エフェクチュエーション往復書簡 しづのからヤンさんへ②~無責任も乙なもの~
前回からの続き
ヤンさん
こんにちは。例年だと、お盆の大文字が終わると暑さも一段落する京都ですが、今年は9月に入っても気温35度を超える暑い日が続いています。
先日は中秋の名月でした。例年通り冴え冴えと輝く月を見て、気温は関係ないのだなあ、と、例年にない感想を持ちました。そして、ただただ暑さをやり過ごすのが精一杯の私に、「今夜はお月見ですね」の一言を朝の挨拶に添える、京都の人の豊かさにも感動しました。 暑いとはいえ、さすがに蝉の声はしなくなったし、夜には虫の声がどこからか聞こえてきます。小さく小さく、秋が来ています。
さて。
ヤンさんがタニモク隊長になった経緯を読んで、驚きました。どうも、私はそれを見ていた気がするのです。zoomで集まっていたのだと思うのですが、それが何の集まりだったか思い出せません。でも、たにせんさんが「ヤンさんやってください」と言ったのに、ヤンさんは淡々と「はい、分かりました。やります」と言っていたと思います。そしてその時、タニモクのことを初めて聞いた、みたいなことも仰っていたので、私は「すごいな!」と思ったのを覚えているのです。
私がタニモクという言葉を初めて聞いたのもまた、この時だったと思うのですが、私は、説明を聞くまでタニモクというのは「たにせんさんともくもく会」、つまりたにせんさんとzoomで繋いで、それぞれやるべきことを黙々とやる会、のことかと思っていました。それを思うとヤンさんはいきなり隊長ですからね。本当にすごいです。
ともあれその後、ヤンさんは一年間、タニモク隊長の役目を立派に果たされました。日程調整から当日のファシリまで、大変だったと思います。でも、完璧でした。だから今、改めてヤンさんが、タニモクを知らないままに隊長になったことに驚いてしまうのです。
私が初めてたにせんさんと会った日、私は元CAの麗しい講師のセミナーを受けていた、ということは先述の通りです。そしてそのセミナーで、私は
「文章の依頼をいただくことがあるのですが、自分にできる自信がないものもあります。そういう話でもお受けした方がいいですか」
と質問しました。答えは
「相手はあなたがやれると思っているから依頼しているんです。もし失敗しても、その結果はあなたの責任ではない。あなたに依頼した人が、判断を間違えたというだけのこと。だから結果のことは考えずに、やりたいと思えば引き受けて、全力でやればいいのです」
というものでした。以来、私はなにかの依頼をいただく度にこの言葉を思い出しています。 そしてこのことから思うに、たにせんさんはヤンさんがタニモク隊長をやれる、と思ったから「やって」と言ったのです。私には間違っても言わない。
それに対してヤンさんはNTP、つまりノー・タイム・ポチ、一瞬で考えて決断して引き受けたんですよね(注1)。たにせんさんはヤンさんはやれると思ったし、ヤンさんはタニモクがよく分からなくても、たにせんさんに聞けばいいって思った。このことからは二人の信頼関係が見え隠れして、今更ながら、あれは良いものを見せてもらったなという気がしています。
ところでヤンさんは、タニモク隊長になることをNTPで引き受けました。私も猫のエッセイを書くことをNTPで引き受けました。しかし、この二つのNTPの質は、ちょっと違うなと思っています。
ヤンさんは未知のことに対して、エフェ的にNTPしたのですよね。でも私のこれは、コーゼーション(注2)的だったと思うのです。
文章は書いたことがあります。テーマが猫なら、昔飼っていた猫のことが書ける。文字数も締め切りまでの日数も、まあ大丈夫だろう。
私はこれらのことを考えてNTPしました。もう少し分析すると、テーマである猫のことは「手中の鳥」だし、書くという手間、締め切りまでの日数といったものは「許容可能な範囲の損失」だったかもしれません。でも、不確実なことは何もなかったのです。ああ、あるとすれば、書いたものがどこにどんな風に使われるのかが分からない、ということでしたけど、少なくとも猫エッセイを「書く」ということについては、コーゼーションで動いたなと思うのです。
ゴールが見えているときはコーゼーションの方がいい、と言われますが、この時のことを思い出すと本当にそうだと思います。私の足元からエッセイを書き終わるゴールまでレールが敷かれていて、あとはそこを走っていけばいいだけ、という感覚です。不確実な状況の中、「飛行機のパイロットの原則」を使って物事をコントロールしていくエフェを思うと、これはとても楽です。前者を自動運転の電車だとすると、後者は乱気流の中を飛ぶ飛行機、というのが私のイメージです。
エフェとコーゼ―ションはよく比較されるし、対立する概念のように言われますが、どちらもそれぞれに良さがあり、場面に併せて組み合わせて使うものだと教わりました。この時のことを思い返すと、まさにそうだなと思うのです。エフェとコーゼーションが入り乱れている感覚があります。
エフェ初心者の私は、エフェ的にNTPするのは勇気がいりますが、コーゼーション的にするのは簡単です。不確実さがないからです。でも、不確実さが全くないようなことは滅多にありません。どれくらいの不確実さだったらNTPできるのか。今はそれが気になっています。不確実性はリスクとも言えます。たにせんさんはエフェを練習すれば、取れるリスクも段々大きくなる、と言いました。不確実なことがあっても小さなものだったら、なるべくNTPで動いてみる、といった練習の積み重ねが、いつかエフェもコーゼーションも関係なく決断ができるようになる秘訣なのだろうと思っています。
話は変わりますが、先日ついに、エフェライフ講座の一期が終了しました。講座に入る前と後で心境に変化があったかどうか、ヤンさんから質問をもらっていましたね。
変化はいろいろありました。その中で一つ上げるとするなら、気持ちが無責任を許容できるようになってきたように思うのです。それにより、行動がかなり軽くなりました。チャラくなったということではなくて、かなり気軽に行動できるようになってきた、ということです。
タニモクに初めて参加した時、相談に対して「思いつき」を「無責任に」言ってください、と言われました。私は人の相談に乗るということが昔から皆無です。相手にも私を避ける理由は色々あると思いますが、自分から避けてきた要因としては
「人の気も知らないで勝手なことばかり言って」
とか
「無責任なこと言わないでよ」
と言われる事態を恐れているからです。人にはそれぞれ事情というものがあって、軽々しく意見するのは却って迷惑だ、くらいに思っている節が私にはあるのです。なので、タニモクがお悩み相談会だと知ったとき、ちょっと怯みました。どうしよう、と思ったときに「無責任で良いんです」と言われてすごく気が楽になりました。これはタニモクの素敵なところですよね。
エフェも結果を気にせず、今できることに注力するのが大事だと教わりました。そこで、まずは講座や、みんながメンバーになっているSNSなどでは、思ったことを気軽に言ってみることにしました。すると当然ですが、私の発言がSNS上に激増しました。ダメでも、スルーされても気にしません。前は、もしかしたらこれ、迷惑かな、うざいかな、と思って黙っていることが多かったのですが、もう、そう思うことを辞めました。うざかったらすみません。でも、言ってみることで何かが起きるかもしれない、その可能性を試してみたいと思うようになったのです。
気軽に行動するということは、厚かましくなるということでもあります。年の功なだけかもしれませんが、まあそれでもいいです。とにかく前は尻ごみしていたことができるようになってきました。その最たるものは、イベントでお会いした吉田満梨先生(注3)にサインをねだり、なおかつ私の著書の宣伝をし、さらにはSNSで友達申請までしてしまったことです。これは以前の自分では考えられないことです。自然に出来てしまう人には「そんなこと」と思われるでしょうが、思い出してください。たにせんさんと初めて会ったとき、私は講師の先生に話しかけることが出来ずに、ただ眺めていただけだったのです。ですからこれはもう、すごい進歩なのです。
それから、ヤンさんの質問について考える過程で、私が「いまここ」にいる、その原点はなんだろうと思ったとき、それは、たにせんさんと出会うことにもなったオンラインサロンに参加ポチをしたことだ、と思い至りました。
私はあのときポチした自分を褒めてやりたい。でもそれは、全く、全くNTPではありませんでした。何か月も無料のメルマガを読んで「どうしようかなあ」と迷っていました。それも月額千円のコースで。
その当時の私は、娘が小学校に上がったのを機に働きに出始めたところでした。自分の稼いだお金で講座費用を払いたかったので、エフェでいう「許容可能な損失」が極小でした。そして何年もの間、私の世界はほとんど家庭内だけでしたから、不確実なことだらけの外の世界に踏み出すのが怖かったのだと思います。オンラインサロン、というのがどんなものかも分かりませんでしたからね。
しかし、ついにポチしました。その決め手は、もう悩み疲れて「ダメだったら、やめればいいや」と思ったことでした。
「ダメだったら、やめればいいや」
そう思った瞬間を思い出した私は、思わず
「そんなの、当たり前やん!」
と口に出して叫んでいました。やってみて、ダメだったらやめればいい。それが今の私には当たり前のことになっていたこと、前は違っていたということに驚きました。その差はまぎれもなく私の成長です。これに気が付いたとき、とても嬉しかった。嬉しくて一瞬、呆然としてしまったくらいです。
仕事を受けるかどうか、相談に答えること、NTP(NTではなくても)。これらはどれも結局は、結末を予想せずに、今できることに集中して行動するということです。以前の私は結末も予想して、その結果を実現しなければならないと責任を感じていました。だから動きが鈍かった。それが今は、いい意味で無責任になれているのです。無責任という言葉は「肩の荷を下ろす」「肩の力を抜く」に言い換えてもいいかもしれません。とにかく軽くなりました。
結果なんか予測しても無意味だと、今は思います。あの迷いに迷ったポチの結果が今、こうしてヤンさんと往復書簡を書いていることになるなんて、どうやったら予測できるでしょう?あのときの小さなポチの、大きな意味に軽くめまいさえ覚えます。予測は不要だとエフェで教わりましたが、その実例としてこのことを思うとき、たとえ時間がかかったとしても、どんなに小さな動きでも、行動することの大切さを思わずにはいられません。あの時ポチしなかったら、と思うと、機会損失の大きさに背筋が凍る思いがします。
「あとは野となれ山となれ」という言葉があります。どことなく無責任なニュアンスのあるこの言葉は、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉と似ていますが、やれることはやる、という点は同じでも、そのあと受け身になって天命は待たないところが、エフェっぽいなと思います。野や山が、クレイジーキルトの形だと思うとなかなか壮大だと思いませんか。壮大な無責任。ワクワクしてきます。
それではまた。
追伸 ヤンさんは、講座を終えて心境の変化などあったのでしょうか?
注1)NTP… ノー・タイム・ポチの略。前回のヤンさんの書簡に詳しい。
注2)コーゼーション…行動を起こす前に出来るだけ詳しく環境を分析し、最適な計画を立てることを重視する。目的に対する正しい要因を追求しようとする思考様式。因果論。(『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「五つの原則」』より)
注3) 吉田満梨先生…神戸大学准教授。(注2)の本の著者。
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