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今年読んだ本、観た映画のマイベスト

友達がまとめていたので僕もまとめてみようと思いました。しかし、読んだ本のメモをとっていないために、詳細に思い出せていないので観た映画のベストも含めることで補おうと思います。まず読んだ本から

ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと

何度取り上げたかわからないけれど、間違いなく僕の人生に影響を与えた一冊になることは間違いない。僕はACEではないけれど、アセクシュアルとアロマンティックの分離、つまりは性的惹かれと恋愛的惹かれを分けて考えることができると知れただけでもよかった。作者がアロロマンティック・アセクシュアルであったことも重要だっただろうな。

侍女の物語

批評感想文を以前に書いたので内容について詳しくは触れないが、普通にSFサスペンスものとして面白い。

ブルシットジョブと現代思想

グレーバーの著作である『ブルシット・ジョブ』の批評解説書である一冊。特に面白いなと思ったのが、芸術作品や表現は問いの明かされていない「答え」であると提起している部分で、例えば素晴らしい音楽やその歌詞は具体的ではないが感覚的にピッタリはまっていると感じることができる。それは問いの明かされていないものに対する答えなのだという。さらに問いが明かされていないというまさにその点によって、逆説的に答えから問いがうまれることになる。つまりはこの音楽は何を意味しているのだろう。何に対しての答えなのだろうかと。
そして重要なのは答えではなく問いなのだと言い切っているところもまた良い。つまり、結果ではなく過程なのだ。

オデュッセイア

ここでいきなり古典になってしまうのだけど、普通に面白かった。僕は特に上巻が好きで、キルケとオデュッセウスのやりとりが好き。下巻のペネロペイアとの再会のシーンはちょっと盛り上げに徹しすぎて、EDMの音楽のような誇張さを感じてしまって好みではない。あと皆おいおい泣きすぎ。アテネはオデュッセウスを贔屓しすぎ。

セックス・アート・アメリカンカルチャー

カミール・パーリアの暴力的なカルチャー論。たぶん現代フェミニズムを多少なりとも学んでいる人なら猛毒以外の何者でもない一冊。とはいえそこから血清を作り出すこともできるはずだ。徹底的な社会構築主義と文化相対主義では何もいえなくなってしまう。とはいえ、ここまで本質主義に行く必要もないが、セックスの暗くて暴力的な側面を無視することも確かにできないように思える。「ノーはノーだ」「イエスはイエス」だという言葉を字面通りに受け取る表層性に対する批判は、ACE本でも述べているようにもう一度深く考えるべきだと言えるだろう。


さてここからは今年の映画のマイベストについて

友達の家はどこ?

イランの映画監督キアロスタミによる、少年が学校の友達のうちに宿題のノートを渡しに行くという、ただそれだけの映画。基本的にはろくな大人が出てこないし、伝統的な家族であるはずなのに温かみとは程遠い家庭が映画では映し出されている。そこにあるのは言葉通りの伝統への回帰に対する批判や上下関係の絶対化による形骸化である。

ウィンド・リバー

ネイティブアメリカンの女性がレイプされ殺害された事件をFBIの捜査官である女性と地元のハンターである男性が犯人を探す物語。まずこの作品はマッチョイズムとダンディズムでできている。主人公の一人であるハンターは弱音も吐かないし、地元の人に対しても厳しい自己責任論で突き放したりする。しかし、それは社会的に強者だから価値観の押し付けをしているのではなくて、むしろ世界の不条理を理解しているからこそ出る言葉なのだと思った。

「弱音を吐くのは結構だが、その結果を私たちは保証しない」という世界の残酷さをむしろ伝えているのである。あとハンターのカーハートコーデが渋い。

ジュテーム・モワ・ノン・プリュ

一見ストレートの恋愛映画、場合によってはポルノ映画に見えるかもしれないが、実はかなりクィアな要素を含んでいるこの作品。
主人公は同性愛者で同じくゲイであるパートナーがいる、ゴミ収集のトラック運転手である。しかし、カフェで出会った青年のような女性と恋に落ちるが、彼は彼女を男として見ることで欲望を感じているのを女性が理解しだす、というストーリー。過激な性描写があるので万人向けではないかもしれないが、僕はこの三角関係が素晴らしいものを描けていると感じた。3人で楽しくやっていくという可能性は映画の中ではなかったけれど、可能性は実際には無限に開かれている。

心と体と

生肉加工工場で働く二人の関係を淡々と描くロマンス(?)映画。主人公の二人はそれぞれ心の痛みに体が追いついていないところがある。だからこそ、心の痛みを可視化するために映画では生肉加工の一面や自傷行為を含めた描写を取り入れているのである。見るたびに痛くなるけど、それ以上に美しさもある作品。

バグダッドカフェ

これは一つのシスターフッドの完成といってもいいんじゃないでしょうか、な作品。とにかく見よう。

ノースハリウッド

スケボー以外は何をやっても満たされない主人公達。主人公の青年はプロスケーターになりたいと望んでいるものの、そこにあるのは技術だけではないコネの世界。好きなことをただするだけにも理由が必要で、好きなことをただしているだけの人たちの落ちぶれかたも理解している主人公。
思春期の焦燥感と田舎町の閉鎖性、すぐ隣にある貧困の描き方がすごくリアルに感じられた。

真夜中の虹

最後に、アキ・カウリスマキの映画を取り上げて終わることにする。カウリスマキ映画を一本に絞ることはほぼ無理なのだけど、とはいえ一番好きな作品はこの真夜中の虹。友達にはカウリスマキ映画は僕の世界観と同じだと言ってもらえて、ちょっと嬉しかったりする(悲惨な世界観だけどな)
カウリスマキ映画のいいところは特に美人もイケメンも出てこないところである。しかも、大抵は歳がいっている中年で社会的地位も低い。現代日本で言えば無敵の人の枠なのである。しかし、その無敵の人が凶悪犯罪を犯すかと言われればそうではなく、地べたにいるからこその温かみをその人達は持っているのだ。まるで全てを失った後には希望の灯しか見えないように。半ば投げやりだからこそ人に優しくできる可能性を淡々と描いている。

結局のところ、人生は悲劇ではなく喜劇なのだ。


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