メビウス(仮)にくびねをしめられ あたまをなぐられ せすじがこおり ひやあせがふきだした そんなよる



ポルノグラフィティ17thライヴサーキット『続ポルノグラフィティ』。先日、めでたく最終日を迎えられました!!まずは、ツアー完走、誠におめでとうございます!!!


このご時世に、みんなが元気に全公演をやりきってくれたことは、何より嬉しいことですね。


しかも今回は、最終公演を配信してくれるという神対応。現地参戦できなかった私も、ツアーのゴールを見届けることができました。なんとありがたいことか・・・。


今ツアーで無事に最終日を迎えるということは、今までのツアーと比べても、感慨はひとしおです。それを全国のみんなで共有させてもらえて、とっても幸せな時間でした。





しかし、今回。配信があったがゆえに起きた、大事件がありました。

それは、ライブ本編終了後、アンコール1曲目での出来事です。披露されたのは、新曲『メビウス(仮)』。


今ツアーのアンコールで、ずっと演奏されてきたこの曲。初めて生できいた時の感想は、以下のような感じでした(自身のライブレポより抜粋)。


・悲恋系のラブソング、、なのか、、?興奮してほぼ覚えてないけど、聞き取った限りでは、歌詞のヤンデレ味が、、、、狂気と切なさを感じる、、、

・リリースは未定。タイアップとかでもない。今届けたい音、言葉を書きました、とのこと。(なんか、歌詞の初っ端『私の首を絞めて』とか聴こえた気がしたけど、今いちばん届けたい言葉とは如何に。はやく歌詞を見ながら聴きたい)



そして、2回目聞いた時に印象に残ったのは、こちらの歌詞。


「優しい貴方は私の首根を 両手で締め上げ 泣いてくれたのに」


「壊れてしまった 好きだったんだけど」


わたしのポンコツ記憶力ではこれくらいしかはっきり覚えてなかったのですが、これだけでも、やっぱり闇深い感じ。曲調は、気持ちの良いロックバラードなんだけど。DVか、共依存か、、、なにがあったんだ、、、



そしてやっぱり、歌い終わったあとには岡野さん、「ポルノグラフィティが今いちばん届けたい音・言葉を表現しました」とおっしゃいます。


なんなんだ、この新曲は。とにかく、はやく歌詞を見ながら聴きたい。その一心です。



そして、迎えたツアー最終日。アンコール1曲目です。配信では全曲、演奏中に歌詞が表示されていました。



やったあ!!!いよいよ歌詞の全貌がわかるぞ!!!!



岡野さんが歌いはじめます。


「やさしいあなたは わたしのくびねを りょう手でしめ上げ 泣いてくれたのに」




・・・・・・・・・・?




「うすれるいしきに しあわせみたして はずかしい はずかしい ゆるしてほしいよ」


・・・・・・・・・・???!



鈍器であたまを殴られたような衝撃でした。



ひらがな・・・・・・だと・・・・・



「もうめぐらせなくてもいいの しぼんだはいのままでもね」

「こわれてしまった すきだったんだけど」


「わたしの体は ゆびあみ人ぎょう やさしくほどけば なんにもなくなる」


「ごめんなさい ごめんなさい わすれてほしいよ」


「あなたがいないあさから わたしのいないよるまで メビウスのわのように ねじってつなげましょう」


「えいえんとは かくなるもの」




ひっえ・・・・・

背筋が凍り、鳥肌がたち、冷や汗が噴き出します。


繰り返し歌われる「Wasted love」以外は、ほぼ全編ひらがなと、小学生くらいの子が使う簡単な漢字で書かれた歌詞。こんなの、誰が想像できるでしょうか。





この歌詞・・・こども目線なの・・・・・?


子と親の歌だとしたら、だいぶ話が変わってくるんですけど・・・


いや、それとも心が壊れてしまったおとなの愛のうた?


愛する人の手にかけられた、死ぬ間際の人間のぎりぎりの思考?



色々と、妄想が捗ります。たまらん。もう、たまらんです。



そして、もうひとつ話題なのが、ボーカルとギター、どっちが作詞問題です。



『漢字とひらがなをどう使いわけるか』という、音を聴くだけでは伝わらない、文字として見ることではじめて伝わる表現方法。日本語表現だからこそ成せる技。少しだけ、でも繰り返しいれることで、大きなアクセントになっている英詞。


ずっとどこにも歌詞は出さず、ライブで音として届けてきて、最終日に歌詞を見せることでやっと明かされたタネ。一体、どこから仕組まれていたのか。

ここまでの全27公演での演奏は、最終日に私たちを戦慄させるための、壮大な伏線だった・・・・・・?



もしかしたら、全てが、この2年間、詩や小説、舞台等の音楽以外の創作活動や語学の勉強に力を注いでこられた新藤晴一大先生の脚本による作品だったのではないだろうか。



と、思いつつ『奇才・岡野昭仁の内側から湧き出てきた作品』説もあり得なくもない気がしてくるのが、ポルノグラフィティのなんとも恐ろしいところです(なんせ、彼が初めて作詞して世に出た曲は、かの問題作『見つめている』ですからね)。


もしそうだったら・・なんて恐ろしい可能性を秘めた男なの・・・。


ただ、わたしは新藤先生の手のひらで転がされている説を推したい。いや、もはやそうであってほしい。じゃないとちょっと怖い。怖いよ。


嗚呼、誰か、はやく真相を教えてくれ。クレジットを出せ。早急なリリースを頼む。。。



それにしてもポルノグラフィティさんは、どんだけ新たな引き出し持ってんすかね。


もはや、歌詞の狂気感とかの怖さなんかより、22年間やってきてまだこれ出るのかよ、という怖さが勝つ。とんでもないバンドですよ。




そして、カメラの向こう側の我々が打ちのめされていることを知ってか知らずか、メビウスを歌い終わった岡野さんは、変わらず一言。


「今、いちばん届けたい音、言葉をいちはやく届けたくて、聴いていただきました!(にこにこ)」



いったい・・・なにをみせられたんだわれわれは・・・・・わからない わからない たすけてほしいよ・・・・


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