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視聴覚室

 昔から、窓の外を眺めるのがすきだった。
ただ眺めるのではなく、窓から、というのがよかった。

 そこに一枚のガラスがあるだけで、ありふれた風景が、切り抜かれた一つの絵になる。それも、動く絵。どんなに迫力のある、荒海をゆく帆船を描いた絵画でも、動きはしない。

 今日も休み時間に、校庭で遊ぶ子たちを窓越しに眺めていたら、あなたも外に出て遊びなさいと先生に言われた。外の世界。それは、絵で見るのとはまったく別物だ。私は、ただ上から眺めていたいだけだった。けれども、「すきなことをして休むのが、休み時間なのではないですか」とは、言えるわけもない。嫌いでもない先生と口論するのも、気が進まなかった。それに先生は、先生としてふさわしいとされる行動をとっただけだ。悪気があるわけじゃない。私は目を伏せたまま曖昧にうなずき、静かに立ち上がると教室を出た。そして、廊下をずっと進んだ先の、お気にいりの場所に向かった。


 「黒いカーテンの部屋」。私は、視聴覚室のことをそう呼んでいる。黒いカーテンがひかれているのは、学校中でここだけだから。ほかの教室のカーテンは、日に焼けて色褪せ、くたびれたブルーかグリーンで、ひいたところで日差しはあまり遮られない。でも黒いカーテンは、完璧に光を遮断する。といっても、ほんのりと生地の隙間からもれる光のおかげで、真っ暗というわけではなかったが、昼間であっても視聴覚室はいつもほの暗く、人気がなくて、どことなく秘密を隠しているような雰囲気があった。「視聴覚室」などという堅苦しい、収容所めいた名前も、特殊な趣があってよかった。授業でここへ来るときは、実験動物にでもなったような、なんとも言えない気持ちにさせられる。視力を使い、聴力を使う、そのために存在している教室。でも、人のいないときには、どこよりも特別な空間に変わった。黒いカーテンの部屋は、私のシェルターなのだ。

 先ほど先生に言われたように、「"あなたも" 〇〇しなさい」という言葉は、これまでの人生で何度となく、私に向かって投げかけられた。だれもかれも、私がしたいことなどお構いなしに、みんながしていることを同じようにするべきだと思い込んでいる。私がひとりで過ごしているのも、自分の意思でそうしているとはつゆ知らず、周囲になじめない、かわいそうな子どもなのだと信じて疑わない。実際のところ私は、強がりでもなんでもなく、みんなを軽蔑しているわけでもなくて、ひとりで考え事をしたり、空を眺めたりするのが自分にとって一番楽しいことだから、そうしているのだ。もしかしたら私は、ちょっと変わった子どもなのかもしれない。周りの人に理解してもらえないのは悲しいけれど、変なら変で、私はいっこう構わない。自分のしたいことができさえすれば。でも、それをはばむものが現れたなら、逃げるしかない。たたかいも抗いもせず、とにかく、逃げる。

 今日もそうして、シェルターに身を隠した私は、窓際の棚に腰かけ、黒いカーテンをそっとひいた。ごくごくうすく差した光の境界線から、運動場の様子をうかがう。振り返ると、視聴覚室の赤茶色の床に、細い光の筋ができて、窓際に座るひとりの子どもの影が落ちている。もう一度、動く絵の鑑賞のつづきをするのだ。ちいさな人間が、ところどころ固まって散らばり、思い思いの遊びを楽しんでいる。窓ごしの絵からは、彼らのなかでどんな会話がかわされ、どんな取り決めやルールがなされているかまで知ることはできない。たがいに喜びを分かちあい、友情を深めあっているのか、それとも、傷つき憎みあっているのか。表情の見えない子どもたちが、走り回り、鉄棒につかまり、ボールを投げる。そうかといえば、隅のほうで泥だんごのような塊をせっせと作っている。数人が欅の根元に集まって、誰かがくるのを待っているようだ。こおりおにかしら。それとも、ゾンビおに? 私はそれぞれに、とっておきの名前をつけ、彼らのかわすやりとりを想像しては、台詞を考えるのに夢中になった。一輪車に乗るおさげのネリー。ボールを蹴っているのは、レオンハルト。桜の樹の下で、こそこそ話をしている桜子さんと青葉さん。追いかけっこのふたりは、背の高いトートレンと、くるくる巻き毛のコーネリアス。私は黒いカーテン幕の裏で、このちいさな運動場に広がる世界を操る、人形使いなのだ。そう思ったら、楽しくてうれしくて、くすぐったいような喜びでいっぱいになった。


 黒いカーテンの影に隠れた私は、もう、誰にも見つけられない。こんなうす暗くて陰気な場所に、晴れた日の昼間にわざわざ足を運ぶ人などいないのだから。雨の日やくもりの日だったら、なおのこと。その、「たったひとりきり」という安心感、秘密の匂い。それでいて、なんだかやっぱり寂しいような、世界から忘れ去られてしまったような、そんな心許なさを感じて、ほんの少しだけ怖くなる。その感覚がすきだった。

 私はやっぱり、ちょっと変わった子どもなのかもしれない。変なら変で、私はいっこう構わないのだ。そう、いっこうに・・・・


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