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2022/03/06「この味で正解ですか?」

 たま〜に、Youtubeで見たレシピで料理を作る。昨日もトマトソースのパスタを作った。それなりに美味しく作れた気がするのだけれども、本当にこれがあの動画のパスタとして正解なのかと考えると自信はない。その結果、小首を傾げながら食べることになった。多分、不正解ではないだろう。もし、動画のシェフが僕にこれを作ってきたら、これが正解の味かと素直に受け入れられたと思う。けれども、自分の作ったものに疑念を持ってしまった今、シェフが僕のパスタを食べて、これが正解の味ですよ、と言ったとしてもそれを素直に受け入れることはできない。本当にこれが正解なんですか?といまいち手応えがない状態で2日は過ごすことになる。
 そうなると、僕は料理の味を味わっているのではなくて、シェフが作ったという情報を食べているだけなのではとも思える。確かに、ミシュラン3つ星の人が普通に卵かけご飯を作っても僕のよりうまそうだ。
 でも本当にそれだけなのだろうか、卵かけご飯に関して言えば、これが正解の味ですか?なんて疑問を持たず、これが正解の味だよねと納得しながら食べられる気がする。この違いはなんだろう?材料の多さの違いか、それとも工程数の違いか、親しみの違いか。
 作ったパスタも簡単なトマトソースのパスタだったので、材料がすごく多いわけではない。工程数も然りである。だとすれば親しみやすさか。確かに僕は卵かけご飯のことをよく知っている。幼稚園に入る前ぐらいから今まで、ずっと仲良くしてきた。卵かけご飯だって、僕のことを4親等よりは詳しく知っているに違いない。
 それに引き換え動画に出てきたトマトパスタはネットで僕が勝手に見かけただけだ。僕はそのトマトパスタのことをほとんど知らない。動画でシェフがそのトマトパスタをよく言っていたから、はちゃめちゃすごいのかと僕は過剰に期待をしていただけなのかもしれない。動画を通さずに、そのトマトパスタに食べていたら、まぁ正解ってこれぐらいの味だよねって普通に納得していたと思う。
 未知のものを、良くも悪くも過剰に評価してるのかもしれない。きっとテレビの罰ゲームでよく出てくるシュールストレミング(世界一臭い缶詰)を開封しても、これが正解の臭さなのかなと僕は小首を傾げるだろう。

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