奢り奢られ恋焦がれ、要するに「品性」

 ゲイ界隈でよく話題になるのが、リアル(実際に会って遊ぶこと)をした時の奢る・奢られる問題である。年に数回やってきては多くの人を巻き込んでいく様は、台風のようだ。そして2023年も、とある方のツイートを発端にこの話題で持ち切りになった。詳細は割愛させていただくが、簡単に言うと

「年上と遊ぶ前に奢ってほしいと伝えて、その反応次第で会うかどうか判断する」

 といった内容だった。かなり合理的ではある。自分に好感を持っているかどうかを事前にある程度判断できるので、出会い目的なら効果的だろう。
 しかし、それをよく思わない人が多いのも事実だ。さらに、そのツイートを発信した方が30代半ばであるということも、批判に拍車をかけている。初めから奢ってもらおうという態度や、良い歳をして、といった部分の批判がよく見られる。
 どちら側の意見もよく分かるが、今回の問題はそれをツイートしたことに尽きるだろう。誰もが心のどこかで奢ってほしい気持ちは持っているだろうし、奢りたい時や奢りたくない時もある。だが、それを表に出すと炎上するのは当たり前だ。(炎上商法の可能性もある)要するに品がない。品性の問題だと言いたい。

 ここでふと、自分のことを考えた。学生で20代ということもあり、色々な方に奢ってもらったり、多めに出してもらったことがある。逆に年下とご飯に行く時は奢るか多めに出すようにしている。これは体育会にずっと所属していたことも影響しているが、10代の頃に会った方が、

 「自分が若い頃には年上に奢ってもらった。そして今は稼いで奢る立場になった。君も稼げるようになったら年下に奢ってあげなさい。そうやってゲイの世界はうまく回っていくんだよ(要約)」

 というようなことを言っていたのが妙にしっくり来たからである。
 
  しかし、リアルは相手ありきのものなので、相手が年下でも社会人だったり、奢られるのが嫌いだと言うなら割り勘にすることもある。柔軟な対応は重要だ。
 逆に年上の方と遊ぶ時、奢らないといけないような雰囲気にさせるのが嫌なので、奢らせてと言われても少しは出したい。ご飯の後のコーヒー代などは出させて欲しい。これは借りを作りたくないのではなく、また次も遊んで欲しいという意思表示である。言語化すると中々にキモさがある。ごちゃごちゃ言っているが、奢られるのは本当に嬉しいです。ありがとうございます。
 ただ、それに甘んじるのも違うと思うので、自分の代金は自分で払えるように過ごすのは大切だと思う。

 年上なら絶対奢って欲しい!というようなスタンスで生きていくなら、その人は常に夢カワモテガール(概念)である必要がある。誰からも愛されて、自分と過ごす時間は価値があるという自信がある方はぜひ、素敵なゲイライフを送ってほしい。

   そうではない人は、基本的にあまり奢り・奢られ観には口を出さない方が良いと思う。「何を言うかが知性で、何を言わないかが品性 」という言い回しもある。俺のように思ったことをダラダラ書き連ねるのではなく、心の底に秘めて上品に生きてほしい。まあ普段から男性器を咥えたりしている皆さんに、上品も何もあったものではないと思うが。

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