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チバユウスケが死んだ時に思った事と最愛が死んだ時に思った事

皆さんは自分の中の大きな存在がこの世から居なくなった事はありますか?
僕は有難いことにまだ両親は元気でして、祖父母はどちらも割と幼い頃に亡くしていたので
誰かが無くなるって事に対して心の置き場が分からないままで生きていたようにおもいます。

だけど、数年前のある日に突然一緒に暮らしていた最愛が、ある夜コンビニに出かけたまま帰らぬ人となりました。

人は自分の為にしか泣けない。誰かが死んでもそれを失った自分が悲しくて泣くんだ。っていつか聞いた事があります。
その時は少し冷たく感じました。

最愛を亡くした時、遺体を前にして凄く思ったのは「こいつにはもっとこれから幸せになる事が出来たのに!変わってやれるなら変わってやりたい」って凄くおもって
あんなこともしてあげたかった、、こんなこともしてあげたかった。、それが届かなかったとしても幸せに生きていて欲しかったって、、とても自分を責めました。

本当に出会わなかったことになれば、違う未来があったから、俺の事なんて思い出さなくてもいいから生きて幸せになって欲しいとまで思った。

何回も「実はいきてたよ」って夢に出てきて、その度にそっちの方が現実的に思えて
目が覚めて、やっぱり信じられないようなあの子の居ない世界に戻ってきてしまって辛かった。

最近とても人生に影響を及ぼしたチバユウスケが無くなって、この世からいなくなったって事に関して
チバユウスケが、何をやりたかったかを知らずに
もう新曲が聞けないんだとか、、ライブ行けないんだって、自分の事ばかり考えちやってやたように思う。

それはいつかに誰かが言った「人は自分のためにしか泣けない」てえさいうけど
最愛の時はそんなふうに思わなかったな。
普通にその最愛が求められるであろう幸せや、手に出来たであろう物、経験できただろう事、全てが得られないままこの世を去った事が気の毒と言うのか、勿体無いと思ったのか、もちろん二度と会えない寂しさもあった。
ずっと泣き明かした毎日に個別に理由なんてあったかな。
励ましの言葉の全てが受け入れられなくて、とても孤独に感じた毎日。
チバユウスケだけじゃなくて最近ではGazettのREITAさんだったり、BUCK-TICKの桜井さんだったり色んなアーティストが色んな死因で無くなってるけど
最愛と同じ感情で受け止められていたかと言うと、やっぱり少し違って。
その人のその後もっと有るべき未来より、音源が聞けないライブを見れないって寂しさがあったり
青春時代をかさねてみたりって物があったと思う。

でもこれを、読んだ人には生き続けて自分の為に泣けるような自分の人生を生きて欲しいなって、そう思います。
僕もそう思えるように生きたいと思います。

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