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シンママの娘 (8)

結納なし挙式なし披露宴なしの、なしなし結婚。当然お祝い金も少ないのです。できちゃった結婚はお金もナシ。


結婚のお祝い金は身内だけ


ついこの間まで大学生の娘。貯金ゼロで、これから就職。これからという時に、できちゃった結婚。

昭和の終わりごろ、結婚式・披露宴を盛大にド派手にする「ハデ婚」、何もしないのが「ジミ婚」なんてコトバがありました。


わたしが結婚の時は、結婚式3か月前に 阪神・淡路大震災が発生。諸々、いいえ全てキャンセルしたので「ジミ婚」でした。
みんな余裕なく、知らせるのが精一杯。親戚だけが現金のお祝いをくれました。
娘も「ナシ婚」。お祝いも身内だけ。あらあら、血すじでしょうか。


中華料理より情報を流し込む

娘が安定期に入ったころ、最低限の「両家の顔合わせ食事会」だけしました。
結婚相手や、あちらのご家族って、どんな人がわかりませんもの。


ちょっと高級、接待用。円卓の中華料理店に招かれた、わたしとオット。
このコースの間に、先方の情報は、すぺてらないといけません。
丸いテーブルに座り舌より耳を研ぎ澄ます。


ごくごく普通の都市の家族。親戚づきあいもあまりなく、お盆やお正月の帰省や嫁としての仕事もなし。よかった! 娘の母親としては、これだけが心配の種でした。




戦前生まれのわたしの母は、九州から集団就職で大阪に来ました。
のんびり田畑のなかで暮らしていた彼女。都会のせわしなさや、えげつなさについて行けずでした。


「自営業の嫁は給料の要らない労働力」の時代。
わたしの母はいつも、九州の故郷イナカに帰りたいが口癖でした。帰省するにも、お金も時間もかかり、夜行列車で12時間。

なのでわたしは、惚れた腫れたで結婚はしない。近隣県の男性限定。二つの条件をこころに決め、結婚を実行しました。




娘の嫁ぎ先のお父様(舅)は、息子の結婚にたいそうな喜びよう。出産後に「披露宴を」と望まれました。
「子どもが生まれたらそれどころじゃないわい!」コース料理と一緒に、言葉も飲みこむわたしでした。


おなかといっしょに不安もふくらむ


プレパパ・プレママ沐浴学級のころから、たびたび頭痛がすると娘。
新居でさぞかし不安だったのでは。

血圧が高く、体調不良が続きます。
あと三ヶ月で出産。だんだん大きくなる おなか。
妊婦健診での超音波健診(エコー)は、赤ちゃんは特に異常なし。ありがとうございます。
診察室で、見せてもらった写真では、孫は女の子。恥ずかしいのか、顔をいつも手で隠してるようでした。

とにかく母子ともに元気なら、それだけでありがたい。
小さかった娘が…あっという間に大きくなり母となる。
それにしても、頭痛が続くようなら心配。

新生児用の肌着やグッズは揃っているし、いまは、スマホで注文したらすぐ届く時代、大丈夫。
それにしても新婚なのに、娘からは旦那さまの話もなく、仕事が忙しいらしいのだが。なんだか父親の存在感がないような。

プレパパ・プレママ沐浴学級も、来なかった、仕事だったのか?
モヤモヤは、広がり不安に変わる。

娘は、大学を卒業したが就職もせず、できちゃった結婚したので、これ以上、迷惑はかけられない…とおなか が大きくなるほど口をつぐんでしまった。


そして、里帰り出産のため、実家に帰ってきた娘。
頭痛のため、かなり安静にしての帰宅だった。私もオットも、…無事に出産できますようにと、祈る臨月でありました。


毎週金曜日は
「シンママの娘」の日


いつも こころに うるおいを。
水分補給も わすれずに。


最後までお読みくださり、
ありがとうございます。

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