強迫性障害と私

強迫性障害、と書くとずいぶん重々しくなるような気がするが私は強迫性障害を長年患っている。症状が出始めたのは小学校5年生のとき。一緒に暮らしていた曾祖母がいなくなってしまったことがきっかけだった。(いなくなるということを明確に表す単語を使うことも憚られる)自分の感覚が変だと思いながら何年間か過ごし、強迫性障害だということに気づいたのは高校3年生のとき。他にも同じ感覚をもっている人がいることや、きちんと名前もついている症状であることにある意味安堵したタイミングでもあった。

発症の経緯と症状

曾祖母がいなくなったのは小学校4年生の秋。物心ついてから、身近な人がいなくなるのは初めての経験だった。ずっと一緒に暮らしていたからすごく悲しくて、それまでの人生で1番涙をながしたように思う。悲しみが少し落ち着いてきたころ私は突然、
「これ以上大切な人がいなくなってしまうのは嫌だ。」という感情に支配されるようになってしまった。
日常を変えたくない、毎日同じように過ごしたい、そのためには毎日同じことを繰り返さないといけない。これをきっかけに確認行為や縁起恐怖、数唱強迫などの症状がでた。

特に数唱強迫は学生だった私には付き合っていくのがとても大変で、数学の時間などは4と書くたび紙の空いているスペースに1と2回書かないといけないマイルールにずいぶん苦しめられた。(1は生きるだから4を書いたらそれを打ち消す意味で)こうやって文章にすると本当に意味が分からないし、自分でもそのことはわかっているのにやめたタイミングでなにか起こることを想像すると意味のない行為をやめることはできなかった。

縁起恐怖が原因で親友と喧嘩になったこともある。通学の電車でいつも同じ扉からおりて同じ改札を通らないといけないルールがあった私は、親友と帰宅中に親友の元カレが近くにいる扉からおりることを譲ることができなくて
(どうして嫌っていってることをするの?)と言われてしまった。当時はまだ強迫性障害という障害を知らなかったため、説明しても変な奴だとおもわれそうな気がして謝ることしかできなかった。

ついに病名発覚

こういった経験が何度かあり、私は本当に変なんだ、と思っていた矢先にテレビの特集で同じ症状の人を見つけた。階段はどちらの足からおりるか決めていて、うまくいかないと何度も繰り返してしまう。といった内容だったと記憶している。それをみた瞬間、自分のことだ。と衝撃を受けた。
先ほどの改札や扉の件もそうだったのだが、うまくいかないと戻ってやり直すという行為を私も行っていたからだ。
決めている改札を通れなかったとき、怪しまれないように友達と別れてから駅に戻ってもう一度目当ての改札を通るのだ。時には家が目の前というのに、気になってたまらなくて原付を飛ばして駅まで15分かけて戻ることもあった。いったい今までどれほどの時間をこんな行為に費やしてきたのだろう。
特集を見て、それが強迫性障害という名前のついたものだと知った私は自分の障害について初めて検索してみた。
Wikipediaを初めて読んだとき、私がどれだけ調べても出てこなかったこの感情や自分の考え方が文章に表されているのを見て、食い入るようにページの隅から隅まで読んだことを覚えている。

症状の重さは違えど潔癖症なども強迫性障害の一種だということ。スポーツ選手が願掛けでやっているルーティーンも大きな目で見れば同じようなものだということ。
この2つを理解したことで17歳だった私の心はふっと軽くなったような気がする。

発覚してから

私にとって良かったのが、自分の症状に名前がついていることを知るだけで向き合い方を変えられたことである。自分だけじゃない、どうしてもつらいときは病院へ行って治療もできる、病院も何科にかかればいいか知れた。
ずっと1人で向き合ってきたことに対し解決の糸口が見えただけで、症状が少し減ったのである。

ただそれは束の間だった。17歳だったこともあり、病院へ行くとなると両親にその旨を伝えなければいけない。バイトをしていてお金はあっても、健康保険証は病院に用がある時以外管理してもらっていたからだ。
誰にも言わず1人で病院にいけたらよかったのだが、どうしても親には説明しないといけない。
意を決して、ある晩両親が夕食を食べているときに自分の今の状態とつらさ、病院へ行きたい思いを伝えた。
帰ってきた言葉は 

「気のせい」

ずっと誰にも言えず、心配もかけたなくて1人で悩んできたことの解決策が見えたところで前に進めなくなってしまった。

症状との向き合い方

結局17歳の私はもう一度両親と話し合いをする勇気は持てず、ほかに解決策を見つけるか、うまく症状と付き合っていく方法を探すしかなかった。
この2つを比べると後者のほうがすぐに実行できた。
例をあげると、

マイルールを増やさないようになるべく同じ日常を繰り返さないようにする

だとか、

苦手な言葉を使ったりせず済むように他の言い回しを考える

などだ。そういったことの積み重ねで少しは生活しやすくなった。
就職先は出勤時間が分単位で違うような、ルーティンとは程遠い仕事だったので、自分で思っていたよりマイルールも増えずに済んだ。

夫へ伝える

社会人になって4年ほど経ち、夫と出会った。こんなことを言うのもなんだが、本当に眼中になく告白も断ったはずが半ば強引に押し切られる形で交際が始まった。それがよかったのかもしれない。心の問題を伝えてこの人に嫌われたらどうしよう、という不安がみじんも浮かばなかったのである。
今まで誰にも話せなかった心の悩みを初めて打ち明けられたのが夫だった。

付き合ったばかりで優しさのピークにいた夫は、他人からすると深刻に思えるであろう私の話を真剣な表情で聞いて受け入れてくれた。そんな夫を見ていろんな意味で、この人と結婚したら楽だろうなと思った。
実際1年後にプロポーズしてもらい、その半年後に結婚した。

現在夫は私のことを面白がって観察している。真剣な表情で私の話を聞いてくれたのは幻だったのかと思うほど。私が電気を何回も点けたり消したりていると、「おっ今日もやってんね~」とかなんとか茶々を入れてくる。そんな風に茶化してくれるおかげで私も深刻に病気のことを考えずに生活できていると思う。
もちろん茶化すだけではなくて、私が強迫行為から抜け出せないときには自然に手を差し伸べてくれる。
そんなに好きではなかった相手なのに、今はこの人じゃないと私は誰とも結婚できていなかっただろうなと思うのは夫の人柄の素晴らしさだと感じる。

結婚して5年、娘が2人産まれ、減ったルーティンも新たに増えたルーティンもある。自分よりも大切な存在がいることで喜びも心配も増えるのと同じように。

今は、娘たちに自分のルーティンを押し付けないように、娘たちが私と同じようなことで悩まないように、もし悩みをもったときは誰よりも寄り添って理解してあげられるように、そんなことを考えながら毎日を過ごしている。

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