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「ありがとう」ということの大切さ

性格も悪ければ、口も悪いわたしが、変われたこと。

わたしが生まれたのは青森の片田舎、静かな街で生まれました。ただ、そこは生まれただけで、半年も経ってからは、成人するまではずっと東京都のとある区内で暮らしていました。区内とはいいつつも、多くの人には知られていないような地域です。今でこそ、人も増えて明るい街になったようですが、わたしが育ったころは暗く、不良の多い地域でした。歩けば絡まれ、自転車をおいておけば盗まれ、万札を持っていれば金を取られ、一人で裏道を歩いていれば警官に職務質問されます。金持ちと貧乏人が近い地域で暮らしていたため、綺麗な服を着ていれば不良に声をかけられ、着崩した格好をしていれば警官に声をかけられるようなところです。

知り合いのうち、ある程度の割合が不良であることは必然な流れです。わたし自身は徒党を組んでカツアゲしたり、強盗や人を傷つけるようなことはありませんでした。ただ、中学生にもかかわらず徹夜で麻雀したりして、家に帰らないのはふつーのできごとでした。深夜に歩いていても、補導されずにおまわりさんと談笑するような地域です。よくあることだったのだろうと思い返せます。

こんな地域ですから、丁寧に話せば下手に出てると思われて、ナメられ殴られるのが日常です。多少は威勢を張って、口が悪くなっていくことも自然の流れ。他人に感謝などしている心の余裕はありません。感謝する暇があれば、他人をけとばし、より優位な立場になることでしか、安全を確保することができませんでした。

喧嘩も強くなければ、体力も腕力もなかったわたしは、虚勢をはりつつも、強いものに取り入ってごまをすることが、その時の身の安全を確保する最善の方法でした。一番治安の悪かった中学生活も、地域の中でもより中立の安全な中学校へ通っていたため、あまり大きな問題が起きなかったことは幸いでした。他校へ通っていた仲の良い友人から、他校の強すぎるヤンキーの知り合いにうまく取り入ることで、ある程度の位置をキープする程度に知恵はついてました。小学校の頃から家庭内ではもっとヤバイ生活していたので、ヤンキーの相手程度には動じないくらいの性格にはなっていました。

そんなこんなで環境が人をつくるんだなと思いつつ、ガラも悪けりゃ口も悪いしょっさんが生み出されます。とは言え、人に媚びを売ることだけはいっちょ前だったので、外面は今も昔も良いままです。おかげさまで、進学や就職で困ったことはありません。その点だけに関して言えば、挫折なく生き延びてしまいました。そして、口が悪いだけならまだしも。他人に感謝するような心も持ち合わせていないのが最悪な点でした。

前置きが長いとよくたしなめられますが、ホントに前置きが長い。しかも、ここまでが熟成され続けた下書きです。本題に入ります。

わたしが変われたのは、なんとまぁ社会人になってからです。自分の身の丈にあっていないような、一流外資系IT企業へと入社できたことが、自分の自信の裏付けになってしまいました。しかも、入社時の新入社員研修をトップの成績で卒業して現場に配置されたものだから、天狗の鼻も伸び切っています。実際に仕事をしてみれば、ずいぶんと古いIT資産を使う仕事が多く、時代が取り残されているのか、日本が取り残されているのか、それとも会社自体が取り残されているのか。不満の多い新入社員時期を過ごします。

長いことITエンジニアとして暮らしてきた多くの先輩達は、わたしにさまざまな恩恵をもたらすと考えていました。しかし、20世紀末の IT市場は、みなさんの想像以上に進歩のない古いシステムで埋め尽くされていました。

最新でもない技術を学びながら入ってきた私の知識でも、会社の中では最先端技術状態でした。若気の至りでしょうか、何も知らないとは、無知とはかわいいもので。会社のビジネスの行い方や、提案するシステムの内容によく反発したものです。年寄りエンジニアと、日々対決の姿勢で臨み、あーだこーだと議論させていました。今考えると、会社に入ってきたばかりの若いクソガキに、今の私世代やそれ以上の世代のエンジニアの人たちが、よく付き合ってくれたものだと感謝します。が、当時の天狗状態のわたしはそんな事を一切考えていませんでした。

やがて、自分の考えが浅はかで、ビジネスとはかけ離れたものだということを知ります。当時の営業はヤンキーにも勝る勢いで怖い人もいました。居酒屋で怒鳴られたり、深夜に呼び出されたり。今考えると、そんなブラックなことあったな、とかここで書けないようなことを思い返しますが、それでも、若い子を潰さないように気を使ってくれたりはしていたようです。当時は、なんて面倒な人たちだろうと思いましたが、先輩たちも、わたしのことをなんて面倒なやつだろうと思っていたのではないでしょうか。

そうして、わたしは一つの言葉をちょうだいすることになります。「仕事は独りよがりのオタク考えでするものではない、お客様にとって最善のものを提供すること。阿部ちゃんにはそこの視点が抜けている」。当時は、上記の通りエゴな考え方をしているクセがありましたので、それに対しての戒めでした。

このときに、ようやく自分は何も考えていなかったことに気が付きます。会社は「Think」を社是に、「お客様第一」を行動指針に持つ会社です。わたし自身は、自分だけの持っている知識「だけ」をフル動員して、自分「だけ」で考える素晴らしい未来の ITシステムを考えることに心血を注いでいました。しかし、それがお客様にとって最適なシステムであったかどうかを考えたことはありませんでした。自分勝手なエンジニアとして、無駄に君臨していただけです。

ここから急激に人間が変わっていきます。他人を尊重し、周りをよく見る必要があることに気が付きます。お客様の言葉を聞かずに過ごしていた日々から、お客様が本当に困っていることは何か、われわれ(会社)が提供できる、最善の活動・行動・方法は何か。その結果生まれる仕組み・システムは何か。

お客様が考えうる・想像できる内容には上限があります。そこは、さまざまな経験のある会社が、期待値を超えていくことをお客様は期待しています。

とは言え、IT発展途上時代だったので、何かをやろうとすると、事例のないことも多い時代です。社内では喧々諤々に議論を行い、何ができるのかを必死で考え、アイディアを出してお客様とも熱心に話し合いました。まだ若い私でも役に立つことも少なからずありました。エゴで作るシステムではなく、みんなで協力してデザインするシステムを、数多く考え、提供していきました。

成功してお客様に感謝されることもありましたが、失敗も数多く経験しました。謝罪することも多くありました。感謝されたり、謝罪することがほとんどを占め、わたしが他の誰かに感謝することは、この頃はまだありません。みんなが協力して何かを作り上げることは、会社の存在意義としてアタリマエのことだと考えていました。仕事をすることの考え方が変わったとは言え、まだ多くのエゴを残したまま仕事をしていたのです。

謝罪をくりかえしていくにつれ、自分でも障害報告書などを記述するような立場になります。最初は厄介なことをするようになったもんだ、めんどくせぇななんて考えてました。まぁ今でも、障害報告なんてめんどくさくて仕方ないので、障害報告しないロールについたわけですけど。ただここで、一人のマネージャから衝撃的なことを聞くことになります。

障害報告書の冒頭文って「この度は〜によって、ご迷惑をおかけしたことを謝罪申し上げます」的に書くでしょう。大抵そうでしょう。いくつかサンプル見てきましたが、当たり前のようにそう書いてます。わたしも、当たり前のようにそう書いてました。そうしたら、こんな事言われたんです。

「たかし、申し訳ない気持ちはわかるけど、ここはな、お客様に感謝を述べるところだ」

と言われるんです。何いってんだと思うんだけれども、マネージャいわく、次の理由からでした。「システムの障害が発生して、たしかにお客様にご迷惑をおかけした。このことについては詫びを入れるべきだろう。ただ、障害を報告する情報システム部のみなさまには、この障害を対策するために、さまざまなことを行っていただいた。時間を割いて、ログを収集してもらったり、障害の状況をまとめてもらったりしただろう。そこに感謝の気持を述べること。謝罪よりも先に、まず感謝をしろ」ということです。冒頭文は「この度は〜について、ご協力くださいまして感謝申し上げます」となったわけです。

気が付かなかったんです。自分たちだけでがんばって対応していたと思っていたんです。しかし、よく考えると、多くの人たちの協力によって仕事が進んでいたことに、ここでようやく気がついたんです。それは、障害だけではなく、システムの設計をしても、それは自分ひとりではなく、多くの人の協力を得て実現したものです。独りだけでは結局何もうまくいかず、だれもが誰かの協力があって、何かを実現できているということに気が付きます。

その後も「たかし、まずありがとうと言え。まず、感謝するんだ。すいませんじゃない、ありがとうだ」と繰り返し言われ続けます。大抵のことにおいて、まず何かをしていただいているわけです。日本人は、感謝の意を持って「すいません」と言ってしまう傾向にありますが、それでは感謝の言葉が伝わっていないと言われました。外資だからかもしれません。「Thank you」ではじまる文化だったからかもしれません。

でも、ここで気がついたんです。何かをしてもらっていることを当然と考えるのではなく、感謝することで、人は人と一緒に生きていくことができるんだと。嫁に「お前は感謝が足りない、ありがとうくらい言え。挨拶をしろ」と言われてから、10年近く経過して、ようやく気が付きました。気がつくの遅すぎだろ。厨ニ病と生活環境が、ここまでこじらせてしまうんだなとか思い返しています。生活環境の所為にしたくはありませんが、自分の荒んだ生活がここまで心を荒廃させていたんだなと、ちょっと気がついたんです。

それからというもの、感謝を感じるかどうかはおいといて「ありがとう」からはじめるように生き方を変えました。まず感謝を述べることによって、感謝の気持ちを抱くこともあります。そうして、だんだんと人に感謝する気持ちが生まれるようになっていきました。ただ、その言葉をいう事自体は未だに慣れずに「すいません」から始まることあります。それでも、思い出したかのように「すいません、ありがとう」というようにしています。相手が年上だからとか、お客様だからとかは関係なくて、年下でも社員でも身内でも変わりません。同じです。

わたしに、これらの助言をしてくださった先輩方は、もうおらず。当時のマネージャの方の年齢に到達もしました。わたしは、ただ、感謝する文化を継承できるように、これからも「ありがとう」と伝えていくことが大事だと考えて、これからも過ごしていきます。


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