見出し画像

019.わらしべ長者のヒミツ

2020年はまったく不思議な年である。

すべてのひとびとに、平等に変化がもたらされた不思議な年である。

これまで「やろうやろう」と思っていたことをなぜか突然はじめたり、去年まで親しくしていた人との疎遠になったり、古い友人との再会、新しい人との出会いがあったり。ひとそれぞれに、1人残らず「大きな変化」があったであろうと想像できる。

前にも書いたけれど、「世界線」がずれてしまったとしか思えない。

私個人の変化としては、焦燥感に駆られてやってきたことの全てを放り投げることにした。人生というのはなるようにしかならない、と。

私はこれまで建築家の端くれとして生きてきた。ほんの少しだけ世の中で認めてもらえた仕事もある。今年最大の奇跡は新建築に夫婦揃って掲載されたことだ。

チームワークがなによりも好きだったし、サラリーマン建築家もとても居心地がよかった。けれども私はことしのはじめに、突然の啓示があって「すべてなすがまま、求められるように、柳のように生きよう」と決めた。従って、自分の意志と計画で自分の人生を決めてきたやり方を放棄することを「決めた」。

「計画」ではなく「本能的に」、やりたくて仕方ない事だけをやり、「どうしても」と頼まれたことだけをやり、やらざるを得なくなったことだけをやるのだ。

そう決めてから不思議なことが起こり続けている。「自分が想像もしていなかったこと」を頼まれるようになった。意外に思われるかもしれないが、これまでの私は未来を想定して逆算して考え、物事に取り組む時に戦略を立てる、ビジネスモデル大好き人間だった。

一方で「現代のわらしべ長者研究」をしてきたのに、その秘訣が謎のままだった。

しかし、今年ようやくその秘密がわかった。わらしべ長者の秘密はただひとつ。「受け身である」ということなのだ。

今年起こっている、こんなに面白い現象はいまだかつて体験したことがない。「なんだ、受け身ってこんなに面白いのか」そう思った。

考えてみたら、今までにだって随分といろいろ頼まれて来た。けれどもそれを「自分の好みじゃない」とか「自分のスタイルじゃない」とか言って断ってきたんだ。

一方で、「うまくいったこと」の殆どが人から頼まれてやったことや、成り行きでやった、どちらかといえば「仕方なく」やったことである。

だれも見向きもしない捨て仕事がうまくいったり、だれもやりたがらないコンペで勝ったり。滑り止めで行った大学が卒業してからめちゃ使えることがわかったり、そこしか行くところがなくて行った会社が長続きして、人伝てにひょっこり渡りに船で別な会社へ行き、最初にやったコンペで勝ったのが、件の夫婦で同時に新建築に載った仕事である。

そしてもうひとつ気づいた事がある。夢を叶えるコツがあるとすれば、「ノリ」と「勢い」だけでやり切ってしまうことだけだ。いちど決めたらあとは何も考えない、オルタナティブな選択肢のことを一切忘れるのだ。

年寄りたちはおそらく、このことを知っているのだ。「結婚は勢いでしろ」というのはそういう意味だ。人生なんてそうたいしたことないし、大差ない。似たり寄ったりなのだ。それをあいつが勝ったの負けただの言ってるだけだ。

どうせ人生に大差がないのなら、柳のように目の前に来たことにひょいと乗っかりさえすればいい。他人からどう思われるかなんて、本当にどうでもいいことだ。君のことをいいとか悪いとか言うやつで、君を本当に助けてくれた人が何人いただろう?「君のことを助けてくれない人の意見」を聞かなければならない理由はどこにあるだろう?

君に何かを頼んできたのは、君のことを信頼しているからに他ならない。であれば、その信頼に乗っかって頼みを聞いてやろうじゃないの。

それが受け身の力だ。それだけを武器に生きる。

それが、世界線が変わった世界での新しい生き方なんじゃないかと私は思うんだ。

来年の今頃は私はどこで何をしているのだろう。まったく想像のできない未来ほどワクワクすることはないよね。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?