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繰り返すこともたまにある

3連休。飛行機に乗ってどこか遠くにだって飛んで行ってしまえるし、キャンプだって出来るし、買って放置していた本の消化だって出来る。先週にはポケモンのDLCが発売されたっけなあ。3連休という言葉は無限の可能性を秘めている。
そして僕は初日の朝から、皮膚科の開院待ち行列に並んでいた。

何年も見て見ぬふりをしていた湿疹がいよいよ大変なことになり、嫌々皮膚科を初診で訪れたのが2週間前。家から自転車で25分、ザ・郊外型ショッピングモールの隅っこにある小さなクリニック。とんでもなく評判の良い先生だそうで、電話予約が出来ないことも相まって開院15分前から30人くらいの長蛇の列。たしかに良い先生だった。診断も的確で納得感があり、薬も効いた。いつもは3日くらいでうやむやになる飲み薬も塗り薬も2週間でちゃんと空っぽになった。

それで2週間後の3連休初日に、僕は忠実に再訪していた。どうせ予定もないし、良い先生だし。
今日は開院30分前に着いた。列は15人くらい。同じ時間に開くショッピングモールの方もなぜかファミリーが長蛇の列。すでに50mはあった。じっとして居られない子どもが列からはみ出てふらふらと噴水方面に歩き出していたり、その行軍を食い止めんと片方の親が追いかけて同じく列からはみ出していたりしたので、実際はもっと長いだろう。

10時。クリニックのドアが開いた。後ろを振り返ると、整然と一直線に並んでいる行列の最後尾が最早全く見えない。こっちもこっちで、行列に並ぶのが苦手という感じのダンナが何人か右に左にはみ出ていた。
この人数を院長1人で診ているらしく、受入人数を極大化するためか受付のオペレーションは選挙の投票所並みに型化されていた。ものの1-2分で前方15人の受付処理が終わり、僕の番に。診察券を渡して、くら寿司みたいに機械から吐き出された番号札を受け取る。17番。下の方にQRコードが載せてあって、読み込むと「現在 1 番」と表示される。自分の番号の2つ前までに受付へ戻ればOK。これなら待合室が小さくても何とかなる。よく出来たシステム。

前回実績から推測すると、17番まではだいたい1時間くらい。
番号札を受け取った人は当然みんなショッピングモールに吸い込まれていく。よく出来たシステム。
僕もショッピングモールで時間を潰すしかない。3連休初日に、独りで開店とほぼ同時に入場。1階の好立地に居を構えるXEBIOやGUやSeriaでは、店頭にスタッフが立って深々とお辞儀をしている。前を通り過ぎて小走りにどこかへ急ぐファミリー。ベビーカーがうまく畳めなくてまごつくお父さん。既に疲れてグズり始める子ども。
僕は目的なき暇つぶしの民なので、気合入れてお辞儀をしている店には入りづらい。冷やかしと思われるほど、客として辛いことはない。門番がいる陣地を避けているうちに、反対側の立体駐車場に出る。引き返してぐるっと1階を巡って、またXEBIO前に戻る。お辞儀はもうやめてただ仁王立ちしている門番。QRコードを読み込むと「現在 5 番」。引き返して意味もなくエスカレーターを登ってぐるっと周って、要らないリュックを物色し、知らない最新秋冬コーデをチェックし、降りて、気がついたらまたXEBIO。「現在 12 番」。門番はもういないが、観念して皮膚科に戻る。

ちょうど1時間で皮膚科終了。やはり良い先生。
モールの隅っこには、皮膚科以外にもいくつかクリニックがある。その中にある薬局で処方せんを渡す。40-50分かかるらしい。これも前回経験済みなのでいちいち驚かない。QRコード付きのくら寿司を受け取って、XEBIO脇の自動ドアに入り、エスカレーターを登ってぐるっと周って、食べないフードコートを散策し、買わないCDを試聴し、降りて、薬を受け取って駐輪場に戻ったのが12時。

このまま家に帰ったら、パスタ茹でて、薬飲んで、YouTubeを観て、雑魚寝して、夕方起きて、薬飲んで、多分それでおしまい。つまり僕の3連休初日は、ショッピングモールを無為に2周してYouTubeを観ただけということになる。昼寝もYouTubeも基本的に終わった後に残る気持ちは無為なので、無為がパンパンに充填された1日。無為パンの夜は「なんて勿体ない1日だったんだ」という気持ちに追い込まれるのでより一層無為。せめて何か1つでも無為っぽくない行動をしておいて、夜の自分に言い訳を与えたい。

ふと、近くに喫茶店があったことを思い出す。半年以上前、引越したばかりの時に一度だけ行ったことがある、タバコの吸える喫茶店。家からは遠いが、タバコとコーヒーを同時に楽しめる場所が絶滅しつつある中では貴重なきらめきということで、自転車を漕いで行った。1階が理容室になっている、2階建てビルの2階がそのお店。ただでさえ細いのに一段おきに小さな鉢植えが置かれていることでさらに細くなっている急階段を上った先で、女将さん一人でやってる小さなお店。年季の入った各種設備、白熱電球のオレンジ色、ドアのカランコロン、ステレオから流れてくる音楽、テーブルに貼ってある傷防止の透明マット。すべての特徴がタバコの吸える喫茶店そのもの。とても良い場所なんだけど、自転車を20-30分漕ぐ億劫さがギリギリ上回り続けて、どうにも足が伸びず今日に至る。

半年ぶり2回目の来店。店内は奥に細く伸びていて、道路に面した左の窓側に4人掛けテーブルが3つ、右側にカウンター4-5席と向かい合う厨房。一番手前のテーブルに男性客が一人、イヤホンをしてスマホで動画を観ている。女将さんは厨房の奥に座って、おそらく僕とそんなに歳が変わらないであろう気合の入ったSANYOの電子レンジを背に、新聞を読みながら加熱式タバコを吸っている。

僕は一番奥のテーブルに座った。灰皿は席に常備されておらず、カウンターの端に積んであることを思い出す。腰を上げて灰皿に手を伸ばしながら、女将さんに向かって「すみません、ホットケーキを」と言う。新聞をめくる女将。彼女の耳が遠いことも思い出す。中腰で灰皿を掴んだままもう一回。聞こえてない。仕方ないのでボリュームを上げる。
「すみません、ホットケーキください!」「はい!あ、灰皿?どうぞそちら使っておくんなまし」
おくんなまし。とりあえず灰皿を持ってテーブル席に座り直す。一拍置いて、女将さんが「ご注文いかがなさいます?」という顔でこっちを振り返る。音量を通常モードに戻して「ホットケーキください」、やっと思いが届いた。

タバコに火をつける。灰皿には挽いたコーヒーと思われる粉が敷き詰められ、銅で出来た六角柱型の火消しが1つ入れてある。吸いきったタバコを火消しの真ん中に空いた穴に押し付ける動作がたまらなくクセになる。
氷水の入ったグラスを僕のテーブルに置く女将さん。喉がカラカラなことを思い出す。一気に飲み干して、水のおかわりをお願いした。存在が認識されたからなのか、もう大声じゃなくてもちゃんと届く。
「水ね、美味しいでしょ。わざわざ取り寄せてるんですよ」と、菊正宗みたいな色合いの大きな紙パックを見せてくれた。「でも皆さん口をつけずに残しちゃうから、あの子たちに全部あげてるんです」と窓を指さす。3つある窓には1つずつ、小さな鉢植えに収まったサボテンみたいな植物が元気に並んでいた。

厨房でホットケーキを作っている音がする。小声で「あっ、しまった」と言っている声がする。そうこうしているうちに完成品がやってきた。
「いつもは焦がしちゃうんですが、今日は美味しそうに作れました」
2枚重なったきつね色のパンケーキの上にバター。小さいカップに入ったシロップ。超オーソドックス。500円。美味しい。何がしまっただったのかはわからなかった。

アイスココアも頼んだ。「氷、無しでも宜しいですか?」こういう店でこういう問いかけに理由を聞くのは野暮だと思うタイプなので、はいと返す。「牛乳なので」と付け加えられた。氷で牛乳が薄まるから、だろうか。わかる気がするが、若干わからない気もする絶妙なヒント。まあ何でも良いや。メニューにある「アイスミルク」はどんないでたちで出てくるんだろう。

僕がパンケーキを平らげたのと同時に、「ああ、遅かった!」と言いながらバタバタと小走りでサラダが出てきた。メニューに元から付いているのか、それとも粋なサービスなのかわからないので、ちょっとだけハッキリめに御礼を言ってから食べる。美味しい。遅かった、はパンケーキと一緒に食べてほしいからだろうか。まあ何でも良いや。

僕がサラダを平らげたのと同時に、「よかったらこれどうぞ。辛いの大丈夫ですか?」と言いながらなすの煮びたしが出てきた。これはさすがに『粋』のほうだろうから、しっかり御礼を言ってから食べる。美味しい。もちろん、アイスココアとなすの煮びたしは合わないので、氷無きアイスココアはしばらく扨置く。

あともう忘れたがサラダの後に何か乾きものもいただいた。次から次へとすごい。

おじいさんが1人入店してきた。脚が悪いようで、ゆっくり時間をかけて入口からカウンターの手前端に辿り着き、一旦カウンターのへりに掴まり、レジ横の除菌ジェルをワンプッシュし、手をもみながらもう一回歩き出し、カウンター中央下の棚にある新聞をかがんで掴みながら真ん中のテーブルに腰掛け、アイスコーヒーを注文した。一連の動作は極めてスローだが一切の無駄がない。達人の間合い。一目で『常連』とお見受けする。

これでテーブル3つが埋まった。一番手前のテーブルに座るイヤホンの人が、それを外して「お冷やください」と厨房に呼びかけ、3回目でようやく届いた。女将さんは菊正宗の紙パックを再度引っ張り出しながら、窓際のサボテンをもう一度紹介していた。

接骨院の予約時間が近づいてきたので、お会計をすることにした。
レジには、定休日は毎週〇曜日だけだったが第一・第三〇曜日も追加するという趣旨の張り紙があったが、その内容よりも文末の『宜敷くお願い申し上げます』に目を奪われた。よろしくって、そうやって書くんだ。有難う以来の衝撃。
なぜかすがすがしい気持ちで店を出て、信号を1つ越えたあたりでサングラスを忘れたことに気づき、急いで引き返す。カランコロンを鳴らしながらもう一度店に入ると、カウンターにサングラスが置いてあった。「あぁ、良かったお気づきになって!」と女将さん。テーブルの達人から無言の拍手を贈られた。


翌日。僕はまたあの喫茶店に向かっていた。
具体的に何が良かったのか自分でもよくわからないが、3連休の2日目をここにベットすることにした。

13時。自転車を漕いで汗だくになりながら階段のふもとまで辿り着くと、昨日はなかった「18日(月)は所用のためお休みします」という張り紙。なんと。ツイてない。引き返し、信号を2つほど越えたあたりで今日が17日(日)であることに気づく。女将さんが日付を間違えたか、あるいはそもそも今日が定休日なら、やはり今日はやってないだろう。だが、丁寧に翌日の臨時休業を早めにアナウンスしてくれているだけなら、今日はやってる。どっちもあり得る。レジの張り紙を思い出そうとするが、『宜敷く』が邪魔して肝心の曜日がボヤけている。仕方ないので引き返して2階の窓を見上げると、オレンジ色に光る白熱電球が見えた。たぶん、やってる。階段の鉢植えを跨ぎながらお店に入ると、他にお客さんはいなかったが、やってた。

お昼ご飯は我慢できずにギトギトのラーメンを食べてしまったのでお腹はいっぱい。今度は一番手前のテーブルに座り、アイスコーヒーを頼む。普通に氷の入ったコーヒーが出てきた。

タバコが残り4本しかないことに気づく。まあ、お昼も食べたしそんなに長居しないだろう。コーヒー1杯飲んだら帰って、家でポケモンのDLCでもやろうかな。
とりあえず1本目に火をつけ、スパスパ吸った後に六角形の穴に押し付けて遊んでいると、『おへんべい、よかったら召ひ上がりまふか』と、そのおせんべいを自分も1枚くわえながら、お皿に乗った3枚のごませんべいを出してきた。

お客さんが1人やってきて、家で穫れたというゴーヤを女将さんにおすそ分けしていた。「ゴーヤって私やったことなくて、どうやって料理するんですか」と訊く女将さん。世間話の類かと思ったら、やたら具体的に訊きながら同時に手も動かしている。何かを炒めている音がする。
僕は既に4本目のタバコを吸い終わっていたが、女将さんがそういう具合に何やらテキパキしているので、お会計を頼むタイミングを見失っていた。すると、あのゴーヤが炒め物になってそのお客さんのテーブルに置かれた。そして僕のテーブルにも置かれた。しっかり御礼を言ってから食べる。味は濃いめだが美味しい。ゴーヤも苦すぎない。白米が欲しい。おすそ分けの更におこぼれ頂戴という身分でありながらおかわりまで頂く。

ここまでの料金、コーヒー1杯でしめて400円。さすがにこれで帰るのはと思い、ゴーヤのお客さんに菊正宗について語る女将さんの一段落を見届けて、まずアイスコーヒーを頼んだ。
さて、アイスコーヒーが出るまでの間にタバコを買いに行こう。Googleマップで検索すると、隣がタバコ屋さんだった。『営業中』という表示にはなっているが、なけなしの野生の勘を働かせて一応女将さんに訊くと、もう16時だから帰ってる頃だろうと。よくわからないがとにかく店は開いているようなので、じゃあタバコ買いに行ってきますと伝えると、「あら本当ですか、悪いですね」と言われた。お店でタバコ売ってなくてすみません、という意味かと思い、「いえいえ全然」と返すと、レジを開けて現金1060円を僕に渡した。ぴったし、女将さんが吸ってるセンティア2箱分の値段。

センティア2箱くださいと伝えると、訳知りのタバコ屋さんは「あらあらどうもごめんなさいね」と申し訳なさそうに笑った。センティアを持って店を出て、自分のタバコを買うどころか財布すら忘れていたことに気づく。ただ1060円を握りしめてお使いに来ただけの子になっていた。2往復し、再び席に戻る。ほどなくしてゴーヤのお客さんは帰り、またお客は僕だけになった。「いつもはもっと忙しいんですけどね」と、何も聞いてないのに女将さん。
なんとなくスマホをいじる気分にはならず、昨日達人が手を伸ばしていた新聞を端から端まで読んだあと、トイレ前の本棚を物色した。浅田次郎となぜか様々な種類の漢和辞典が主なラインナップだったが、一番端にシェイクスピア『お気に召すまま』を見つけ、手に取った。劇の読み方は正直全然わからないし、特にシェイクスピアなんて古代ギリシアで誰々が、とか、マタイ福音書で何々が、とか、古英語では〇〇にはこんな意味もあって、みたいな読む気を失う門前払いが尋常じゃないという印象だったが、浅田次郎よりは今の気分に合いそうなので、どうせすぐ飽きるだろうと舐めてかかりながら読み始めた。どっぷり漬かった。面白すぎている。
第2幕を読んでいる時に、カランコロンが鳴り、誰かが入ってきた。お客さんだろう。『お気に召すまま』に熱中していたのでその人の顔は見てないが、彼は僕の視界の隅っこでゆっくり時間をかけてカウンターの手前端に辿り着き、一旦カウンターのへりに掴まり、レジ横の除菌ジェルをワンプッシュし、手をもみながらもう一回歩き出し、カウンター中央下の棚にある新聞をかがんで掴みながら真ん中のテーブルに腰掛け、アイスコーヒーを注文していた。僕が第3幕を読み終わるころには、そのお客さんはいなくなっていた。

空は段々暗くなり始めていた。『お気に召すまま』はまだ半分くらい残っているが、接骨院の予約時間が近づいてきたので、お会計をすることにした。
レジ横の張り紙をきちんと読んで定休日を覚えた。明日は本当に臨時休業だそう。
帰り際、女将さんから「今度は忘れ物ございませんね」と言われた。
こうして僕の3連休の2つが終わっていった。

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