2024年「ニベロ」を振り返る


 私は今、カフェベローチェ 新宿一丁目北店にいる。

 これを書き上げるまではいるつもりだし、書き終えたとて今日の予定まで時間はまだまだある。雨も降っていることだし、珈琲の二杯目でも飲みながらのんびりしていることだろう。カフェで長居する時はちゃんと二杯目を頼むことに定評がある私なので、それだけでも覚えておいていただきたい。

 さて、このベローチェはというと、「二ベロ」の名で親しまれていたことで有名である。カフェベローチェ新宿二丁目店、略して二ベロと呼ばれたこの店は、立地や席数の多さ、値段の手軽さなどから、ゲイたちの待ち合わせや集合場所によく利用されていた。古くは「ニチョベロ」と呼ばれていた時期もあるようだが、詳しく調べ出すと文化人類学の論文のようになってしまいそうなので止めておこう。二丁目の歴史は日本のゲイの歴史なのだ。

 この二ベロだが、私が高校生だった頃、つまり10年ほど前にその最盛期を迎えていたように思う。東京はもちろん、地方から東京に遊びに来たゲイも多く集まり、交友を広げる場になっていた。誰かが店に入った途端に皆が一斉に入口を振り返り、知り合いでないか、タイプでないかを確認するという異様な光景も有名だったようだ。中には長時間にわたり席を占拠したり、大声で騒いだりといった行為のため、店を出禁になったグループもいるとか。

 その頃には二ベロ内のヒエラルキーなるものが存在したらしく、よく話題になっていた。狭いコミュニティであるが故にマウンティングが起こるのも当然ではあるが、それは傍から見るといささか異様に映るものであった。マウンティング・ホモ。(死ぬほど擦られていそうなネタ)

 このように様々な歴史がある二ベロであるが、今はかつてほどの賑わいはないという。一度リニューアルし、店舗名が新宿一丁目北店に変わったあたりから、二ベロブームはある程度収束していった。

 一説(友人から聞いた話を説と呼ぶのは大袈裟だ)によると、二ベロ勢と呼ばれていたホモたちが学生から大人になったことや、一部が出禁になったことなどが影響していているというが、真実は定かではない。

 もちろん、未だにゲイの待ち合わせ場所などに多く利用されているものの、店の大半がゲイに占められているようなことはない。「二ベロ」という名前も、Twitter(現:X)で確認できる限り、今もよく使われているようだ。


 若いゲイたちの文化を陰ながら支えていた二ベロだが、当時高校生の私には憧れの場所であった。SNSやアプリこそあれど、未成年のゲイが友達を作る手段は限られている。梅田にすら頻繁には行けなかった私にとって、カフェに行くだけでたくさんのゲイと交流できる二ベロは非常に魅力的にみえた。ゲイであることを思い悩んでいた高校生の頃に、同じような場所が大阪にもあれば生き方も違っていたのかも知れない。

 そんなこんながありつつも、私は今こうして東京に遊びに来て、「二ベロ」にいる。ゲイの友達も沢山できた。悩むことも減った。あの頃の自分に今の姿を見せてあげたい。 二ベロに来る度に、私の心の中には15歳の悩めるゲイの背中が浮かび上がるのだった。


 最後に、去年二ベロを詠んだ短歌を載せときます。

 移りゆくのは花の色 街と人 「二ベロ」 はその名を変えて佇む


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