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vol.3:中東戦争 ~Vodka's input journal~
イギリスの三枚舌外交(1915-1917)
第一次世界大戦時、イギリスはオスマン帝国からの独立を画策するアラブ人に、パレスチナの統治権と引き換えに戦争協力を依頼(フサイン・マクマホン協定)
※第一次世界大戦は、イギリス・フランス・ロシアなどの連合国VSドイツ・オーストリア・オスマン帝国(現在の中東全域を支配)の同盟国との争い
しかし、フランス・ロシアに対してもパレスチナと引き換えに協力を要請(サイクス・ピコ協定)
さらに、ユダヤ人(ロスチャイルド家)に対してもパレスチナ(元々はユダヤ人の祖国)と引き換えに協力を要請(バルフォア宣言)。ただし「非ユダヤ人のコミュニティの権利を害さない場合に限定」されており、フサイン・マクマホン協定とは矛盾していないとの考え方がある)
結果、イギリスは大戦に勝利し、パレスチナはイギリスの領土となった。これ以降ユダヤ人が世界中からパレスチナに入ってくるようになり、アラブ人とギクシャクし始める
ヒトラーによるホロコースト(1942-1945)
ヒトラーによるユダヤ人迫害運動により、ドイツにいた多くのユダヤ人がパレスチナへ亡命し、アラブ人との関係がさらに険悪に
ユダヤ人が世界の同情を集め、イスラエル建国へつながっていく
第一次中東戦争(1948-1949)
第二次世界対戦後、国際連合によってパレスチナがユダヤ人とアラブ人で分けられることになり、1947年11月29日にユダヤ人国家であるイスラエルが建国された
しかし、想定よりもアラブ人の領土が小さかったこともあり、翌日には戦闘が開始した。これが第一次中東戦争。イスラエル対周辺国を含むアラブ諸国の戦いとなったが、イスラエルが勝利してパレスチナの55%を占領
第二次中東戦争(1956-1957)
スエズ運河を巡るエジプトとイスラエルの戦争で、別名スエズ戦争。イギリスとフランスがイスラエル側に介入にエジプトは苦戦するも、国際連合の停戦勧告により終了し、スエズ運河はエジプトが国有化することになった。これによって大統領のナセルは英雄となった
第三次中東戦争(1967)
ロシアがシリアとエジプトに対してユダヤ人勢力が攻めてくるというデマを流し、それを察したイスラエル側が先制攻撃としてエジプトの空軍基地を爆撃したことから開始。6日間でイスラエルが勝利。別名六日間戦争。
第四次中東戦争(1973)
別名ヨム・キプール戦争。エジプトのサダト政権が「最後の戦争」としてシリアとともにイスラエルを攻撃。開戦日はユダヤ教徒の祭日であるヨム・キプール(贖罪の日)だった。アメリカとロシアの代理戦争の形にも
この戦争でアラブ側がユダヤ人勢力およびその友好国への石油輸出を禁止したことからオイルショックが起きた。最終的にはユダヤ人優勢の状態で停戦(キャンプ・デービッド合意)。エジプトのサダトとイスラエルのベギンはノーベル平和賞を受賞したが、サダトはイスラム原理主義者の側近に暗殺された
イラン・イラク戦争(1980-1988)
シーア派ホメイニ政権のイランに、スンナ派フセイン政権のイラクが侵攻
当時はアメリカはイラク側だったが、イラクのクウェート侵攻を機に一変してイラクを攻撃し、湾岸戦争に発展。アメリカに踊らされたとしてイラクでは反米感情が高まり、9.11をはじめとするテロ行為に繋がっていく
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