2023.06 ロンドン紀行
序
イギリス・ロンドン。
旅好きな元・地理学徒の端くれとして、また十代前半の頃よりドイル卿の『シャーロック・ホームズ』シリーズを愛読してきた者として、死ぬ前にいつか一度は行きたいなあと思い続けてきた憧憬の地である。
その漠然たる「いつか」が、今、来た。
2023年6月。
新型コロナ感染症に係る情況こそ一応の収束を見たものの、ロシア・ウクライナ問題は未だ解決に至らず商品市況は依然として高騰、貿易・輸送・金融に至るまで、世界中ありとあらゆる人・モノ・カネの流れに少なからぬ影響を及ぼしている。
日英を結ぶ航空便もご多分に漏れず、空域の関係で北極圏回りの冗談みたいな航路を飛ばされるため、運賃も高けりゃフライト時間もやたら長い。
そしてただでさえイギリスは物価が高いところに為替の時流は空前絶後の円安ときた。
全くもって酷い話である。
お世辞にも良いタイミングとは言い難い状況だがそれでも敢えて今なのは、単純な話、学生時代の友人が今年度の一年間限定でロンドンに赴任中だからだ。
元々そう頻繁に連絡を取り合う方でもなかったところにコロナ禍が来てお互いすっかり無沙汰にしていたのだけれども、昨秋、久々にメッセージをやり取りした際に「来年度は海外勤務の予定」と知らされた。寝耳に水である。てっきり岡山に居るものと思っていた友人はしばらく会わない間に東京勤務の身となっており、それも残り数ヶ月という事で、取り敢えず日本に居るうちに一度会っておこうという話になった。
そしてようやくどうにか都合をつけて東京へ行き再会を果たした今年の3月半ば、約2年越しの久闊を叙し、「来月からロンドンなんだよ」と知らされた瞬間その場で「激アツじゃん。遊びに行きます」と宣言した次第である。
さて、軽率に渡英を決めてはみたものの、ロンドン観光に適したシーズンは長くないと聞く。秋冬など寒いし暗いし雨は降るしで、到底やってられたもんじゃないそうだ。12月はクリスマスがあるからギリ生きられる(知人談)らしいが、わざわざそんな時期に行く理由も無い。
どうやら望ましいのは5月〜9月の間、その中でも日本の梅雨時期すなわち大方の業種の閑散期に当たる6月こそ好機と見て休暇を錬成した。
という訳で、今である。
厄介な戦争を吹っかけてくれた某国トップの某氏や燃油サーチャージに殺意を覚えつつ、羽田⇔ヒースロー往復の直行便を底値で予約した。ついでに岡山⇔羽田の往復便と、東京滞在中の宿3泊分も格安パックで購入してしまう。折角なので色々と行きたい所や会いたい友人達がいるのだ。
クレジットカードの請求金額がエラい事になったが、昨年、国民年金を2年分まとめて前払いした時に比べるとまだマシだったので精神的ダメージは思ったより軽く済んだ。いや、そういう問題でもないのだが。
北極海航路を往く
なんやかんやで出発日である。
今頃は便利なもので、出発時刻の24時間前からオンラインで簡単にチェックインを済ませることができる。紙のチケットが要らないどころか、空港に着いている必要すらないのだ。
前夜に蒲田の宿でチェックイン完了しておいたので、当日は特段の手続きも必要なく、荷物を預けて保安検査を受けるだけで済んだ。
出国手続きも自動化されており、専用ゲートの機械にパスポートを読み込ませて顔写真を撮影すれば完了となる。お手軽で素晴らしい。
さて、ロシア空域を迂回する地獄の14時間航路である。
これがしんどいながらも中々面白かった。
羽田空港を発った飛行機は、普通なら素直に西方へ向かえば良いところをわざわざ東へ折れ、太平洋上を北東へ進む。
千島列島から一定の距離を保つようにして平行に飛び、アラスカ沿岸を舐めるように掠め、グリーンランド上空を斜めに突っ切るルート。
遠回り甚だしいトンデモ航路だが、お陰で人生で初めて北極圏を通過した。
圧倒的な氷雪の世界。氷、氷、極寒の海と雪山、そして氷、ただそれだけが延々と続く。極北の限界の地。
グリーンランド通過中などは特に凄まじかった。SF映画にでも出てきそうな、およそ生命の気配が感じられない広漠とした不毛の雪山。それでも山陵の輪郭が認められるうちはまだ良い。内陸部へ進むとやがて、全てを無差別に塗り潰したかのような白色だけの世界になった。純然たる白一面。極限の環境である。何もかもを均一に覆い尽くす果てしない氷雪、それ以外に何も見えない。夏至が近い、白夜の時期だ。雪の白がそれはもうハチャメチャに太陽光を反射し、眩しくて窓を開けていられない。巨大な氷の島を抜けて海に出るまでの数時間(実際もっと短かったかもしれないが少なくとも体感的には)、機外カメラにもただただ無に近い白ばかりが映り続けていた。
グリーンランド通過後はしばらく海上を進み、やがてアイスランドの端を掠め飛ぶ。窓から少しだけ、細長く突き出た半島の一部が見えた。
粘土を成形して固めたような茶色い土の塊が、青い海面にぽつんと浮かんでいる。のっぺりとした土壌がそのまま剥き出しの陸地。アイスランドと言えば『北北西に曇と往け』という漫画があるが、その作中で描かれている通り、植生の乏しい痩せた土地という印象を受ける。
国土の端っこをほんの僅かに通りがかっただけだったので、半島はすぐに見えなくなってしまった。周囲はひたすらに海。まさに孤島という感じだ。大西洋中央海嶺上に位置する、地熱の豊富な、火山と温泉と間欠泉の国。興味深い土地である。
やがて飛行機がようやく英国本土の北端に辿り着いた時、久し振りに植物の緑を見た。氷雪に覆われておらず、地面がそのまま剥き出しでもない、マトモな植生のある陸地にそこはかとなく安心感めいたものを覚える。
スコットランドことグレートブリテン島の北部はちょっとした島嶼地域だ。陸地の輪郭と海岸の凹凸とが、互いにごちゃごちゃと入り組んだような複雑な地形をしている。北端の方は特にかなりの田舎エリアと見え、手付かずに近い大自然が広がっている様子だった。
ここまで来ると長距離フライトもいよいよ終盤だ。ロンドン郊外のヒースロー空港へ向け、ブリテン島を縦断するように南下していく。
はじめのうちこそ人が住む町らしきものがあまり見当たらなかったが、やがて大小の街並みが現れ、奇麗に区画分けされた農地や道路といった人工物が多く目につくようになる。グラスゴー(と思われる都市部)のあたりから特に、幹線道路や種々の建造物が目立ち始めた印象だった。
ロンドン方面へ南下すればするほど、自然の緑よりも街路の割合が目に見えて増えていく。島の南部に人口が集中している様子がよく分かって面白い。
フライトの終わりを告げる機内アナウンスがかかってもうすぐ着陸という時、えらく立派で荘重な佇まいの城塞が間近にはっきり見えて驚いた。
不勉強ゆえ後から知った事だがその古城はウィンザー城で、ヒースロー空港はそこからほど近い場所に位置しているのだ。二日後、私は後述のバスツアーでその城を訪れ内部見学にも参加するのだが、この時に上空からの写真を撮り損ねてしまった事を大変後悔している。
英国観光5泊6日
初日(移動日);空港から友人宅へ
そんなこんなで14時間にわたるフライトを終え、ようやくヒースロー空港に降り立った。出発は予定より少し遅れていたものの幸い遅延は無く、定刻通りの16:20着。人生初イギリスである。
飛行機を降り、べらぼうに長い通路を延々と歩かされながら、ひとまず空港の無料Wi-Fiに携帯を繋いだ。友人が迎えに来てくれる事になっていたので、無事到着した旨の連絡を入れる。
入国審査の列は自動化ゲートの対象国とそれ以外に分かれていて、日本は前者だ。出国時同様、専用の機械に自分のパスポートを読み込ませ、目の前のカメラを正視する。これだけ。認証されたら審査完了となる。所要時間わずか数秒、簡単な機械処理だけで即通過OKという呆気無さは逆に不安さえ覚えるほどだ。
顔認証がうまくいかずエラーになってしまった場合や、何らかの理由で旅券に証印(スタンプ)が必要といったケースを除けば、基本的に対人のやり取りは一切不要である。疑り深い眼をした入国審査官に「渡航の目的は?」「何日滞在する予定?」「滞在中の宿泊先はどこ?」などというお決まりの質問をされる事もなければ、旅券にスタンプを押される事もない。電子化と省力化の時代である。旅好きな人の中にはそれを「味気ない」だの「情趣が足りない」だのと評する向きもあろうが、私はそのあたり無頓着な方だ。便利で結構。効率的なのは良い事である。
さて、預けていた荷物を受け取り到着ゲートの出口を抜けると、すぐそこで友人が待ってくれていた。平日なので本来ならまだ勤務時間中のはずだが、私の滞在スケジュールに合わせて可能な限り休暇を取ってくれたらしい。
3月に東京駅の新幹線ホームにて「じゃ!ロンドンで!」と別れて以来、約3ヵ月振りの再会である。
この友人について少しばかり言及しておく。仮にNさんとしよう。
便宜上「友人」としているがNさんは正確に言えば一つ上の先輩で、私はゼミの後輩に当たる。Nさんは在学中に海外留学をしていたため卒業が一年遅れとなり、その関係で一つ下の私と同時期に4年生の一年間を過ごしたのだ。私がNさんと話す時に敬語まじりなのはこのためである。
Nさんは生まれも育ちも生粋の岡山県民だが、お父上が元々コテコテのイスラム教国の方なので、同時に生粋のムスリムでもある。ちなみにそのお父上というのが、現在私が別の友人と共同で所有する中古車を破格の値段で売ってくださった方だったりもするのだが、それはまあ別の話だ。
Nさん本人曰く「自分はそこまで敬虔な方ではない」らしいが、それでも日に5回の礼拝を欠かさず、酒や豚肉を決して口にしないのは勿論、ハラルでない食品は必ず避けるし、毎年のラマダンなんかもちゃんとやっている。その他「犬という動物は好ましくない」とか「利子の授受は教義的にアウトだから銀行預金でついた利子は募金に回す」とか、細々した例を思い返しても傍目には十分敬虔に見えるのだが、まあ宗教的意識が希薄なデタラメ人間の感覚とムスリム当人の認識の間には乖離があるという事だなあと常々思っている。
これは本人に直接聞いた訳ではないので確証の無い憶測だけれども、向こうも向こうで恐らく、信仰心などロクに持ち合わせず好き勝手に放蕩し大酒を喰らう私を見て「訳の分からない奴だ」と呆れているだろうし、しかし同時に多少なり「まあ礁はこういう人間だから」と割り切ってくれているような節もある。
我々の友人関係は「きっと我々は互いを分かり合えない」という諦観の上に成り立っているのだ。多分。知らんけど。
まあ兎に角そんな訳で、無事ロンドンへ到着した私はそのまま友人宅に転がり込んだ。
これは実体験ではなく聞いた話だが、ロンドンのホテル事情は中々どうして酷いもので、設備も清潔さも十分とは言えない残念な感じの三流宿でさえ一泊一万数千円もするのが当たり前なのだそうだ。笑えない冗談はよせという話である。
Nさんが寛大にも「うちに泊まりなよ」と言ってくれたので、ここはもう遠慮なく甘える事にした。洗濯機も使わせてもらえるとのことで有難い限りである。持つべきものは友。
空港から友人宅までの道中、移動ついでに外で晩飯済ませちゃおうかという話になって中東料理(?)の店に寄った。
薄焼きのパン生地めいたもので肉やら野菜やらを巻いたものを食べたのだが、あまりにも耳慣れない名称の料理だったので忘れてしまった。何だっけ。まあ前にも何度か食べたと言うNさんも「肉とか巻いたやつ」つってたし、もうそれで良い事としよう。
その何とかいうレストランを出て(店名も忘れた)、食後の腹ごなしにてくてく歩いて友人宅へと向かう。
何気ない普通の街並みだが、そこらの名も無い建物という建物が一々もれなく英国風の凝った造りで、絵になる年季と風格を備えているものだから恐れ入る。レンガの外壁、窓の造り、いかにも欧州風の意匠。災害大国ニッポンでは到底成立し得ない建築物をそこかしこで見る度、なるほど地震や台風の概念が存在しない土地であるなあと至極当然の事にしみじみ感心してしまう。
先導されるがまま歩いていると、かの有名なビートルズの『Abbey Road』でジャケット写真になっている横断歩道に行き着いた。
Nさんが「ここだよ」と教えてくれたのと、大勢の見物客が人だかりを成していたので分かったが、それらが無ければ完全にただの一般的な交差点である。実際、車やらバスやらが普通に行き交っているし、(我々も含め)ただそこを通って家に帰りたいだけの近隣住民らしき人の姿もあった。生活道路が観光スポットだと大変ですねと、名も知らぬご近所さんに幾ばくかの同情を覚える。
“聖地巡礼”に訪れた見物客たちは、車の往来が途切れる僅かな隙を狙って入れ替わり立ち替わり、そそくさと横断歩道上へポーズを取りに行ったり記念写真を撮ったりしていた。
交差点に群がるビートルズファン達の間をすり抜け、住宅地をしばらく歩くと友人の住むマンションに到着する。
エントランスから廊下を通って無人のエレベーターに乗り込んだ。行き先ボタンの一番下が「G」になっているのを見て、思わず「噂のやつだ!」と声を上げる。周知の通り、英国では通常の1階が「グランドフロア:0階」であり、通常の2階が「1階」、同じく3階が「2階」、以下略、となる。教科書的な知識としては知っていたものの、実際に目の当たりにするのはこれが初めてだった。
そういえば、表の道路からマンションのエントランスに繋がる小道が下り勾配なので、入口の床面は外の路面よりも低い位置にあった。半地下状態のエントランス。水害大国ニッポンの民としては「豪雨の時に水没しちゃうじゃないか!」と恐怖を感じずにはいられない代物だが、ここは日本ではなく英国なのでそんな心配は無用なのであった。
話を戻そう。建物の入口が少し低い位置にあるため、通常の“1階”に当たる部分の空間は、半ばほど地中に埋まり、また半ばほど地上に出ている状態となる。完全な地上階でもなければ地下階でもない、周りの地面と同じくらいの高さに存在する階。なるほど確かに “ground” フロアである。一つ賢くなってしまった。
マンションの建物自体は年季が入っているが、部屋の中は最近リフォームしたばかりのようで小綺麗だった。
玄関の正面に風呂トイレと洗面台が一緒くたに入った鍵付きの小部屋があり、その隣が台所と8畳ほどの居間兼寝室。このワンルームが今回の旅行の投宿先となる。
ロンドンの家賃が法外に高いという噂は本当のようで、Nさん曰く「日本に居た頃の月給がほぼ丸々吹っ飛ぶくらい」のお値段らしい。東京も大概だがその比ではないそうだ。恐ろしい場所である。
ひとまず荷物を置かせてもらい、冷えたオレンジジュースで乾杯した。
部屋に着いた時点で現地時刻の20時は回っていたように思うが、仮にまだ15時だと言われてもうっかり信じてしまいかねないほど外が明るい。夏至の近いこの時期は日が暮れ始めるのが21時過ぎで、22時頃にようやく夜らしい暗さになる。流石の高緯度地域だ。北海道最北端の地・稚内よりも更に遥か北に位置するだけの事はある。
そしてその割に暑い。
今回の滞在中、現地の最高気温は毎日おおよそ25℃から29℃の間くらいだった。夜間こそ15℃以下と流石に涼しいが、少なくとも日中の暑さは岡山や東京とさして変わらない。稚内よりも遥か北なのに、である。成程これがケッペンの気候区分で言うところの西岸海洋性気候というやつか!と、世界の常識にひとしきり感心した(今更)。偏西風って凄いんだなあ(馬鹿の感想)。
二日目;ベイカー街、アフタヌーンティー、大英博物館
移動日から一夜明け、肩慣らし(?)の英国観光初日である。
友人宅にて簡単な朝食を摂り、ロンドンの代名詞たる赤色の二階建てバスに乗って出掛けた。
この日最初の行き先はベイカー街221B。
ご存知シャーロック・ホームズ博物館である。
語り始めると長くなる(というか終わる気がしない)ので詳細は省くが、一階は受付窓口を兼ねたショップで、ホームズにまつわる種々のグッズや土産物類が売られている。そのショップ出入口の隣にあるもう一つの玄関をくぐり、“17段の階段”を上った先がホームズらの居室を再現した博物館だ。ヴィクトリア時代、実際に下宿家だった建物そのものを転用しているとの事で、年季と時代感はまさに本物である。
展示を一通り見て回った後、下階のショップで少しだけ買い物をした。
シャーロック・ホームズ博物館を後にした我々は、近隣の土産物屋数軒に寄り道しながら大英博物館方面へ向かう。
この日の午後は大英博物館を訪れる予定で、そのすぐ向かいにあるティールームを友人が予約してくれていたのだ。
店の名前は Tea and Tattle 。
折角英国に居るのだから一度くらい本場のアフタヌーンティーとやらを体験してみたい気はする、しかし我々一般庶民、常日頃そんな上品な嗜みなどした事が無いし、お金もそんなに沢山は払えないし、半袖Tシャツにジーンズとスニーカーの軽装でも入れるような気軽な店じゃなきゃ無理……と、及び腰で選んだティールームである。
表の看板を確認して恐る恐る中へ入ると、果たして、半袖Tシャツに短パンとスニーカーのラフな格好をした店員さんが「予約の人ね! どうぞ座って」とフランクに出迎えてくれた。良かった。初心者の庶民でも大丈夫そうだ。
ティールームは地階にあった。玄関入ってすぐの階段を、店員さんの後について下りていく。平日の昼間ゆえか店内はガラ空きだ。サービスカウンターの奥が客席になっており、2〜4人掛けのテーブルが並んでいた。一部の壁紙が何故か鶴を描いた日本の絵柄で、想定外のジャパニーズテイスト内装に友人と二人して戸惑う。
単品のメニューも色々あったが、結局スタンダードなアフタヌーンティーの二人分セットを注文した。紅茶とサンドイッチは別々に選べるので、それぞれ違う種類の茶葉をオーダーし、友人の分のサンドイッチのみ肉類を抜いてもらうようお願いする。
交代でトイレへ手を洗いに行ったりしながらしばらく待っていると、先程の半袖短パンの店員さんが紅茶とケーキスタンドを持ってきてくれた。茶器といい皿といい、どれも可愛らしい花柄で何やら妙に恐縮してしまう。
英国では紅茶はミルクティーにして飲むのが普通で、紅茶と牛乳を入れる順序についてMIF(ミルクインファースト)派かMIA(ミルクインアフター)派か、日本でいうところの「きのこたけのこ戦争」みたいなものがあるそうだが、甘い飲み物があまり得意でない私は身も蓋も無いブラックティー派だ。初めにカップ半分だけミルクティーを試してみて確かに美味いと思ったし、ミルクの有無にかかわらず砂糖を入れると茶葉の風味が引き立つという事も承知している。承知してはいるが、私の好みは一切何も入れないブラックティーなので、邪道だろうが何だろうが知ったこっちゃないのである。結局ほとんど全部そのままのストレートでいただいた。
これは持論だが、酒も茶も嗜好品なのだから、その楽しみ方に絶対のルールなど無いし、好きな人が好きなように飲めば良いのだ。勿論、人に迷惑をかけたりしない範囲で。
3段のケーキスタンドは最下段がサンドイッチ、真ん中がスコーン、最上段がミニケーキの盛り合わせだ。紅茶を飲みつつ下から順に食べ進めていく。
初手のサンドイッチは良いとして、甘味のボリュームが中々凄かった。イメージの倍近い大きさのスコーンには、甘党の方ならともかく、私のごとき甘い物があまり得意でない(※決して嫌いではない)(しかし胸焼けするので沢山は食べられない)人間としては少々怖気づいてしまうほどたっぷりのクロテッドクリームとジャムが塗られている。このクリームとジャムを塗る順序に関しても、どちらを先に塗るのが正しいかと日本でいうところの「こしあん粒あん論争」みたいなものがあるそうだが、この店では予め塗った状態で提供することにより強制的に無用の争いを封じ込めていくスタイルのようだ。4個のスコーンと4種のミニケーキを分け合って完食する頃には紅茶も食後のレモネードもちょうど空になり、それはもう大変しっかり満腹になった。
ティールームの会計を済ませ、地上に出て向かいの大英博物館へ。
言わずと知れた世界最大規模の人類史博物館である。収蔵作品の総数は800万を超えるとも言われているそうだ。入館無料なのが信じられない。
有名な話だが、ロンドンでは多くの美術館や博物館が無料で開放されている。流石に特別展は別料金だが、常設展は基本的にどこも無料で誰でも入り放題だ。ちなみに写真も撮り放題。
物価は高いわ円は安いわと日本人旅行客泣かせの状況下、これは本当に手放しで賞賛すべき美点である。
ついでに少々尾籠な話をすると、ロンドン観光中はこの手の施設が無いとトイレに困るためそういった意味でも有難い。
地下鉄の駅にはトイレが設置されていない所も多く、日本のコンビニのごときエクストリーム便利ショップなど英国には存在しない。公園にも公衆トイレは少なく、あっても閉鎖されている場合があるし、だいたい商業施設など建物内のトイレでさえこの世の終わりみたいに汚い時があるくらいだから公園ともなると使い物になるかどうか甚だ疑問だ。
誰でも使えるマトモなトイレが街中に少ないためか、観光中、そこらへんの路傍のベンチやら公園やらで開けっぴろげに赤子のオムツを替える母親の姿を何度も見かけた。まあ乳飲み子くらいはまだ良いとして、一定の年齢以上でお腹の弱い人達など、そんな都市で一体どうやって生きているのだろうか。
閑話休題。
大英博物館の話である。
友人は以前にも一度来館したが、その日はあまり時間に余裕が無く、また館内マップも無料のものが見当たらず、数十という展示室の中からロゼッタ・ストーンを探し出すことができないまま諦めて帰ったのだという。
ではまずそれから見に行きましょうという事で、最大の目玉と呼び声の高い古代エジプトゾーンへ。足を踏み入れた瞬間、物量の暴力とも言うべき彫刻群に圧倒される。巨大なファラオ像にスフィンクス、エジプト神話の神々、その他諸々の人物や動物。夥しい石像が所狭しと並べられており、その隙間を縫うように進む。大小様々な彫像と壁画、ミイラに石棺等々、凄まじい数量の作品群が広大な展示エリアを埋め尽くす様は正に圧巻である。この古代エジプト縛りだけでも博物館が軽く一棟は建ちそうだ。よくまあこれだけのものを遠くから運んできたものだなあと思わずにいられない莫大な収蔵量は、同時に侵略と簒奪の何たるかを感じさせる。友人と「”植民地支配”って感じ~」「それな~」などと言い合いながら歩いた。
多くの展示物は無防備に剝き出しの状態で置かれており、素手で触れている人なども散見されたが(大丈夫なのか?)、本物のロゼッタ・ストーンは流石にガラスケースで保護されていた。周囲の人だかりがその人気ぶりを物語る。エジプトから英国へ流れ着くまでの過程がどれだけゴタついていようと、石柱に刻まれた三種の文字は文句なしにロマンであった。
13時頃に入館し、エジプトゾーンから出発して一通り全ての展示室を回りきる頃には16時を過ぎていた。何せ広いし見るものが多いのだ。これでもそこそこ駆け足で回った方で、全てを一つ一つじっくり鑑賞しようものなら恐らく一週間はかかるだろうと思われた。本当にとんでもない展示量である。
17時閉館なので今のうちにとショップを物色し、ロゼッタ・ストーンのピンバッジを購入する。閉館直前でも館内はかなり混雑していた。
博物館を出た後まだ時間があるので、散歩がてら中華街を見物に行く。博物館から南西方向へ、徒歩で片道10分少々といったところだ。
天気が良いからか、中華街は入口のあたりから大勢の人でごった返していた。歩行者天国も道沿いに連なる店々も大いに賑わっており、特に屋外のテラス席など、夕食には少し早い時間帯ながらどこも満員御礼の状態だ。
「イギリス人、晴れてる日めっちゃ外に出たがる傾向にあるんだよね。今のうちに一年分の日光浴チャージしてるのかな……」と友人が言う。
シンボル的な門のテイストこそ横浜や長崎でよく見るお馴染みのやつとそう変わらないが、頭上にずらり居並ぶ赤い提灯の合間合間にユニオンジャックが主張しているあたりいかにも英国らしい。
特にあてもなくぶらぶら歩いていくうち、そういえばこの先にフィッシュ&チップスの名店があるらしいぞという話になった。取り敢えず覗いてみようとそちらへ足を向ける。
辿り着いた店はなるほど人気店らしく、やや外れた立地の割に大変な賑わいようだった。ここはきっと美味いんじゃ、寄ってみようかしら、と食指の動きかけた我々の眼前を、揚げ物のたっぷり乗った大皿が横切って正気にさせる。シンプルに多いのだ。そして芋がでかい。でかいしやたらと多い。平生の空腹時なら兎も角、その時は二人とも昼間のヘビーな甘味による胃もたれを若干まだ引きずっていた。四捨五入すると30歳の両名、最早若くはない。美味そうではあるが、この量の揚げ物はちょっと……と、見送ることにして近くの地下鉄駅へ向かう。
この日は結局そこらのスーパーに寄って大人しく帰った。
肉の入っていない、大豆ミートだか豆腐だかの冷凍餃子なるものを友人が焼いてくれ、マンションの先住民が残していった(!)という炊飯器で米を炊き、その他サラダやら何やらで夕食とする。
常日頃、自宅ないし友人宅で誰かと食卓を共にする時と言えば専ら宅飲みで、食事というより酒の肴としての料理を並べたところに缶ビールと一升瓶、みたいな光景が私にとっての当たり前だ。
それに引き換え、イスラム教徒の友と囲む食卓のなんと健全な事か。実に健康的で素晴らしいなあと称賛しつつ、私はスーパーで買った現地の知らないビールを開けた。
三日目;ウィンザー&ストーンヘンジ&バース1日ツアー
この日、友人は仕事で外部向けのプレゼンを担当するため出勤しなければならないという事で、朝から終日別行動を取った。友人は午前中ゆっくり準備して午後から仕事、私は朝早くに出発して観光ガイド付きの一日バスツアー。
プレゼンの日程は早くから分かっていたので、予めその日に一人でも参加可能なオプショナルツアーを検索し、ネットで予約しておいたのだった。今回私が申し込んだのはロンドンのヴィクトリア駅発着で、ウィンザー城とストーンヘンジ、バースの3箇所を巡るコースである。
なにぶん移動距離が長いのでツアーの集合時刻は朝8時と早い。そして友人宅から集合場所までは徒歩と電車で30分前後かかる。
私は朝6時過ぎにもそもそと起きだし、まだ寝ているNさんの邪魔にならぬようこそこそと身支度や荷物の準備をし、台所を勝手にごそごそ漁ってシリアルとヨーグルトの朝食をいただいた。そんなに朝早く食事を摂るなど普段の私では考えられない事だが、食事付きのツアーではないし、各所の見学時間と別に食事のための時間が設けられている風でもない。恐らく食える時に食っておかないと食いっぱぐれるパターンのやつであろう、という予感がそうさせ、結果的に実際その予感は当たっていた。
勝手に拝借した皿とグラスを勝手に洗い、朝7時過ぎ、まだ眠そうな友人に見送られて家を出る。バスでも行けそうだったが、より信用できる地下鉄を使うことにした。いずれの交通手段にせよ、普段使いのカードのタッチ決済だけで簡単に乗り降りできる点はお手軽で良い。
携帯のナビを頼りに辿り着いた集合場所は、想像の3倍ほどの人でごった返していた。係の人に自分の並ぶべき待機列を教えてもらい、手首に紙のリストバンドを巻かれる。
ある程度の余裕をもって着いたつもりがほぼ最後尾で、まだ15分前なのに!? と少し驚いた。この手の観光ツアー等で時間をキッチリ守るのは日本人の専売特許だというイメージがあったが、意外とみんな真面目らしい。
大型の観光バスにぞろぞろと乗り込み、満席になったところで出発する。
ロンドンから西へ西へ、12時間に及ぶ日帰り旅行の始まりである。
最初の観光スポットはウィンザー城だ。ヒースロー空港の近くにあり、初日に飛行機の窓から見下ろしたあの古城である。
移動の道中、ガイドさんが周囲の街並みや目的地について色々と話をしてくれる。これから行くウィンザー城は毎週火曜と水曜に閉まるので、休み明けの木曜(つまり今日)は混雑しがちなのだという。平日なのに? と半信半疑だったが着いてみると実際その通りで、入場待ちの行列がとんでもない事になっていた。バスの停留所から城内まで、徒歩移動を含めて小一時間ほどもかかっただろうか。順番待ちにかなり時間を取られてしまった結果、城内の見学に使える時間は実質1時間そこらという感じだった。
時間内に全部を回りきるのは不可能なので、音声ガイドの説明を聞きながらステート・アパートメント内部を一通り見物する。屋内の撮影は禁止されているため写真は無いが、流石に豪華絢爛な威光かがやく佇まいだった。内装や調度品の風格もさることながら、収蔵されている絵画等の美術品も相当なものだ。約30年前の火災で壊滅的な被害を受けたという部屋なども隙無く奇麗に修復がなされており、当たり前の事だが、実によく人の手と金がかけられているなあと感心する。
そうこうしているうちに時間切れとなった。セント・ジョージ・チャペルの方は、帰り際に外観を眺めるだけでよしとする。ささっと写真を撮ってバスへ戻った。
ウィンザー城を後にして、バスは更に西へ。
ソールズベリー北西のストーンヘンジへ向かう。正直ほとんどこの為に申し込んだようなものと言っても過言ではない、ツアー最大の目玉だ。
ウィンザーでは食事や買い物をする時間がなかったので、持参していたカロリーメイトを移動中の車内で齧った。こういう事もあろうかと、日本のディスカウントストアで安く買ったやつを非常食として持ってきていたのだ。
遺跡周辺の景観や環境保全のためか、駐車場とビジターセンターはストーンヘンジから2~3㎞離れた所に建てられている。
ツアーバスを降り、ビジターセンターとヘンジを結ぶ専用の往復シャトルバスに乗り換えて、遺跡のすぐ手前の所まで移動する。いよいよ”本物”とご対面だ。
かの有名な環状列石は、延々と続く広大な平原のど真ん中にあった。青い空と緑の大地。他に何もない長閑な風景の中に、何の脈絡もなく突然、しかしさも当たり前のように巨石が積まれている。全くもって意味が分からない。
この建造物が作られたのは今から4000年以上も前の大昔の事で、用いられている巨大な石は、この遺跡から25㎞ほども離れた場所から運んできたものであるらしい。更に言えば、この遺跡は「ストーンヘンジ」というあまりにも有名な呼称をもっておきながら、厳密には構造上の特徴が「ヘンジ」には該当しないのだそうだ。ますます訳が分からなくなってきた。
巨石群の中ほどまで踏み込んでいく事はできないが、環状列石の周りをぐるりと取り囲むようにして観光用の遊歩道が敷かれている。歩いて一周しつつ音声ガイドの説明を聞いた結果、ストーンヘンジとは誰が何のために建てたものであるのか、とどのつまり未だよく分かっていないという事だけがよく分かった。
謎多き古代遺跡を背に、シャトルバスに乗ってビジターセンターへ戻る。売店で記念に冷蔵庫マグネットを購入した。
時刻は14時過ぎ。ツアーもそろそろ終盤だ。今度は最終目的地のバースへと向かう。
片仮名で「バース」と書くと却って分かりにくいかもしれないが、"Bath" という綴りそのまま、古きよき温泉の町である。
英国では希少な(というか唯一の?)温泉が湧く保養地として、1~2世紀頃から大いに栄えていたらしい。
今なお滾々と源泉が湧き続けるローマ浴場跡は現在、ローマン・バスことローマ浴場博物館として一般に公開され、観光客たちに人気を博している。バース最大の観光スポット、らしいのだが、私は今回この博物館への入場オプションを外していたので建物の中には入っていない。
理由は単純で、シンプルに入場料が高いのだ。もちろん訪問時期や為替の状況によっても変わってくるが、この6月の設定料金および為替レートだと、一人当たり5000円近くも取られる計算になるらしかった。
温泉に入れる訳でもないくせに、である。寝言は寝て言っていただきたい。
もっとも、昔は実際に浸かったりもできていたそうだが、現在は諸事情により入浴は禁止されていて館内の見学だけだという。一体何が悲しくて、入れもしない風呂をただ眺める為だけに5000円も払わなければいけないのか。歴史的価値のある建造物なのは分かるが、それにしたって流石にちょっと高すぎる。勘弁してくれ。こちとら天然の古湯など珍しくも何ともない温泉大国の住人なのだ。
そんな訳で私は、浴場博物館へ入場しない代わりにしばしの自由時間を得た。
バースは田舎の小さな街だ。建築物の写真を撮って回り、運河を眺め、そこらを散策する。
歩いているうちにたまたま見つけた総合スーパーらしき店で、ミネラルウォーターとサンドイッチを買った。帰りのバス車内で食べる用だ。
食品売り場の近くにキッチン用品のコーナーがあったので覗いてみる。友人が「コーヒー豆とフィルターは売ってるのに、フィルターを置くドリッパーだけ何故かどこにも売ってないんだよ!」と嘆いていたのを思い出したからだ。酒も煙草もやらないNさんはコーヒー好きで、愛用の手挽きミルを日本から持参し、他の必要品を現地調達しようとした結果『ドリッパーだけ何故かどこにも売ってない』トラップに引っかかったらしかった。
「フィルターは売ってるのに? そんな事あるんですか」と笑って聞いていたが、いざ探してみると本当に見当たらない。茶器の類や他のコーヒー器具は色々あるのに、フィルターをセットする為の、あの円盤状の底板の上にじょうごがくっついたような普通のドリッパーだけが無いのだ。謎である。
近くにいた店員さんを捕まえ、ブラウザで画像検索をかけた携帯の画面を見せながら「こういうドリッパーありませんか? 友人が探していて……」と訊いてみた。「ペーパーフィルター置くやつ? あるとしたらこの辺だけなのよね〜(意訳)」と、一緒に探してくれたがやはり売られていない。代わりにこういうのならあるんだけど……と申し訳無さそうにミル一体型の抽出器を示され、ですよね〜ありがとう、と礼を言って店を出た。
集合時刻が近づいていたのでバスの方へと戻りかけた時、先ほどの街歩き中に裏路地で見かけた小さいコーヒーショップの事を思い出した。狭い店内で数人の客がひしめき合うように順番待ちをしていて、ここのコーヒー美味しいのかな、でも混んでるな……と通り過ぎた店だ。ガラス張りの窓越しに、店の備品ともインテリアともつかない、コーヒー豆の袋や器具類がずらりと並ぶ棚が見えた。あの中にドリッパーもなかったか。もっとも、あったところで必ずしも売り物とは限らないが、訊いてみるだけならタダである。
タイムリミットまで約10分、集合場所はすぐ近くなのでギリ行けると判断した。記憶を頼りにコーヒー屋へと向かう。
博物館の裏手、細い路地を抜けた先の角だ。シンプルな看板とガラス張りの窓。その窓際の棚に、雑貨や他の器具類に紛れて、大小2個のドリッパーが置かれている。よく見ると何故か日本製。先ほどより照明が落とされているのが引っかかるが、取り敢えず店に入ってみる。「今日はもう終わったよ」と言うレジカウンターの店員さん。まじかよ。17時閉店ってちょっと早すぎないか、いや、そうじゃなくて。
店員さんの肩越しに棚を指し「コーヒーじゃなくて……あのドリッパーって売ってませんか?」とダメ元で訊いてみる。訊きながら(いやコレ売り物にしては置き場所が客から遠すぎるな)と軽く絶望したが、意外にも返答は「あっコレ? 売れるよ」との事。まじかよ。訊いてみるもんだな。
買う気満々でカードを取り出しながら値段を尋ねる。日本ならダイソーなんかで100円で買えちゃうような物だけど、ちゃんとしたメーカー品だし、まあ流石に千円くらいはするかな……と思っていたら、二つあるうちの大きい方が「£14です」と言われ思わず「FOURTEEN!?!!」と大声で聞き返してしまった。ちなみにこの日の為替レートは1ポンド約180円。高級品かよ。苦虫を噛み潰しながら「小さい方は?」と訊くと「£7……あっごめん違うや、今ちょっと値上がりしてて£8.5」だそうだ。ううむ、お高いけどまあ、さっきのよりは。うん。大きい方は1〜4杯用、小さい方は1〜2杯用との事で、一人暮らしの友人には後者で大丈夫だろう。多分。きっと。恐らくは。
バスの出発時刻が迫っている。これ以上ゆっくり悩んでいる暇はない。買います! 小さい方ください! と宣言して会計を済ませ、手に入れたドリッパーを携え集合場所へと小走りで向かった。
時間ギリギリでバスに乗り込む。席に着き、ドリッパーの値札シールを剥がして丸めながら、買ってしまったな……と今更のように思った。おおよそ1500円。日本の大手メーカーの製品を遠路はるばる輸入している訳なので仕方無い事だが、モノの割には随分と高値だ。しかしこれで良かったのだと思い直す。
私はこのドリッパーという品物に8.5ポンドを支払ったのではない、家に泊めてくれている親切な友人への謝礼として8.5ポンドを支払ったのだ。そう考えると決して高くはないし、むしろ安すぎるくらいだろう。
最終目的地を出発したバスはM4高速道に乗り、一路ロンドンへ向けて東進する。先ほど買ったサンドイッチを齧りつつ、2時間半ほどバスに揺られた。
ヴィクトリア駅に到着したのは20時ちょうど。出発から帰着まで丸12時間、きっかり半日のイングランド横断バスツアーはこれにて終了と相成った。
駅から地下鉄に乗って友人宅へ戻る。今日はプレゼンお疲れ様でした、とバース土産のドリッパー(日本製)を進呈し、この日も部屋で一緒に夕食を摂った。
四日目;観光名所一気見テムズ川クルーズ
さて、無事プレゼンを終えた友人はこの日から金土日と3連休で、みっちり私のロンドン観光に付き合ってくれた。
空港まで迎えに来てくれた初日といい一緒に大英博物館へ行った二日目といい、平日に仕事を休んでまで同行してもらえるのは、嬉しい反面ちょっと恐縮もしてしまう。何なら渡英を決めた当初、私としては「友人が仕事の平日は一人で勝手に観光して宿だけ借りて、週末は一緒に遊んでもらう」くらいの感じを想定していたのだ。渡航前にメッセージのやり取りをしていて、例のプレゼンがある日以外すべて休暇を取ったと言われた時は正直驚いた。
有難いけれどもそんなに休んでもらっちゃって大丈夫なのかしら……と少々不安になったが、やはりそこは英国、労働環境は日本より格段にホワイトなようで全く問題無いとの事だった。ワークライフバランス斯くあるべし。
そんな訳で名所巡りである。
まず朝イチでバッキンガムへ。グリーン・パークを歩き、カナダ門からヴィクトリア記念堂へと回り込む。すぐそこがバッキンガム宮殿だ。敷地内へは入れないので外から眺める。なるほど壮麗な造りだ。
“霧の都”らしからぬ、抜けるような青空。ピーカンの晴天で太陽が眩しい。
Nさんが5月に戴冠式を見に来た時は、雨で足元がドロドロだったそうだ。それでも相当な人出で、式典の数時間前に現着しスタンバッていたものの結局王は見えなかったらしい。普通に気の毒だけれども、ある種ロンドンらしいエピソードでもある。
バッキンガム宮殿を後にして、徒歩圏内のウェストミンスターアビーへ。言わずと知れた世界文化遺産の大ゴシック建築である。
重厚にして豪奢。絢爛な装飾と彫刻が微に入り細を穿ち、ありとあらゆる空間を隅々まで埋め尽くしている。ほとんど殺人的な情報量だ。見るものが多すぎて目が足りない。
写真には入り込まないよう撮っているので分かりにくいが、大広間から小部屋まで、院内はどこもかなりの人で混雑していた。
ウェストミンスターアビーを出ると、すぐ先に巨大な時計塔がある。ロンドンを象徴する代表的な建物の一つ、通称ビッグ・ベンだ。
本来この「ビッグ・ベン」とは塔内にある時鐘の愛称だそうだが、一般的には塔全体や大時計そのものを表す名称として認知されている。
我々はこの日テムズ川クルーズを予約していたので、時計塔を横目に遊覧船乗り場へと向かった。
出発地はウェストミンスター桟橋。ほとんど時計塔の足元と言っていいような場所にある。船ごとに別々の乗り場が設けられており、多くの観光客で賑わっていた。皆してぞろぞろと遊覧船に乗り込む。
対岸では“ロンドン・アイ”こと巨大観覧車がゆっくり回っている。楕円形をしたガラス張りのカプセルは1個につき乗客25名まで搭乗可能だそうだ。そこらの遊園地にあるような普通の観覧車とは随分スケールが違う。
桟橋を出発した船はロンドン・アイの前を通過し、時折別の桟橋に寄って乗客を拾いながら下流へと進む。
左手に“クレオパトラの針”こと古代エジプトのオベリスクを見ながらウォータールー橋をくぐると、間も無く“シティ・オブ・ロンドン”と呼ばれる中心部エリアに入った。日本でいうところの東京駅周辺がイメージ的に近いだろうか。イギリス経済の中枢を成す金融街である。再建されて300年以上のセント・ポール大聖堂があるかと思えば、その先には“ザ・ガーキン”をはじめとする前衛的な現代建築が居並ぶ。向かいの右岸にはシェイクスピアズ・グローブ。
テムズ川沿いに著名な建物が新旧入り混じる光景はいかにもロンドンらしい。多数の名所が集中しすぎて撮影が追い付かなかった。
やがて前方にタワー・ブリッジと、その北詰にロンドン塔が見えてくる。このあたりが“シティ”の東端だ。
タワー・ブリッジのすぐ横に桟橋があり、そこに船体を横付けする。そのまま船に残り、もっと下流のグリニッジ天文台あたりまで行く乗客も多いようだったが、我々はロンドン塔を見物するためここで下船した。
間近で見上げるタワー・ブリッジは流石に壮観だ。テムズ川には多くの橋が架けられているが、その中で最も有名なのがこの巨大な跳開橋(跳ね橋)だろう。威厳あるゴシック様式の主塔が左右に聳え、その基部同士を可動式の橋桁が、上部を2本のウォークウェイが平行に繋いでいる。
ちなみにこの”タワー・ブリッジ”、しばしばその西隣に架かる”ロンドン橋”と混同されがちだが全くの別物である。
実際のロンドン橋は至って普通のコンクリート製で、見た目も大変に地味だ。記録に残っている限り、テムズ川史上最古の橋であるらしい。都市名をそのまま冠した捻りのない名称はその為だろうか。マザー・グースで「ロンドン橋落ちた」と歌われているように、長い歴史の中で何度も落ちたり再建されたりを繰り返しながら現在の姿になったという。大昔から使われてきた純然たる実用のための橋といった感じで、隣の派手なタワー・ブリッジとは天と地の差、見栄えもへったくれもあったものではなかった。
さて、タワー・ブリッジで遊覧船を降りた我々はロンドン塔の内部見学へと向かった。今でこそ多くの観光客で賑わう人気スポットだが、かつて牢獄であり処刑場でもあった、いわば血塗られた歴史を持つ古の要塞である。
友人がオンラインチケットを事前予約してくれていたおかげで入場はスムーズだった。酒好きの民にとってはジンのラベルでお馴染みの、”ビーフィーター”と呼ばれる衛兵さんがあちこちに居て意味もなくテンションが上がる。
時刻は13時近く、友人も私も腹が減っていたので、ひとまず敷地内のカフェに立ち寄った。友人はノンアルコールの炭酸飲料を、私はビールを引っかけつつ適当に腹ごしらえをする。
一息ついてから、まずは中心部に建つホワイト・タワーへ。
ロンドン塔の中で最も古く、千年近い歴史がある建物だ。
15世紀に幽閉され行方不明になっていた王族の兄弟のものとみられる遺骨が、百年以上の時を経て改修工事中に偶然ここで発見された――という、少々剣呑ないわくつきの場所でもある。
内部は博物館になっており、主に甲冑や武器の類が展示されている。勿論その多くは現地のものだが、中には日本の鎧兜なども交ざっていた。かつて徳川家から献上された品であるらしい。
武具エリアの他、簡素で静謐な古い礼拝堂があるかと思えば、子供ウケ重視なのか(?)えらくゴテゴテとした謎センスの巨大ドラゴン像があったり、頗る世俗的な土産物店があったりもした。
ロンドン塔にはホワイト・タワー以外にも数多くの見学スポットがある。
たとえば”反逆者の門”と呼ばれる水路の門や宮殿、貴重な宝石類や王冠を多数収蔵する”クラウン・ジュエル”、処刑場跡の記念碑、かつて囚人たちを幽閉していた塔と、その石壁に囚人たちが刻み遺したサインやメッセージ、等々。
折角高い入場料(£33/人)を払ったのだから元を取らねばと、入場可能な全ての展示エリアを片っ端から見て回る。城塞は広い上に複雑な構造をしており、見学順路には狭い通路や急な階段も多い。見るべきものが多い上に混雑していたので、隅々まで歩き尽くすにはそれなりに時間が要った。16時を回った頃、ついに完全踏破を達成。
この日の主な予定はこれで消化完了となった。
思えば朝から随分と色々見てきたものだ。
まずグリーン・パークとバッキンガム宮殿。ウェストミンスター寺院。時計塔にロンドン・アイ。テムズ川。船上から望んだセント・ポール大聖堂と、シティの高層ビル群。ロンドン橋、タワー・ブリッジ、そしてこのロンドン塔。
観光名所を詰め込みすぎて”定番”が渋滞を起こしている。致死量の濃縮還元100%ロンドン。自分で書いていて胸焼けしそうだ。
結構しっかり満喫した感はあるものの、帰宅するにはまだ少し早い。何せ日没までたっぷり5時間は猶予があるのだ。
今いるロンドン塔からテムズ川を南岸へと渡り、20分も歩けば現代美術館のテート・モダンに着く。中途半端な時間だが、今から出発すれば最終入館には間に合うはずだ。どうせ他に予定も無いし、取り敢えず行ってみようという話になった。
まずは川を渡らねば、という事で、ロンドン塔を出て最寄りの橋ことタワー・ブリッジまで戻る。
どうしても”観光名所”としてのイメージが先行しがちだけれども、タワー・ブリッジは第一義的にまず”橋”だ。基本的にはただの一般道である。もちろん、建物内部の博物館や塔の上部を結ぶウォークウェイへ入るには別途入場料が要るが、単に橋を渡るだけなら通行料も何も必要無い。橋桁には当たり前に歩道と車道があり、歩行者の傍らをバスや乗用車が行き交っている。見た目こそ派手だが、機能的にはちゃんと普通の橋なのだ。
先程のテムズ川クルーズでは観光客として「本物だ~!」と見上げたそれを、今度は単なる通行人として、普通に歩いて渡る。何とも妙な感じだ。我々は今、かの世界的に有名な大橋梁を実際にこの足で渡っているのだ! と、友人共々半ば信じられないような思いで歩を進めた。
タワー・ブリッジを渡り終え、携帯のナビを頼りにテート・モダンを目指す。道中スーパーやカフェに寄り道をしたため少々タイムロスが発生し、目的地に辿り着いたのは閉館の約一時間前だった。
複数階にわたる全ての展示を鑑賞するには時間が足りないが、入館無料なので別段なにが勿体無いという事もない。スタッフさんに「もうすぐ完全閉館です」と追い出されるギリギリまで粘って、見られるだけのものを見て回った。
絵画に彫刻、写真、インスタレーション等々。表現の手法は様々あれど、総じて現代美術の良いところは、何だかよく分からないものを分からないままでも楽しむ事ができる点だ。と、私は個人的に思っている。
これは私見だが、現代アートというやつは往々にして、表現者の中で既に結論付けられた”解”を描いたものではなく、鑑賞者へ”問い”を投げかける芸術だ。作られただけの時点では未完で、鑑賞される事によって初めて完成する、と言い換えてもいい。作品そのものだけでなく、それを視る者の眼差しまでもが”作品”に含まれるからだ。したがって「何だこれは」「何だかよく分からないけれどもなんか良いなあ」という楽しみ方だって成立する、ような気がしている。知らんけど。
美術館を出た後、広場のベンチに座ってしばし会議をした。
時刻は18時。外はまだ余裕で明るいが、観光施設は軒並み閉まる時間だ。
昼からずっと歩き通しで空腹感があった。そういえば我々はまだ一度もフィッシュ&チップスを食べていない。近くにどこか美味そうな店はないかと地図アプリで検索し、徒歩10分少々の場所にあるシーフードレストランに目星を付けてそこへ向かった。
店の名前は Applebee's Fish 。テート・モダンへ向かう途中に通ったマーケットのすぐ向かいにある。そこそこ混んではいたが、幸い予約無しでもすぐに座れた。
ひとまず看板メニューのフィッシュ&チップスに、揚げ物オンリーはちょっとね……と、比較的手頃な値段のサラダ。それに友人はコーラを、私は定番らしきラガービールを注文した。
友人のコーラが£9と矢鱈めったら高い一方、私のビールはパイントでも£6という価格設定で、思わずメニューを三度見する。ソフトドリンクよりもビールの方が安い国の存在は知っていたけれども、酒とノンアルとの線引きが思ったより苛烈で面食らってしまった。私のごとき酒好きには良いが、友人のような酒を飲まない・飲めない勢に対してちょっと厳しすぎる気もする。まあ「そういう土地柄」と言われてしまえばそれまでなのだが。
果たして、運ばれてきたフィッシュ&チップスは絶品であった。揚げたての白身魚は火傷しそうなほど熱々で、外はカリカリ、中はホクホクのふわふわ。メニューに「hand cut」と書かれているチップスも、いい具合に食べ応えのあるサイズ感で文句無しに旨い。ラガービールと最高に合った。
当たり外れが激しいと噂に聞くフィッシュ&チップスだが、どうやら我々は博打に勝ったらしい。Applebee's Fish 、オススメである。特に酒好きには。
五日目;博物館巡り、ケンジントン・ガーデンズ
ロンドン観光もそろそろ終盤。主だった名所は既にあらかた制覇したので、残りの日程は博物館と美術館を見て回るのに費やした。何しろ日本に居てはそうそうお目に掛かれないような貴重な展示が無料で見放題なのだ。行かない手はない。
まずは博物館から。サウス・ケンジントンに大規模な博物館が3つほど固まっているエリアがあり、この日はそこを訪れる予定にしていた。
友人宅にて朝食中、PCで朝のニュースを見るともなしに流していると、何やらものすごく見覚えのある王宮の門扉が映った。バッキンガム宮殿である。
「あれ? ここ」「ちょうど昨日行った所だね」「なんで生中継してるんでしょう」「さあ……事件とかではなさそうだけど」と首を傾げていると、アナウンサーが「今日は国王の生誕パレードが行われます」とか言いだすので友人共々驚いた。今日なんだ。普通に全然知らなかった。
パレード開始までまだ数時間もあるが、宮殿前には既に見物客が集まり始めているらしい。周辺には交通規制も敷かれるだろうし、かなりの混雑が見込まれそうだ。昨日のうちに行っといて良かった。今日はバッキンガム方面には用が無いから我々には特に関係無かろう、と他人事の余裕をぶちかまし、博物館へ向けて出発する。
普通に騎馬隊に遭遇した。
街中の一般道のど真ん中を、さも当たり前のような顔で馬たちが闊歩していく。平生あまり見る事のない光景だ。
面白がって写真を撮る私の傍らで、Nさんが「あ、ああ……車道にお馬さんの落とし物が……」と呟くのが聞こえた。ガソリンではなく植物性の飼料をエネルギー源とし、100%生体システムによって駆動している隊列であるため、そのあたりはなんかもう仕方が無いらしかった。
さて、自然史博物館に到着である。
週末という事もあってか、開館直後から随分と混み合っていた。ただの博物館とは思えない立派な建物の中に入ると、ホールの天井に吊るされた巨大な鯨の骨格標本が出迎えてくれる。広大な館内はジャンル別にざっくりと分類され、膨大な数の動植物や鉱石の標本が展示されていた。
一通り見終わって外に出ると、不意に上空で轟音が響く。周囲の人達につられて空を見上げれば、イギリス空軍のものと思われる航空機が隊列を組み飛び去っていくところだった。博物館への道中で見掛けた騎馬隊と同様、王の生誕パレードにパフォーマンスのため赴いていたのだろう。
次から次へと飛んでくる祝賀飛行の機体群の中に、もうもうと煙を吐きながら進む”レッドアローズ”らしき編隊も見えた。朝のニュースで「空軍公式アクロバット・チーム」として紹介されていた赤い航空機である。友人と映像を見ながら「日本でいうところのブルーインパルスですかね」「こっちは青じゃなくて赤なんだ~」などと呑気に話していたのだが、まさかこうもドンピシャのタイミングで本物を拝む事になるとは。思わぬ幸運に恵まれた。
飛行機の隊列を全て見送ってから、今度は道を挟んですぐ向かいのヴィクトリア&アルバート博物館へ。
これまた途轍もない収蔵量を誇る、非常に大規模な博物館である。
古今東西の絵画や陶磁器、建築、家具類や工芸品、ジュエリー・貴金属、ファッション等々。多岐にわたるコレクションの中でも特筆すべきはやはり彫刻だろう。中庭に接する廊下の展示からして既に暴力的な物量なのだが、”キャストコート”と呼ばれるブチ抜きの大広間などは特に圧巻だ。ここで言う”キャスト=cast”は「鋳型」の意に当たり、要するに実物ではなく複製ですよという事だが、ミケランジェロのダビデ像はじめ錚々たる巨大な彫刻群が居並ぶ様は流石に迫力が違う。偽物であるにもかかわらず、凄まじい密度と圧で捩じ伏せられるような感覚。徳島県の大塚国際美術館を少し思い出した。
ところで、これは恐らく英国の全ての博物館や美術館に共通して言える事だが、概して所謂「見学順路」的なものが整えられていない。いや、それ以前にまず「見て回る順番」や「鑑賞ルート」という概念自体が希薄、と言った方が正確だろうか。
莫大な数量のコレクションが、訪れる全ての人々に対して無条件に、常時無料で公開されている。その状態が前提である以上、そもそも”全部をいっぺんに見て回る”という想定が成立しにくいのかもしれない。だっていつでも全部タダなんだから、いつでも勝手に来て勝手に好きなもの見て行けばいいじゃん、という理屈である。知らんけど。
少なくとも我々日本人の感覚からすると、館内の移動効率は基本的に度外視されている。ただでさえ広大な建物と複雑な設計との掛け合わせで、内部構造が異様に込み入っているのだ。日本の博物館や美術館は大抵、おおよそ一筆書きの鑑賞ルートで全ての展示を一巡できるように設計されているものだが、そういった配慮が全く見受けられない。全ての展示室を踏破するためには同じ場所を何度も通る必要があるし、「このエレベーターは中二階に停まるけど隣のは停まりません」とか「こっちの階段は最上階まで通じてるけどあっちは途中の何階までしかないよ」とか、ほとんど罠に近い迷子量産装置もゴロゴロしている。分かりにくい事この上ない。乱暴な言い方をすればシンプルに不親切だ。
館内マップを参照しながら、「なんでこんな無駄にややこしい造りをしてるんだ……」「それでも客は来るから」「ウッ確かに……!」という会話を何度したかしれない。
ついでに言うと、空調設備もさほど整えられていないらしく、風通しや換気効率という概念も希薄だ。涼しく快適な展示室も勿論あるのだが、場所と時間帯によって時々ほとんど蒸し風呂のようになっている部屋があったりする。
「うっわ暑……なんでこんな暑いんですか……」「それでも客は来るから」「それはそう……!」という会話も何度したか分からない。
体感30℃超の室温に、もわんと篭った空気。一部の部屋だけならまだしも、通路や階段も含めワンフロア丸々全部ノーエアコンで無風ともなると流石に暑い。我々のごとき健康な成人(それも高温多湿に耐性のある日本人)でさえバテてくるほどだ。
百歩譲って、我々人間サイドにとって不快指数が高いというだけで済む話ならまだ我慢もできるが(無料で見せてもらっている以上あまり文句も言えまい)、こんな保存環境では展示物サイドにも良くないのではないかと普通に心配になった。
ヴィクトリア&アルバート博物館でかなりの時間を費やしてしまい、最後の科学博物館はやや駆け足で回る事となった。
自然科学というより産業科学的なジャンルが主だろうか。蒸気機関や航空機、時計類、コンピュータの歴史、宇宙関連等々。
幅広いテーマが扱われる中、新型コロナウイルス感染症ことCOVID-19に関する展示が印象的だった。ワクチン接種用の注射器やマスクといった物品をはじめ、感染予防を訴える掲示物の類が並んでいる。新型ウイルスに遭遇した我々が、いかにして2020年代のパンデミックと向き合い、対策を講じ、乗り越えてきたのか。ざっくり言うとそんな感じの展示だ。”現在”が”歴史”へと変わりゆく過渡期の断面を見た気がした。
博物館巡りの後は、スーパーへ行ったり道端のカフェに寄ったりしながらケンジントン・ガーデンズへ向かった。道一本隔てた隣のハイド・パークとほぼ一体で、ロンドン最大規模の公園を成している。緑豊かな憩いの場だ。
我々のような観光客も勿論いるが、地元民らしき人々の姿も多かった。湖畔に座ってのんびり休憩している様子の人もいれば、犬の散歩やランニング中の人もいる。芝生の広場で仲間達とピクニックに興じる者あり、ボール遊びに熱中する者あり。老若男女問わず、皆めいめい好きに過ごしていた。
公園の西端に位置するケンジントン宮殿は営業時間を過ぎていたので、柵の外から遠巻きに見物する。公園を出てから少しだけ街を歩き、買い物をした後バスに乗って友人宅へ戻った。
最終日;美術館巡り、帰国の途
あっという間に最終日となった。使い古された月並みな言い方だが実際この表現に尽きる。こないだ来たばかりでもう帰国するのかと、信じられないような気持ちで荷物をまとめた。
干していた洗濯物を畳み、携帯の充電コードや洗面所の歯ブラシセットを回収。フライトの前後で使いそうな物はリュックや手持ちの鞄へ、当面なくてもよい物はスーツケースへ。
お土産の瓶ものや割れ物は、どこぞの地下鉄駅から適当にかっぱらってきた無料の新聞で梱包する。ロンドンでは朝方など、よく改札口あたりにフリーペーパーが「ご自由にどうぞ」と平積みにされていて、この新聞紙が現地で買った土産物の緩衝材に丁度良いのだ。気軽な国内移動であれば洗い替えの服やタオルに包むという手もあるが、なんせ今回は片道14時間の国際便である。ロストバゲージの可能性とて、低いとはいえ決して0ではない。輸送中、何かの拍子に割れて中身が零れ、土産物のみならず服までお亡くなりになられでもしたら落ち込むこと必至だ。念には念を。割れ物には緩衝材を。
復路のフライトはヒースロー19:00発。ロンドン市街地から空港までは距離があるし、出発ターミナルの混雑具合もどの程度か予想が付かない。しかもこの日は何やら電車のダイヤが大幅に乱れているという情報もあったので、早目に空港へ向かう事にした。
限られた時間の中、前日までに行きそびれていた美術館を巡る。
トラファルガー広場前のナショナル・ギャラリーと、そこからバスで片道15分ほどの場所にあるテート・ブリテン。勿論いずれも無料で撮影自由だ。
ダ・ヴィンチ、レンブラント、モネにゴッホ、エトセトラ。教科書や各種メディアで何度となく見てきた”ホンモノ”の数々を生で拝む。
二日ほど前にロンドン塔を訪れたばかりの我々には、そこで斬首された16歳の少女を描くドラローシュの大作『レディ・ジェーン・グレイの処刑』が痛いほど鮮烈だった。
長いようで短いロンドン観光、これにて終了。
我々は電車に乗ってヒースロー空港へと向かった。チェックインは事前にオンラインで済ませていたので、荷物を預け、屋外の景色を望むカフェレストランにて軽食を摂る。
友人はコーヒーを、私はビールを飲みながら、エスニックな野菜ペースト(?)と温かいパンをつまむ。
窓の外を行き来する各国の航空機を眺めていると俄かに雨が降りはじめた。滞在中はずっと晴天か精々薄曇りくらいの天気だったので、最後の最後に初めてロンドンらしい雨天に遭遇した事になる。日本から持参した折り畳み傘は、出国前日こそ雨の東京で役に立ったものの、英国内では結局一度も使わずじまいだった。今日Nさん傘持ってきてないでしょう、良ければこれ提供しましょうか、と思いつきで口にした申し出は大丈夫だと断られた。空港とロンドン市街はそこそこ離れているし、雨の降り方も日本とは違って短時間散発型だ。多少の希望的観測も含むが、帰宅時には上がっている公算が大きいらしかった。
レストランを後にし、保安検査場へと向かう。長蛇の列だが進み方はスムーズだった。入口手前まで見送りに来てくれた友人に改めて礼を言い、次は岡山で会いましょうねと約束して別れる。
検査場の手前にペットボトルの中身だけを捨てられる所が、そして検査を無事通過した先には無料の給水スポットがそれぞれ設置されていて親切だった。手持ちのボトルに飲み水を汲んでから、改めて搭乗口を確認する。案内板に「ここから徒歩で約15分目安だよ(意訳)」と書いてあるのを見て閉口した。喉元を過ぎてすっかり忘れていたが、そう言えば往路の到着時にも随分と歩かされたのだった。
多くの人で賑わうショップや飲食店を横目に、吹き抜けのホールを回りこんで下階へ降りる。通路を歩いて長大なエスカレーターに乗り、動く歩道を延々と進んだ。案内板の表示に従いさえすれば迷う心配は無いが、搭乗口までシンプルに遠い。
単一のターミナルでさえこんな感じで十分広いのに、あと3つも別のターミナルがあるのだ。流石は世界有数のハブ空港である。空港というより最早ちょっとした街に近い。
本当にしっかり15分かかるじゃん、と謎の感心を覚えつつ、乗り場の待合スペースに到着した。
搭乗開始まで少し余裕があったので、時間潰しがてら近くのトイレへ。手洗いついでに顔を洗い、簡単に歯磨きをする。朝から一日歩き回った身でこれから19時発の便に乗り、翌17時の日本に到着するまで、地獄の14時間フライトに臨まなければならない。その前に多少なりともさっぱりしておきたかった。
トイレから戻ると程なくして搭乗開始のアナウンスがかかる。順番に機内へ乗り込み、自席で携帯の充電コードを繋いだり、空気枕を膨らませたりしながら離陸を待った。
やがて飛行機はヒースロー空港を発ち、徐に南東へと向かう。さらばロンドン。また会う日まで。
北極圏回りの航路をとった往路に対し、復路はユーラシア大陸横断ルートだった。座席のモニターで確認できる航路マップによると、どうやらベルギーのブリュッセル、ドイツのフランクフルト、チェコのプラハ周辺を順に通過していた。そこからウィーンの東方を掠めてハンガリーのブダペストへ、やがて黒海南西の輪郭をなぞるようにしてトルコ上空を通る。
このあたりは完全に夜といった感じで、後にも先にも延々と真っ暗な中、突如として現れたイスタンブール(と思われる都市)の夜景が印象的だった。確証は無いが、特徴的な市街の形状といい、海峡だか河川だかに架かる橋らしきものといい、まあほぼイスタンブールで間違いないだろう。
暗闇に煌々と浮かぶ大都市の光はやがて視界から消え、再び茫洋たる夜の世界を進む。この先は最早あまり特筆すべき事はない。外の景色や機外カメラを眺め、仮眠を取ったり音楽を聴いたりしているうちに、飛行機は夜の大陸を抜けて日本海を渡った。本州を西から東へとまたぎ、ほぼ定刻の17時に羽田空港へ着陸。6日振りに日本の地を踏んだ。
預け入れ荷物を回収し空港を出た私は、2時間後には東京の友人と飲み屋で落ち合って酒を飲み、翌日以降も多摩や上野へ遊びに行ったり別の友人達と酒を飲んだりとそれなりに忙しく過ごしたのだが、まあこれはこれでまた別の話だ。
斯くして我が人生初の英国旅行は幕を閉じた。
この冗長な紀行文に単なる私的な手記以上の趣意は無いが、読んでくださった皆様にとって何かしら、いかなる形であれ益するところの一つでもあれば幸いである。
最後に、今回この旅のきっかけとなり、また投宿先の家主兼案内人として、全てにおいて助けとなってくださった我が友Nさんに謝辞を。貴方の厚情に心より深謝します。きっと来春、お互い元気で。
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