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僕が、村を作りたい理由と村長になりたくない理由

 こんにちは。福井県で地域まるっと体感宿 玉村屋を運営していますナカタニ ショーです。
 実は、僕はつねづね「10年後には村をつくりたい」って言いまくってます。今日はその理由について、唐突だけど書いてみたいと思ったので、書いてみました。

1.不安定な時代の安定とは

 昨今では、変化が激しい時代と言われて始めてから数年が経ちました。技術は日進月歩。次々に新しい技術が生まれ、新しいサービスが生まれていく。数ヶ月前の「あったらいいな」は、すぐに登場する、そんな時代に生きていると感じています。
 これは技術の進歩で良い時代になったと思う反面、仕事面においても時代が変わりやすく、昨日まで稼げてた会社が今日からは稼げない。そんな時代にもなっていると感じています。

2.人間に必要なものは「衣・食・住」

 では、そんな変わりやすい時代で、ある日突然、今までの仕事で稼げなくなったら・・・方法は3つあると思います。
1つ目は、その時代に合わせた会社に変えること(=転職)
2つ目は、その時代に合わせた仕事をつくること(=起業)
3つ目は、「衣・食・住」を自分でつくること
 極端な話、人間に必要なものさえあれば、貨幣なんてなくても生きていけるわけです。つまりは、衣・食・住を作れる人になるということ

3.専門的になったことによる弊害

 少し、話題は変わりますが、現代では「なんでもできる人」よりも「専門的な人」を育てる傾向があります。大きな企業だと部署に分かれていて、営業部は経理部のことはわからないし、総務部は開発部のことはわからない。そういうのが当たり前な光景になってきました。それは世の中のニーズがレベルが高いものを求め、そのレベルに対応するには「プロの力」として専門性を高める必要がありました。また、同じような仕事をしていた方が慣れもあり効率が上がるということもあります。これが日本を今の状態まで作り上げてきたので、決して悪いことではないのですが、弊害があるのもの事実。一人ではなにもできないと言うことです。

4.特技を持った人が集まれば良い

 話を「衣食住」に戻しましょう。逆説的にはなりますが、衣食住だけ確保されていれば、命を絶やさないことはできます。しかし、人間であるということは、それ以上の文化的なレベルを求めたりもする。そう思うと、衣食住の3つができる人になれば、1人で生きていけるかと言われればそうではないかもしれません。しかし、自分ひとりで全部をやるのは難しいと思います。そこで大切なのは信頼できる「暮らし作れる人」の集まりなのだと思います。それぞれが得意なことで暮らしをつくり、支え合う。そういうコミュニティがあると、外でなにかあったときの影響が少ない。なぜなら、もともとの暮らしがそのコミュニティで成り立っているからです。

5.得意なことで暮らしを作る人があつまる空間の魅力

 得意なことで暮らしをつくっている人が集まると、そこには幸せな空気が流れます。なぜなら、嫌なことを我慢していると心に負荷がかかり、余裕がなくなるから。得意なことでコミュニティを支えられている人は、得意なことをやるから余裕があり、必要とされているからやりがいもでる。人間として幸せな状態なんじゃないかなって思います。

6.村長にあるものは「決定権」

 「村を作りたい」というと言われるのが「じゃぁしょーさん、村長さんやね」と言われます。けど、僕はそこに違和感を持っています。村長の役割のイメージが「決定権」だからかもしれないです。関わるメンバーの意見も聞くけども最後は村長が決める。そういうイメージがあるのです。けど、僕が考えている村は、「決定しなくてもいい」と思っています。お互いに信頼しているからこそ、村長が決定しなくても、同意が取れていく。逆に誰かが決定しなくても同意をとれる規模感がいいと思っています。
 だから、僕は村長になりたくない。そのコミュニティを促進するファシリテーターになりたいのです。

 だから、僕はこの変化しやすい時代だからこそ、得意なことで支えあえるコミュニティをつくりたい。それが「村をつくりたい」という言葉として現れているのです。

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