「変化」って「経験値」だと思う
ベストセラーとなった『LIFE SHIFT』を読んだ。
今回のテーマに関わる部分を要約すると以下の通り。
今回は変身資産の要素のうち、「変化の経験」に関して、自身の経験を踏まえつつ考えていることを言語化する。
変化の経験リスト
これまでに個人的に経験した大きな変化をまとめてみた。
変化の経験を通して、見えてきたポイントがいくつかある。
不安との闘い
変化を起こす際、心の内側はこんな感じだ。
心の奥底で本能・直感が「こうしたい!」と叫んでいる。言うなれば、常識の外側へ出ようとする力。
しかし、不安やあるべき論がそれを押し返している。
両者がせめぎ合う中、最終的に常識の外側に出られたとき、それが「変化」だと考える。
フランスに留学したときは、「留学といえば英語圏、フランス語圏に行ったらどうなっちゃうんだろう」という不安があった。
退職してすぐに次の仕事をせずに旅に出ると決めたときは、「退職後はすぐに次の仕事をするものだ」というあるべき論が、「旅に出たい」という本能に抗っていた。
「変化の経験」が次の変化を後押しする
前述のように、変化を起こす際には不安やあるべき論との闘いが常にある。
しかし、新しい世界に飛び込んだ後に残るのは、「なんとかなる」「挑戦してよかった」という気持ち。そして、この成功体験が次の変化の際に背中を押してくれる。
プログラミングという未知の分野に挑戦して「やってよかった」と思えたことが、同じく未知の世界であったフランス語圏への留学を後押しした。
「英語以外でもなんだかんだ話せるようになった」というフランス語での成功体験が、スペイン語やポルトガル語への挑戦を促した。
このように、「変化の経験」自体が次の変化を起こす時のエネルギーになる。
はじめての変化が最大のハードル
「変化の経験」が次の変化を後押しする。言い換えると、最もエネルギーを要するのがはじめての変化である。
自分にとって、はじめての変化は高校の野球部でキャプテンになったことだった。ただし、自分で立候補したわけではなく、顧問の先生からの指名だった。
つまり、最もハードルの高いはじめての変化を他人に助けてもらった形だった。それ以降は自分自身の決断で変化を起こし、楽しい人生を送れているので、当時の顧問の先生にはとても感謝している。
教育への提言
突然だがこの動画を見てほしい。
父親が泳げない子供を川に放り投げる。子供は溺れそうになりながらも、もがいてなんとか向こう岸に到達した。
この動画であれば父親、私であれば野球部の顧問の先生のように、背中を押して半ば強制的に変化を経験させてくれる存在が必要なのではないか?
しかし、そのような人に出会えるのは「運が良かった」人だと思う。私の場合はたまたま顧問の先生がキャプテンに指名してくれた。親の転勤で図らずも「海外での生活」という新しい変化を経験する人もいるだろう。
だからこそ、全員が平等に受けられる教育の場で「はじめての変化」を経験できるよう設計することが重要だと考えている。
日々の授業であれば、「答えが決まっている問いを解く」のではなく、「答えがない問いに対して自分なりに正解を作り出す」。
学校行事であれば、 「決められたルールの中で動く」のではなく、「ゴールやルール等を自分たちで定め、企画・運営を行う」。
教育現場でこのような変化が必要だと強く感じている。
「自分の人生を生きる」人を増やしたい
私にとっての「自分の人生を生きる」の定義は、
①は自己理解。他人や社会の目にとらわれずに「自分が本当にやりたいこと」を認識できているか?
②は自己決定。自分で決断し、それを正解にできるか?ここでいう「決断」は「変化」とも言い換えられ、今回深ぼったのもこっち。
AIの発展が著しい昨今、変化を避けて幸せになることは間違いなく難しい。
変化は大きな不安を伴うが、その先には新しい世界が広がっている。
自分が絶えず変化しながら生きてくのはもちろん、他人の変化を後押ししていきたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?