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緒方貞子さんのメッセージ 尊厳守り可能性の開花を

* 2022年6月26日に福井新聞「ふくい日曜エッセー」に寄稿した文章です。https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1582877


 人は人生を通じてたくさんの師に出会う。親にはじまり、学校の先生、職場の上司や友人など。私も多くの師に恵まれ、もらった言葉を大事にしながら、なんとかなんとか人生の歩を進めてきた。特に、ウクライナ情勢により難民・国内避難民が1億人を超えるという今日においては、緒方貞子さんの顔が心に浮かぶようになった。緒方さんは、私が社会人生活を始めたJICA(国際協力機構)の当時の理事長だった。緒方さんから訓示をもらい、仕事を始めることができたのは幸運としかいいようがない。今回は、心の師であり、憧れの人である緒方貞子さん(1927~2019年)について綴(つづ)りたい。

 緒方さんのキャリアは大学から始まる。「日本はどうして戦争をしたのか」を問いとし、満州事変からの政策決定過程を研究し「無責任の体制」が原因であると論じた。徐々に国連に仕事の舞台が移るが、「台所から参りました」と自己紹介したとの逸話が残っているとおり、子育てをしながらの活躍であり、本格的に国際社会での役割を担い始められるのは50代以降になってから。そして、1991年から難民保護を使命とする国連機関のトップである国連難民高等弁務官としてご活躍。その後、JICAの理事長となり、日本の国際協力の顔として国際社会にインパクトを与え続けた。

 緒方さんは、人の命や尊厳を守るためであれば、組織のルールは徹底的に変革。難しい立場に置かれた人々に寄り添うことを体現された人だった。国家のための国の安全保障ではなく、人々の尊厳の保護と人々の可能性の後押しのための“人間の安全保障”を訴え、国家の安全保障の狭間(はざま)で生まれてしまう難民の命の保護を懸命に続けた。小さなお身体(からだ)であられたが、時には防弾チョッキに身を包み、時にはヘリコプターに乗り込み、現場に駆けつけた。そんな言行一致の胆力に「小さな巨人」と国際社会は敬意を表して緒方さんを呼んだ。ただし、緒方さんにとっては、“人間としての普通の感覚”だったとのこと。困っている人がいるんだから、そりゃそうでしょ、ということなのだ。

 私自身、20代の社会人を始めた当時から、緒方さんの偉大さを十分に理解できていたかというと、恥ずかしながらまったくである。年を重なる毎(ごと)に、緒方さんが残してくれた言葉を少しずつ理解できるようになってきた。また、自身が人々の幸せ・ウェルビーイングの研究を進める度に、緒方さんの考えが自分の土台をつくってくれたことに気づく。例えば、経済学には、人間を自己の利益を合理的に考え追求する合理的経済人であると見なす人間観がある。私自身はその延長線上に人々の幸せを見ることはなく、尊厳と可能性の人間観を緒方さんからもらった。自分らしく生きられる尊厳が守られ、誰しもが持っている可能性が花開くことに人の幸せがあると考えている。学問の世界では、先人の成果の上に自身の活動を積み重ねることを「巨人の肩の上に立つ」と表現するが、私の場合、研究や地域づくり活動をすればするほど「小さな巨人」緒方さんが自分を支えてくれていることに気づくのだ。

 緒方さんは晩年、日本の内向きな状況に不安を抱いていたという。日本は、多様性や創造性に富み、国際社会で責任を果たせる国になったのだろうかと。世界の中で生きていくために必要な力は何かと問われ、『聞き書 緒方貞子回顧録』にて緒方さんはこう答えている。「より広がりのある視野を持とうとする好奇心、異なる存在を受容する寛容、対話を重ね自らを省みる柔軟性、氾濫する情報をより分ける判断力、そうした力の総体こそが求められているのです。これからの日本に本当に必要な力はそうしたものです」。今の時代に求められる大事なメッセージ。一人でも多くの方と分かち合いたい。

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