法案を立法しようとする場合,日本は憲法を改正する必要がある」ということは,法治国家であれば十分理解できることです。少なくとも,主要各国は理解しているはずです。
それにもかかわらず,今回,安保法案をあのような形で実現しようとしています。
このような日本を,どの国家が信用するのでしょうか?
「日本と条約を締結したとしても,日本はその条約を遵守せずに破棄してしまう危険性がある。なぜならば,日本は,国家の根幹であり,国民に対する最大の約束事である憲法ですら無視してしまうからだ。」。
今回の国会の動きは,このような理解や印象を世界中に与えてしまったのではないかと,私は危惧しています。長期的に見れば,これほど国益を損なう行動はありません。
とても残念です。
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