見出し画像

リーダーに必要なこと〜経験に基づく整理〜(全国農業青年クラブ連絡協議会65代会長)

青いTシャツこと、竹本彰吾。石川県でお米つくってる、たけもと農場の代表。若手農家が集まる全国農業青年クラブ連絡協議会4Hクラブの会長をしていた時期は、遠い目をして懐かしむほど昔のことではないんやけど、しみじみと感じる37歳男性。

ボクが会長をして、
副会長には安定のカネコ(再々々任)、そして新人の首藤さん
事務局長は安定のまさやん(再々任)が三役。
残りの執行部のメンバー事務局次長は、黒田くん、宮本龍、前田彩花さん。
理事には、県会長から上がってきた子や、一本釣りで声かけして首を縦に振ってくれた子がいて、うおーっていう布陣。

会長になるにあたり、心がけたことは、すでに軽くホコリっぽくなってるので、ケホケホ言いながら、整理。
背景としては、そのさらに8年前、北陸ブロック理事に就任し、ぜんぜん何も出来なかった悔しさだったり、そんな中でも感じた組織のあり方のこと、その後の社会経験で培った組織づくりとかなんやかんやがあったので、それらを
「か〜め〜」
「は〜め〜」
とためて
「波ーーーーーっ!」と
打ち出したつもり。

その1 失敗でもいいから、させる。

34歳の、社会人としては若手から中堅に脱皮したようなタイミングということもあって、「コレはバッシングされる程度で済む」「派手に怒られるけど、会の存続に関わることじゃない」「ここは大したことじゃないけど、抑えておかなきゃいけない」というのが見えてる。
そんなドッシリした心持ちもあり、任せた仕事については、よりベターな方向への軌道修正というのはなるべくせず、させるようにした。


組織を、「組織ィィィィィっ!」っぽくしようと思うと、
関係各所への連絡と調整と妥協と妥協と妥協を繰り返す必要があったのかもしれないけど、「なんかあったら頭下げよう笑 いこうぜっ!」っていうスタンスで、全協役員をひっぱったつもり。

なので、あとあとよく言われたのは「竹本さんて、上司の手直し的なこと全然しないんで、逆に不安でした笑 大丈夫なのかなぁって笑」

その2 境界線を広げる

これは今日、河合竜太郎と話しててすっかり思い出した!
そういえば、そんなこと考えてたなと笑
若いときは、とくに組織の仕事となると、フォーマットに落とし込みたい衝動にかられる。「はは〜ん、ココにこうハメこめば、よさそうだ」と。
服装も先輩をならい、
行事も前年やその前から一新!と言いつつ大いにインスパイアし、
最悪こんなテイストのことしておけば、バチはあたらんだろうという感覚。

でも、先輩は先輩でも、やはりカッコイイと呼べる先輩たちは
全数じゃなくて、そのカッコイイと呼べる先輩たちは
・思いもよらぬアイデアを出し
・それを実行し
・新たなフォーマットを作る
ってカンジ。

で、ボクもそうなりたいなと思い笑

やったことは、

その2-1 Tシャツ戦略!


行くトコ行くトコでTシャツを着て、目立った。

秋元里奈さんの考えをパクったのではなく、青いTシャツばかり着てたら「食べチョクの あきりな ちゃんみたいだね」と言われて認知したので、それ以来、ライバル視。
ちなみにコレは、「なんで4HのTシャツじゃなくて、たけもと農場なんだ!」という指摘を大いに受けた。その流れで4HのTシャツ作れれば良かったなぁ。(企画は常にあがってる)

その2-2 会長会議をテーブル分け。


会長会議は、円卓方式にしてるけど、議論以前の理解不足なシーンが多かったり、会長同士のコミュニケーション不足が目立っていたので、実施してみた。
大部屋でうまくいかないなら、小分けするってのが、レイアウト術の鉄則(鉄則とか言いながら根拠なし!)なので、小分けは奏功したとみてる。改善の余地はあるけど。


あと何個かやったと思うけど、今思い出せない笑

思い出した!


その2-3 理事会の開催地を変えた


これはボクのときに初めてやった話じゃないので、書くほどのことでもないけど、全国交換大会を控えていた大阪開催を最初考えてたけど、脱会から再入会へのトライをしてる北海道にて、第2回理事会を開いた。
めちゃ良かった。

その2-4 会長会議の開催地を変えた


理事会の候補地だった大阪は、会長会議の開催地にした。
これにも背景があって、東京オリンピックによって東京の会場が抑えられないってなってから慌てるのではなく、今のうちに小トライをしたいという事情をくんで、大阪府の大いなるご理解のもと、そして開催地変更による旅費負担(旅費の費用面が問題だったというより、もっと前もって決定しておかないと、予算工面するの大変なのでその負担感)についての大いなるご理解のもと、なんとか開催することができた。

その2-5 委員会に振り分けた


各道府県会長は、会長会議へ出席して議論に参加・・・というのがこれまで。でも、会長会議は2時間〜と、全国規模の真剣な議論にしてはかなり時間がタイトだった。その議論をギュッと濃密なものにするために、事前協議の委員会を設置した。で、任意参加でなく、強制的に各会長を希望する委員会に所属してもらい、事前協議してもらった。
これは、土台が出来上がってなかったためタイミングとしては失敗に終わった。参加してくれる会長が少なく、議長の負荷が大きくなりすぎ、委員会として機能しきれなかった。(議長と全協役員は関係構築がかなりなされたし、議長のレベルアップはとても有意だったと思うよ)

その2-6 オンライン飲み会


委員会を軌道に乗せるためにも、会長連をレベルアップするためにも、会長連・全協役員それぞれがもっと交流する必要があると思い、オンライン飲み会を企画した。
頻度は月に1回!先に頻度を決めてしまわないと、続かないだろうとふんで始めてみたものの、執行部会、理事会、委員会、その他案件でzoomずくめになり(どれも21時〜24時とかだった)、途中で破綻してしまった。これはもうボクの失態以外の何者でもない。

その2まとめ

失敗も大いにしたが、これら一連の行動は、漫画スラムダンクでいうところの、魚住の終盤のヤツに似てる(と、きづいた)

画像2

(漫画スラムダンクより。画像はネットで拝借)あとファウル1つで退場になる魚住だが、ギリギリをつく。まわりヒヤヒヤ。それには作戦があった。

画像3

審判も人なので、ノンファウルのプレイヤーと4ファウル(あと1つで退場)のプレイヤーのシチュエーションで、フエの加減は変わってしまう。魚住はこのプレイによって、「この程度はファウルとれない状況」をいわば”育んだ”。

(漫画スラムダンクはボクの血肉になってるバイブルなので、みんなホント読んでみて!読んでみると、人生の8割はスラムダンクに集約されてると分かるハズ・・・)

このあたりは、長年の組織あるあるで、やることがマンネリ化する、けど通例どおりやるのがスムーズで波風も立たない、組織が弱る、の悪循環ってのを知ってるので、これは避けるべきと思った。

その3 情報・ガンガン風ふかす

全協役員メンバーといえば、
・距離的にも なかなか会えない
・本業いそがしさMAXの世代なので、わかってますよね・・・?
という要素を皆かかえてて、
「関係構築のために交流の時間はたくさん必要。大きい仕事するし」
「端的に必要最小限の伝達じゃないと、フォローしきれない」
という、いっぱい対話、なるべく少なく対話、が一つ屋根の下、矛盾のシェアハウス状態。テラハね。
全協各県会長についてもほぼ同じで、なおかつ時間を拘束できるのは年3回、数時間というのが通例の条件(のような雰囲気)。

で、やった施策としては、
【対 全協役員ズ】
LINE多投!
これは賛否両論があって、報告程度はまだしも、LINEグループに投げる→議論スタート→盛り上がる、となると、一晩に未読30とか50になることはザラで、「付き合いきれねーよ」っていう表情の役員も少なくなかった。(なのに最後の最後まで付き合ってくれてサンキュな!)
心がけたのは、
・「ここは抑えておいてね」
・「関係ない人も多いけど、ふーんって思う程度に斜め読みしといて」
・「これは覚えておく必要ないけど言っとく」
の文言を頭につけて、メリハリを超超超意識した。

【対 会長連ズ】
WEBサイトをブログ扱いっぽくする、FBページにも投稿
通常、報告ウンヌンは、正式なものは紙ベースで事務局to事務局でやり取りする、会長会議という、漫画ワンピースのレヴェリーみたいな場で口頭で報告するようにしてたけど、ボクはブログよく書くマンだったし、写真とかないと文よめないマンだったので、サイトやフェイスブックページへの投稿をいくつかした。

画像1

↑漫画ワンピースの世界会議レヴェリーね。

(読み返したら、ボクより圧倒的に前田彩花ちゃん書き込んでくれてた🥺✨)
すべての会長がこれを読んでくれることを強いることはなかったけど、知りたい人が知れるようにするのは、役職者としての務めかなと思い、複数の問い合わせあって同じ回答するのもアレだしなーというくらいのテンションで始めた投稿やったけど、後々までなにかしら響いたら光栄やね。

まだ何かあったら、追記しますね。
ちなみに、今はオンライン理事会のあとのオンライン飲み会が終わり、脳みそオンファイヤー状態で書きました。

あっ、ポッドキャスト(インターネットラジオっぽいもの)も始めたので、作業のおともに、聴いてもらえれば幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?